『思出』




(どこに隠れようかな…)
 クリフトは考えた。きっとアリーナのことだから自分が見つからなければ泣いてしまうだろうし、 まさか、忘れられて隠れっぱなしなんてことにもなりかねない気がした。
 と、東屋の向こうに見える大臣達の執務室の壁の生垣の裏。 あそこならすぐに見つかってしまうだろうし、何よりアリーナが良く見える。ここなら彼女が困っていたらすぐに出て行ってあげられる。
クリフトはすばやく身を隠した。
「にじゅー…いち?…えーっと、さんじゅ!」
 飛ばした。随分と飛ばした。
 つい先週、いっしょに30まで数えられるようにお勉強したばかりなのに。力が抜けて、から笑いしてしまう。
 一方、アリーナはそんなこともお構いなしにクリフトを探そうと張り切っている。
 普通のかくれんぼならまず無いことだが、アリーナは突然木に登りだした。
(アリーナ様、危ない、僕はそんなところには隠れない!)
 その高さは一階の窓枠より少し高く、2回には届かないくらいの決して高い木ではなかったが、クリフトはハラハラして見守っていた。
 そんなときに背後の大臣の執務室から声が聞こえた。今日は暑いからだろう。窓は開いていた。

「姫様とクリフトが仲良くなってくれて、アリーナも遊び相手ができたばかりか勉強にも興味が出ていると王様もお妃様も大変喜んでおられますな」
 クリフトは自分のうれしい噂にいけないと思いながらも聞き入ってしまった。
「さすが、大司教殿が目をかけていただけのことはあるのぉ」
 先ほどの大臣の声とは違う老人の声だ。
「大司教殿にはお会いしたことはないが、なかなか出来た人物だと評判じゃからのぉ」
 クリフトは大司教が褒められていることが自分のことのように嬉しかった。ついつい顔がほころぶ。
「そうですな、クリフトのまっすぐさと優しさと見ていると大司教様の人柄も大変ご立派なのでしょうね」
「問題はクリフトの生まれじゃの」
(生まれ…)
 その言葉は胸につきささった。いつかニックが見せたあの悲しい笑顔が目に浮かぶ。
「城の中ではあまりよく思わない連中もおるようじゃからな」
 実際にアリーナのお友達候補の子供の親の貴族達は自分達の立場がなくなり、彼を疎む声もあった。 誰しもがアリーナと自分の子供を友達にさせ王家との繋がりを持ちたいのだ。
 クリフトは緊張した面持ちで立ち聞きを続けていた。ここで自分を否定されるのは嫌だった。
「私は姫様のお友達はあの子でよかったと思っておりますよ、ブライ殿」
 クリフトは息を呑んだ。
「姫様がそういった大人の謀略や計画のために利用されるような友達ではなく、純粋に親友と呼べるような頼れる友達を持てたのですからな」
「わしも同感じゃ。姫様はここ数ヶ月、口を開ければ“クリフトは今日はこないのか?”じゃからの」
 二人がからからと笑う声が聞こえる。
「まったく、あやつがきてからわしが姫様と遊ぶ時間を取られてしまったわい」
 クリフトは胸を撫で下ろした。

「!」
 自分の評価が少なくても悪いものではなかったことに安心したのもつかの間、 アリーナがいつの間にか木の上から降りられなくてそわそわしているのが目に入る。
夢中で生垣の奥から飛び出した。
 枝葉が揺れるその音に気が付いた大臣達は外に目を向ける。 彼らの目に入ったのは必死に木によじ登りアリーナの元へと行こうとしているクリフトの姿だった。







