何度かすでに体験済みの瞬間移動魔法の感覚。 無重力になったような感覚。それが収まるとそこはサントハイムの城門の前だった。
 見慣れたはずなのに、どこかが違う。
「門番が…いない…」
 アリーナが呆然と呟く。 まさか、先程の兵士のように皆が消えてしまったというのか。
 不安に駆られアリーナは城の中へと駆けた。その後にブライとクリフトも続く。
「誰も…誰もいないの!?」
「返事をせんかー!」
 静まり返った城内に空しくこだまする。 城内は荒らされた様子が一切ない。
「魔物が攻めて来た様子じゃないのに…!」
 想像の上を行っている。想定していたのは魔物の急襲や呪い、流行病や天変地異だった。 まさか、神隠しが起こるだなんて考えてもいなかった。

にゃぁ…
 猫の鳴声が聞こえて、アリーナは弾かれたように駆け出した。
 謁見の間の玉座の前をうろうろと不安そうに鳴く白猫を抱き上げる。
「残っているのは…お前だけなのね…」
 涙が零れる。

 礼拝堂にやってきたクリフトはやはり誰もいないことに落胆した。 危機を察知していたはずの神官長もやはり消えてしまったのか。
 サーフィスやフレイ、リゲルタは無事でいるだろうか。


 城門まで先に戻っていたブライは焦点の合わない目で城を見上げていた。 そこにアリーナが、次にクリフトが戻る。
 三人とも無言で立ち尽くした。
 突然の別れ。そして、手に入れた自由。
…違う。欲しかった自由はこんなものではなかった。アリーナは首を振った。
「サランに行ってみましょう」
 そう提案したのはクリフトだった。








 慌しい。
 そう、慌しい。人がいるのだ。その事実には少し安堵する。しかし、
「竜十字騎士団…!?」
そこにいたのは竜の神とそのシンボルのクロスをモチーフにしたエンブレムを身につけた騎士達。
 彼らの目的は魔物から民衆を助け、秩序を守り、信仰を深めることだ。この非常時に駆けつけてくれたのか。

「姫様!ブライ様!クリフト!」
 その中に見知った神官服の男がいた。やはり、残っていてくれたのか。 クリフトは上官の登場に安堵の色を顔に浮かべた。
「ティゲルト!お前さんは無事じゃったのか!」
 ブライの問いかけにティゲルトは頷いた。
「私はサランに出ていましたので難を逃れました。神官では私の他にルオンとセイルートが同じく残っています」
 副官と医学者の神官の二人が、緊急警備の中、城を離れていた。 この三人の取り合わせにクリフトは気付いた。
(やはり、こうなることを見越して…。今後のことを考えてこのメンバーを城から遠ざけたのか…)
 アリーナが尋ねる。
「今、どんな状況なの?」
「現在、同じく城から離れていた近衛兵や各町の自警団の代表を集めています。
そして、竜十字騎士団の代表と共に残った戦力でこれから民衆を守るべく会議を行う予定でいます」
 ブライがふむ、と髭を触る。
「そして、その間を取り持つのがお前さんの役目といったところか」
 ティゲルトが頷く。
「城に仕えながら、神に仕えている神官。間を取り持てるのは現在には我々しかおりません」
 悔しそうに現状を憂うティゲルトだったが、疲弊したアリーナの様子に気が付いたようだ。
「姫様とブライ様は宿でお休みください。クリフト、お前は来い」
「わかりました」
 卒倒しそうなアリーナをブライが支え宿へと向かうのを見送り、ここで一旦別れたクリフトはティゲルトの後に続いて 歩いていく。一般市民は厳戒態勢の中、家から一歩も外には出てきていないようだ。 街中に溢れているのは騎士や兵士ばかりだ。

「お前には私の補佐をしてもらう。で、離れていた時期の状況は?」
「…エンドールに向かい、姫様が武道大会で優勝されました」
 ティゲルトはわかったような、わからないようなその報告に取り合えず頷いた。
「…つまりは無事、ということだな」
「そうです。ただ、気になる出場者がいましたが、今回の事件に関わりがあるのかは不明です」
「その件は後で詳しく報告するように」
「はい」


