『出会』




 クリフトとアリーナとが出会い、5年が経とうとしていた。
 クリフトは11歳、アリーナは8歳になった。 そんな彼らの成長は著しく、健やかに育つ彼らをずっと見守っていた王もブライも大人たちはまぶしく思っていた。
 この間に誰もを驚かせたのはクリフトが学問の成績の優秀さを評価され2年分の飛び級という功績を果たしたということである。 そして、この冬にまた1年分の飛び級が決まり春からはまた年上の生徒のと共に勉強することになっている。 彼自身、姫と遊びすぎて学問をおざなりにしているなんて思われたくもなかった。 そんな彼の姿勢を周囲は高く評価していた。

 アリーナ以外は。

 アリーナは成長とともに大人しく、女の子らしく育つかと思いきやますますお転婆少女に育っていたのである。 クリフトと一緒に遊んでいる様子を城の中の皆が知っているが、 彼はむしろ大人しくどうして姫がお転婆に育つのかまったく理解できないと首をかしげた。 大臣がいつだったか、なぜそんなにお転婆なのか、と問い詰めたことがある。すると、アリーナは
《強い方がかっこいいじゃない!》
と、返し大臣を唖然とさせた。隣で聞いていたクリフトは顔を引きつらせて笑うのみだった。 嘘のつけないクリフトのこと。心当たりがないわけでもなかったからなのだが。
 とにかく、アリーナは以前にも増してクリフトと遊びたがるようになった。 クリフトが授業中にふと窓の外を見ると、窓から見える木の枝に登って様子を見に来ていたこともあった。 そして、女子禁制の男子寮だというのに部屋の前まで彼女が迎えに来ることもあった。
 そのたびにクリフトは周りの2つ年上の生徒の目を気にしながら、授業が終わるまでは、 とアリーナを神学校の教会や小さい中庭へと案内して待っていてもらっていたことも珍しい話ではなくなっていた。
 大臣達が最も頭を悩ませていたのはそんなアリーナの行動だった。 ただ、クリフト自身がそれを苦労しているかと思いきや、困ったような嬉しいような笑顔で迎えると報告を受けていることも更に頭痛の種だった。
 クリフト自身が困っているようだったら、それを理由に簡単にアリーナを窘められたのに、と。クリフト自身がそんな様子なので、 クリフトに迷惑だ、と伝えても“困っているようには見えなかったわ”で済んでしうのは目に見えている。
 そして、大臣からの報告を聞いてみれば、今日この日のまさに数時間前にもアリーナはこっそり城を抜け出し、授業が終わるのを待ってクリフトと話をしているらしい。
「今は良いが、いずれ姫様が結婚するときに困ることになってしまうかと…」
 サントハイム王は深いため息をついた。 誰もがアリーナがこんなにお転婆に拍車をかけ、クリフトにくっついて回るなどとは考えてもいなかった。
 これから思春期を迎えようとしている男女がここまで仲が良いことは大問題だ。
「ブライ。次に来たときに二人によく言ってきかせるように」
「かしこまりました」
 老魔法使いは深く頭を下げた。





 アリーナはそわそわしていた。週末になると必ず見られる光景である。 城門の前で右へ左へと落ち着きが無い。 兵士からすれば、姫様とはいえやはり小さい子供。 王族も自分達と変わらないのだな、と微笑ましく思ってしまうのも仕方のないこと。 そんな幼い彼らを見守る兵士が遠くに人影を見つけると、アリーナに教えるように指で示した。
「あ、来た来た!クリフトー!」
 指の先、遠くに彼の姿を見つけるとアリーナは大きく手を振った。クリフトもそれに気が付くと走り出す。
「姫様、兵士様。お、おはようございます」
「だらしないわね、ちょっとはしったくらいで」
 アリーナに笑われたクリフトは肩を上下させながら困ったように笑うだけだった。その二人の背後にブライはやってきた。
「あ、ブライ様いかがされましたか」
 兵士の言葉に二人は振り向いた。眉間に深い皺を寄せ口は堅く結んでいる。 二人の見た老人の顔はいつもより偏屈に映った。