 その翌週のことであった。 いつものように朝一番に城門を守る兵士に丁寧に挨拶をして中へ招かれたクリフトの前に老魔法使いが現れたのは。 老人は宮廷に長年仕える魔法使いであった。
「こんにちは。はじめまして、クリフトと申します」
 礼儀正しく頭を下げるクリフトを目を細めて観察すると、ほっほっ、と笑って髭を撫でた。
「噂どおり見所があるのぅ。わしは宮廷魔法使いのブライじゃ。」
 そう名乗ると、彼についてくる様に合図した。
「あ、あの僕に何か御用でしょうか…?」
 歩きながら、彼はいつもと違う出来事に戸惑い始めていた。 何か怒られるようなことをしたのか、一生懸命に考えをめぐらせる。 考えられることといえば以前に大臣の話を盗み聞きしたことか。
(そ、そんなに聞いちゃいけない話だったのかな…)
 クリフトの戸惑いを他所にブライは来賓用の応接間に彼を通した。 金銀で飾られた机に柔らかそうなソファー。壁にはサントハイム王家の紋章の入った赤いタペストリーが飾られている。 ここでは各国の使者が交渉など国家間の会談のために通されるのだろう。
少しずつ城に慣れてきたといっても、応接間自体がかもし出す威圧感に圧倒されていた。
「ここでならゆっくり話もできるじゃろうて」
 ブライはソファーにゆっくりと腰をかけるとクリフトにも座るように手で示す。 恐る恐る座ると、体がふわりと沈みこんだ。
(アリーナ様だったら飛び跳ねて遊びそうだなぁ)
 体が包み込まれているようで心地いい。
「随分と気に入ったようじゃの」
 城の者ではなかなか見せない率直な反応にブライもご満悦だった。 クリフトは素直に頷くと、背筋を正してブライに向き合った。
「どうじゃ、姫様とお友達になって楽しくやっとるか?」
「はい!妹ができたみたいですごく嬉しいですし、それに」
「ほう」
 ブライは微笑みながら言葉を待った。
「また、アリーナ様と遊べるって思うと一週間がんばれます。すごく楽しいんです」
 ブライは頷くと、どこからか箱を持ってくると目の前の机の上に置いた。
「あの、これは…?」
「姫様の友達になってくれたことへの、わしからの感謝のプレゼントじゃ。開けてみなさい」
 クリフトは顔をほころばせると、急いで、でも包みは丁寧に開いて箱を開けて覗き込んだ。 そこにあったのは新品の皮の靴だった。思わず感嘆の声が口からこぼれる。
「お前さんはずっと、姫様のためにサランの町から城まで通ってくれておるからの」
 ほとんどの庶民は靴を何足も持っていない。クリフトは入学のときに大司教から与えられた靴一足しか持っておらず、 ブライの言うとおり、擦り切れて今にも縫製が壊れてしまいそうであった。
 見るからに上質そうなその皮の靴にさっそく足を入れてみる。
「ぴったりです!」
「それはよかったわ」
 ブライは得意そうに髭をいじると、ソファーを立ってドアに向かった。
「ほれ、早く姫様のところに行かんとまたむくれてしまうぞ」
「はい!」
「姫様と仲良くしてやっておくれ」
 クリフトはその新しい靴がよほど嬉しかったのだろう、廊下に勢いよく躍り出るとアリーナの部屋へと向かった。
「ありがとうございます!」
 彼の姿が見えなくなるまで、ブライはそこで見送ると応接間の中に戻り古い彼の靴を拾い上げた。
「歩きづらかったろうに」
 6歳の成長期の少年の靴は、今しがた老人が贈った靴よりも一回り小さかった。




 アリーナは待ちくたびれていた様子だったが、クリフトが遊び部屋に現れたことですぐに機嫌を直したようだ。 クリフトは小動物のようにじゃれつくアリーナの頭をなでた。
「これは?」
 姫の為に用意された遊び部屋に、いつもとは違うおもちゃがあることに気が付く。
「旅の商人さんがくれたの。パズルっていうんだって」
「どういうおもちゃなんだろ?」
「しらない」
 箱の中にはバラバラに切り刻まれた集めの紙が入っている。 手にとって観察してみると、その表面に何かの絵柄らしき模様が見て取れた。 そう、子供向けのジグソーパズルだ。
「もしかして」
 クリフトはその何枚かを手に取るとその断片を観察して組み合わせてみた。合わない。
「んー…」
 また別の欠片を手にとってみると今度はぴったりとあてはまった。
「わかった!こうやってバラバラになっている絵を元に戻すおもちゃなんだ」
 じーっとクリフトの様子を見ていたアリーナが、うらやましそうに欠片を手にとった。
「アリーナもやるぅ」
「うん、いいよ」
 アリーナは数枚を手に取り、彼の真似をして難しそうな顔で見つめると無理やり合わない欠片を合わせこむ。
「できた?」
「うーん、惜しいと思うよ」
 クリフトは優しく微笑むと、
「じゃぁ、一緒にやろうね。アリーナ様はここから同じ色したのを、こういう風に分けてみて」
 クリフトは灰色の欠片を入れ物から2枚取り出して外に分け、赤いものを2枚同じように別に取り分けた。
「うん、赤いのあつめる」
 アリーナは喜んで後で見たほうの赤いのだけを取り出して山にした。もともと子供用なので枚数が少ない。すぐに分け終わってしまい、 パーツを組上げていたクリフトは次にもう一度灰色の山を作るようにアドバイスした。