 サラン大聖堂前の広場。そこに、多くの騎士や兵士が集合していた。
 その広場の一角にテントが設置され、特に重厚な鎧を纏った戦士達が控えていた。
「それでは会議を始めましょう」
 そこにいたのは、城で見たことのある近衛兵のリーダー。市民の感覚の抜け切らない サラン、フレノールの自警団の隊長、そして、一際重厚な鎧の竜十字騎士団長。
 そして、はじまった会議。
「先程、サントハイムの城内の人間は全て神隠しに遭いました」
 ティゲルトはその場にいる指導者達に説明を始める。
「そして、同時に国内の魔物の動きも活発になろうとしています。 それらから、領民を守り抜かなければなりません。その連携を取ることが今回の会議の目的です」
 フレノールの自警団長が不安そうに口を出す。
「しかし、我々は自警団といっても、泥棒なんかを捕まえていただけで魔物と戦ったことなど…」
 サランの自警団長も同じ意見のようだ。ティゲルトは当然と頷く。
「城の機能が停止すれば、治安が乱れます。それを守るのが自警団の役目です」
 騎士団長が同意する。近衛兵のリーダーも合点がいったように腕を組んだ。
「そうだな。そして、魔物と戦うのは我々の役目ということだ」
「そして、その物資の調達のルートや救援のルート、連絡窓口の確保を」
 ティゲルトの導きにより、次々と有意義な決定がなされていく。 クリフトは口をはさむこともできず、その指導力を黙って見ていた。 神官長が信頼して、城から非難させていただけのことはある。

「…で、問題は城の皆はどうやって助けだすか、だ」
 騎士団長が最大の難関を示す。
 これまでの話し合いは全て、混乱を起こさないように治安を守ることばかりだった。
「遊撃部隊を組織するか…」
 ティゲルトが腕を組んで顔をしかめる。しかし、それは危険ばかりだ。 生死の危険はもちろんのこと、心当たりもなく世界中を放浪しなければならない。やはり躊躇する。
「しかし、攻めてみないと始まらないだろう」
「…」
「そうしないのならば、新たな王を選別せねばならんな。王家の遠縁のサラン伯か、先々代の王の三女様が輿入れされたフレノール伯か」
 フレノール自警団長の言葉に、それまで黙っていたクリフトが思わず口を開く。
「陛下はまだ、きっと生きておいでです」
「……ほぅ」
 騎士団長が興味深そうに頬杖をついた。
「…それでは、君が遊撃隊を率いて戦ってくれるのかな?」
「それは…!」
 思わぬ切り返しに言葉を失う。
「…見たところ、それなりに腕は立ちそうだが」
「クリフトは私の補佐官だ。別の人間を当てる」
 ティゲルトの断りの言葉。
「しかし、神隠しに遭ってしまったために遊撃隊を作るほど我々には余裕がない」
 戦力の殆どが竜十字騎士団のもの。戦力を割くほどの余裕はないことは確かだった。
 騎士団長も会話に加わった。
「君が騎士団に入って、戦ってくれるのなら各地の騎士団から援助を受けられるように連絡をするが?ボンモールの修道騎士団は協力してくれるだろう」
 クリフトはじっと黙って考えていた。確かに、当てもない旅をして手がかりを探す旅をする人員、戦力の確保の余裕など 今のサントハイムにはない。また、希望者も出ないだろう。

(…私が仕えるべきは“サントハイム”ではない。“アリーナ姫”ただ一人だ)

