「絶対に優勝してみせるから、クリフト。ちょっと特訓に付き合って」
 エンドール王のもてなしの提案を丁重に断り、泊まっている城下町の宿屋でアリーナは興奮を抑えきれないように言った。
「…姫様、そういった事情でしたら私も出場致しましょうか」
 クリフトが剣の手入れの手を止めて遠慮がちに言う。
「私でしたら、姫様と戦うことになったら即座に棄権致します。そうしましたら、一戦分有利になります」
 アリーナがなるほどね、と頷く。そんな様子にクリフトは提案を続けた。
「それに、万が一、私が優勝したとしましても、修行中の身だからと結婚を辞退することも不自然ではありません」
「そうね」
 アリーナは感心したように、腕を組んだ。
「…流石、頭がいいわね」
「如何でしょうか?」
 クリフトは至極まじめだ。アリーナの出場をやめるように伝えれば怒ることは間違いない。 それをわかって譲歩した上での交渉だ。
「…きっと、モニカもそうしたら喜ぶと思うけど。でも、私は正々堂々と勝負したいの」
「しかし」
 ここまで譲ってもダメなのか。クリフトは思わず立ち上がった。
「…それに、サントハイムの聖職者は無駄に戦いを好む。なんて評判立てて神官長やティゲルトに怒られても知らないわよ」
「…そ、それは…!」
 ぐっと、こらえる。まさか、そんなに的確に弱いところを突かれるとは思わなかった。
「しかし、事情が事情ですから神官長も…」
「エンドールや他の国はそうは思わないと思うけど」
 言葉を返せば返すほどに自分の攻める道も逃げる道もなくなっていく。
「それでしたら、姫様も事情は同じはずでは…」
「私はお父様も承認済みよ。それともサントハイム国のメンツに泥を塗る気かしら?」
 クリフトはがっくりと肩を落として額に手を当てて呟いた。
「……ずるいですよ、こんなときばかり…」
(私を言葉で打ち負かすなんて。)
 もっとも、最初から望みは薄いと思っていたが。
「…え?なに?」
「姫様が望むのなら私は影で応援しております」
「うん。必ず優勝するから安心してみててね!」
 朗らかな迷いのない笑顔にクリフトは困ったように笑った。






 アリーナは自分の部屋に戻ったが、ブライはまだ戻ってこない。
 ブライは自分と違い宮廷魔法使いでありながら、政治の場にいる人物だ。きっと、 サントハイムとエンドールの今後について、しておかなければならないことがあるのだろう。
 クリフトは机に座って、ぼんやりと考え事をしていた。
(外国の地にいても、まったく変わらないな)
 アリーナに仕えている生活は。
 窓の外を横目で眺める。一雨降りそうだ。ブライはだいじょうぶだろうか。 頬杖をついたまま、老人の身を案じてみるが、どうにも落ち着かない。
 相変わらず、胸騒ぎは続いている。
「…不吉な予感…」

“災い”

 災いとはなんだろうか。恐らく、それは誰にもまだ分からないだろう。
(姫様を避難させ、神官ティゲルトをも城から遠ざけている)
 考えられないことだ。災いに立ち向かうのではなく、最悪の場合に備えているとしか考えられない。
 
 もしも。

 もしも、サントハイムが滅亡したら。
 不吉な考えにたどり着く。
(しかし、それでも私は…)
 必ず、付き従うだろう。
 最悪の事態を想定して覚悟しておかなければならない。 そうならなかったときは、心配しすぎたなの一言で済む。
 何より、アリーナやブライはとても冷静でいられないだろう。誰かが冷静でいなければならない。 それができるのは逸早くこの事態を予測することができた神官達の中でもアリーナやブライの最も近くにいる 自分だけだ。


 力があれば。
 自分に力があれば。
 闇を、そして、必要とあらば光をも打ち抜く力があれば。
 それは昔から何度となく願っていたことだ。

「…これは…」
 クリフトは無意識に机に備え付けられた紙に書いていた言葉に気が付いた。
それは忘れろと命じられたはずの禁じられた言葉。明晰な頭脳と戦慄の言葉は忘却を許さない。
 字面からも不吉なものを感じ、背筋が冷たくなる。

 血、……
 命、凍らせるべし
 魂、…べし
 死、招くべし
 …の名を呼び…
 …、の名に於いて……べし


 やたらと鮮明に覚えている言葉。
「…っ」
 早く忘れるべく、その紙を破ろうとした手が止まる。
「…もしかしたら…」
 この部分は呪文を扱う際にはなんら関係ない。使う際には一言だけあればいい。ホイミやメラのような言葉のことだ。
 ただし、抜けた部分がなければ使うことはできない。何故か。それはこれらは呪文を扱う上で魔力を動かす理論であるからだ。 何の力を使い、どのような効果を求めるのか。その回路。いわば、魔法の設計図だ。中には図形を使う呪文もあるらしいがこれは文章だ。
 この呪文を見た過去の神聖魔法研究官はこれを補い、蘇らせ、そして封印させた。 復活させることは不可能ではない。
「…何か…何かの呪文の理論を応用すれば…もしかしたら…」
 神聖呪文理論は神学校で最も得意だった科目の一つだ。その応用でできるのではないか。 この邪悪な呪文を神聖魔法として昇華させ、復活させる。可能に思えた。
 夢中で覚えのある魔法の理論を書き出しては当て嵌め、違うとわかっては次の呪文の理論を 当て嵌め続けるが、神聖呪文には生命を奪うものどころか人を傷つけるものがない。 生命を奪う効果を得られる理論が求められない。
「…違う…違う……」
 パズルを解くかのように当て嵌め、形を変えてもう一度試す。
 甘美な暴力への欲求に取り付かれるままに、繰り返し続けていると、ふと背後に何かの気配を感じた。
「誰だ!?」
 背後の気配に驚いて、立ち上がって振り向く。勢いあまって椅子が倒れた。
「クリフト、まだ起きとったんか?」
 部屋に戻ってきたブライに何も気が付かなかった。
「…あ、ブライ様…すみません」
 クリフトは声を荒げたことにようやく気が付き、椅子を起こした。
 目にうっすらとクマを作り、冷や汗を流すクリフトの様子にブライは、
「そんなに熱中する程に仕事を持ってきておるのか?」
と、勘違いし覗き込もうとする。慌てて、机の上に広げてあった紙を奪い、背後で握りつぶした。
「…そんなにせんでも、機密だと一言言ってくれれば見たりはせんのに」
 ブライは疲れているのか、呆れ顔でそういうと着替えもせずにベッドについて寝息を立て始めた。
「…はぁ…はぁ…」
 クリフトは緊張のあまり上がっていた呼吸を必死に整える。

見られてはいけない…。
これは禁じられた呪文なのだから。

(…禁じられた?)

(そうだ、これは忘れなければいけないものなんだ)
 我に返ったクリフトはその握り潰した紙を細かく引き裂いて、ゴミ箱に投げた。




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