 こうしているうちにすぐに絵は出来上がった。
「……これは……!」
 クリフトははっとしてその絵を見つめた。現われたのは十字の描かれた盾を持つ立派な騎士の姿だった。
「クリフトー、これでおわりなの?」
 まだまだ満足できない、と覗き込むアリーナの声に彼は我にかえった。あわてて、
「そうだよ、完成したんだよ。二人でがんばったからできたんだよ」
「ふたりで?」
「そうだよ」
優しく頭を撫でて笑いかける。
 アリーナはその言葉に興奮したようだ。 跳ねるように立ち上がると駆け出す。 誰かに見せたいのか部屋の外にいるであろう侍女に声をかけようとして、ふとクリフトの様子がおかしいことに気が付いたようだ。
「クリフト、おなかいたいの?」
 クリフトの前に座り込むと心配そうに覗き込んだ。 優しいアリーナの頭を撫でて、パズルの騎士を差した。
「僕ね、学校で話したんだ。大きくなったら魔物から皆を守る騎士になろうって」
 彼の言う騎士とは教会組織の中に存在する竜十字騎士団のことだ。 魔物から人々を守り、秩序を守ることを目的に活動している。
「きし?」
「うん。こういうふうに鎧を着たりしてね、すごい強くてね、かっこよくてね、みんなを守ってくれるんだ」
「かっこいいの?」
「うん」
 クリフトは頷いた。
「じゃぁ、アリーナもきしになる!」
 突拍子も無いその言葉に唖然とした。
「え?アリーナ様はお姫様だもん、だめだよ」
「やだやだ、かっこいいのがいいの!」
 クリフトは駄々をこねる小さいアリーナの頭を撫でながら、つぶやいた。
「でもね、僕が騎士団に入ったらここにはいられなくなっちゃうかもしれないんだ。 ニックはそうしたいって言ってたけど、僕はなんか怖くて」
 年齢よりもずっと大人びている、誰にも不平不満を言わないクリフトが初めて零したかもしれない不安の言葉だった。
「やだあーーー!クリフトどっかいっちゃやだーー!」
「ア、アリーナ様っ」
 大粒の涙をぼろぼろと流して泣き叫ぶアリーナに、クリフトはもちろん、ドアの外で控えていた侍女までもが焦って様子を見ようと、 扉を急いで開けて飛び込んできた。  クリフトは慌ててさっきの言葉を取り消そうと、手を目の前で左右に何度も振る。
「ずっとずーーっと先の話だから。そうなるかもまだわからないんだから、だから泣き止んでアリーナ様」

 それでもしばらくアリーナは泣き続け、いずれ泣き疲れて眠ってしまった。
 ようやく静かになった彼女に二人は疲れたように安堵の溜息をついた。部屋につれていこうと、侍女がアリーナを抱き上げる。
「あの、今日はごめんなさい。アリーナ様を泣かせちゃって」
「アリーナ様はクリフトくんがいなくなっちゃうのが怖かったのね。だから、だいじょうぶ。また来週遊びにきてあげてね」
「はい…」
 クリフトはその日はアリーナの見送りのかわりに侍女が城門まで送った。 夏も終わろうとしている夕暮れは少し肌寒くなりつつある。侍女は彼に上掛けを渡そうとしたが、彼は断り歩き出した。
 歩きなれたサランへの街道を歩きながら彼は思った。
(友達になるっていうのは、心が痛いんだね)
 それでも、不思議と彼は前向きだった。それは今日のブライの言葉、侍女の言葉。何より、クリフトがいなくなることに対してアリーナが泣いてくれたこと。 それらが彼を勇気付けた。
 自分は期待されている。自分はアリーナの唯一の友達である。
(来週までには元気になってくれてるといいな、アリーナ様)
 新しい靴で走って彼はサランへと帰った。




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