「私は姫様のお側に仕えることが役目です。そういいつかっています」
 無感情に言い放つクリフトにその場にいた全員が押し黙る。

「なるほどね。忠誠心の高い、いいナイトだ」
 騎士団長が何かに気が付いたようだ。
 そして、ティゲルトも。二人はクリフトの後方を見やる。
「…姫様、どうなさいますか?」
 クリフトの問いに、いつの間にかやってきていたアリーナに振り向かずに声をかけた。 自警団長達は突然の姫君の登場に目を見張り、驚くばかりだ。
「…私が探しにいきます」
 毅然とした態度。溢れる威厳。これが王族というものか。
 ティゲルトが冷や汗を流して苦笑する。
 クリフトは姫の答えに穏やかに笑みを浮かべた。
「ブライ様は如何なさいますか?」
 アリーナの後ろに控えていたブライもやはり毅然と答える。
「ワシもこの若造と同じく、姫様のお供を言い付かっておる」
「…姫様、」
 クリフトは立ち上がって姫の下に跪いた。
「喜んで私の命を捧げます」

 呆然と様子を見ていた騎士団長にティゲルトが声をかけた。
「どうやら、遊撃隊は決定のようだな」
「そのようだな。まったく、姫様には残ったサントハイムの民を導いて欲しかったが」
 そうだな、とティゲルトは頷く。
「姫様の不在の間、我々は全力でサントハイムの領地を守ります。どうぞ、御武運を」
 アリーナは神妙な面持ちで頷いた。









 サントハイム中の代表が集まる中、やはり領地内には手がかりはないことで話は一致した。そうすると、エンドールをはじめとする異国の地に向かうことになるだろう。
 キングレオ地方へと向かうのかブランカ地方へ向かうのか。それとも、スタンシアラなどの北方へ向かうのか。 話し合いは続き、アリーナ達はブランカ地方へと向かうことになった。
 ブランカ地方には勇者についての伝承があり、近年冒険者を奨励している。冒険者が集まっているのなら情報も 集まりやすいかもしれない。
「もしも、その後に広がる砂漠を越えることになるのでしたらブランカの騎士団の援助を受けられるようにします」
 という、騎士団長の後押しもあり、ルートは決まった。


 出発前の最後の夜。
 クリフトはぼんやりとサランの町を歩いていた。
 未練はないが、しばらくこの地には戻ってこれないという感傷に浸っていた。
 大聖堂前の広場に出る。夜の闇を緋色に照らし出すたいまつの炎。その明かりの前にぼんやりと立ち尽くす、緑色の制服。 空色の髪をたらす神官。忙しく立ち回る彼には城を旅立ってから、全く会ってはいない。クリフトが声をかけようか悩んでいると、先に向こうが気が付いたようだ。
「クリフトか」
 神官セイルート。
 神聖魔法を扱い人を癒すことを勤めとするこの男は、 無口であり、神官の中でも最も癒しの術に長けていること以外に特に印象も認識もなかった。
「…………」
「……あの…」
 無口な男だ。クリフトの戸惑った問いかけに、セイルートはベンチに座る。
「…明日か?」
「そうです」
「そうか……」
 クリフトは彼の言葉を静かに待った。セイルートは荷物の小さな道具入れを開ける。 神聖呪文の魔法書や聖水、包帯などの道具が見えた。彼はサントハイムの人々が消えてから、ずっと、活発化している魔物に傷を負わされた領民や兵士を癒し続けているのだ。
「これを渡すつもりでいた。丁度よかった」
 突然、書簡を差し出された。
 クリフトは何気なく受け取るとそれは呪文のようだった。
「ベホイミはできるか?」
「できます」
「なら、すぐに使えるようになる」
 目を通すとそれは、
「ザオラル…」
 死の淵からも怪我人を救い出す治癒呪文。瀕死の状態からもその意識を取り戻すことができるこの呪文は俗に“蘇生呪文”とも呼ばれるほどに強力なものだ。
 学校で習ったザオラルの理論よりも、やや簡素化されている。おそらくセイルートなりにアレンジを加えて使いやすく改良されているのだろう。
「姫様を頼む」
「……必ず」




 そして、次の日の朝、三人は多くの人から見送られてサランを旅立った。



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