「良いですかな、姫様!姫様はここ最近、ずーっと、四六時中クリフト・クリフトと!お勉強も抜け出しておるそうではないですか!」
「だって…」
「だって、ではありませんぞ!姫様はこれからのサントハイムを将来背負って立つお方!ご立派な姫君となってもらえねば、このワシも安心して引退もできませんぞ!」
 二人は城内の応接間で正座でしぼられていた。年老いてはいるが、こと説教に関してブライの勢いは衰えることを知らない。
「でも…」
「でも、でもありませんぞ!学校で成績優秀で将来を期待されておる、このクリフトもアリーナ様が普段からべったりしておっては勉学に差し支えるではありませんか!将来の有能な人材の育成に差し支えますぞ!」
その言葉にクリフトは顔を上げた。
「ブ、ブライ様お言葉ですが、私は…」
「クリフト、お前さんもじゃ!お前の成績に関して文句は無い!しかし! お前が姫様をしっかりお止めしないから姫様もお城を抜け出すんじゃ!」
「す、すみません…」
 矛先がクリフトに向いた。横目にアリーナがホっとした表情をしているのが映る。
 一方、クリフトは真面目な気質と責任感の強さで涙目になりながらも、そのままブライから目を離さずに3時間にもわたるお説教を聞ききったのであった。


「うー、今日は大変だったわ…」
 いつもの遊び部屋で二人はぐったりと座り込んで、アリーナは呻いた。 クリフトもさすがに疲れたのかボーっと宙を見ている。
「このままお昼寝でもしたいわねー」
「そうですね…」
 クリフトはそう返事しながらも視線は泳いだままだ。 アリーナが床に大の字になって寝転がるとクリフトも後ろに手をついて深呼吸をした。
 少しの沈黙。
「クリフト」
 それを破ったのはアリーナだった。
「ずーっと前にクリフト、教会の騎士団に入りたいって言ってたわよね?」
「……」
 クリフトは返答に困った。確かに言った。それでも、今は躊躇している。 自分には向いていない。体力も力も度胸もない。
 飛び級してからというもの、ニックとは授業が別になってしまい、話す機会は随分と減ってしまったが 彼は今でも夢に向かって勉強しているのだろう。 しかし、自分が騎士団に入るという夢は非現実的にここ最近は思うようになってきている。
「私ね、クリフトがどっか行っちゃうのいやなの」
「姫様…」
「だから、騎士団には入らないで」
 クリフトはアリーナの顔を見なかったが、どんな表情か容易に想像できる。 強く見据えるあの瞳で今、自分に話しかけているのだろう。わがままで駄々っ子なのだから。
「私は…」
「神官長が言ってたの。学校で成績のいい卒業生はお城にこられるんだって」
 サントハイム国家とサラン司教区との教会勢力との関係は他国と比べても、歴史上においても類を見ないほどに関係が良い。 神学校の中で優秀な卒業生は研究・教育・祭事のために国家に招かれ、城で働くことができる。 しかし、適格者がいなければ何年もの間採用がない程の難関でもあった。そして、聖職者として昇叙の道も狭くなる。 飛び級をしている彼は同じ年頃の生徒よりも早く将来の道を決めなければならない。神学校は16歳で卒業だ。 11歳でありながら、飛び級を重ねた彼にはわずかな時間しか残されておらず、選択を迫られている事実。 クリフトにとっても難しい道であり、また高位の聖職者になる道も捨て切れなかった。
「姫様、私にはまだ…決められません…」
 クリフトは慎重に言葉を選んだ。自分の意思すらも、まだ自身がわかっていなかったから。
「なって!クリフトが騎士にならなくてもいいように、私が強くなってみせるんだから!」
「姫様…」
「約束して。ずっとお城にいますって」
 クリフトは少し考えた。考えたけど、わからなかった。でも、それもいいかと思った。
「約束します」





 水曜日。
 クリフトは高等教育過程になって始まった古代文字・神聖文字の授業中にぼんやりと窓の外の木を眺める。
 ブライに怒られて以来(といってもたったの3日)、アリーナは城を抜け出してサランに来ることはなかった。 来ないと来ないで寂しい。あまりにぼんやりしすぎて授業の内容はまったく頭に入っていないが、この科目はクリフトにとって 得意な教科であった上に来年一年分の内容を修得済みのため、さして教師も気にしてはいないようだった。
 ニックとは最近、話をしていないけどどうしているかな。
 急にそんな思いが彼の頭に浮かぶ。彼は隣の部屋だがここずっと、何度か朝と夜の挨拶をしたくらいだ。 久しぶりにニックと話をしたいと思った彼は夜、隣の部屋を訪ねた。


 クリフトを迎え入れたニックは改めて並ぶとクリフトよりもずっと背が伸びていた。
 ベッドに彼は座り、クリフトは勉強机の方の椅子に座った。
 クリフトは部屋を見回す。彼とまったく同じ部屋のつくりだ。 狭い部屋にベッドと勉強机と椅子、小さな箪笥。小さな窓。まったく同じ作りだが、それなりに整頓されているクリフトの部屋と 比べると床の上に置きっぱなしの勉強道具や壁に立てかけられた剣の練習用の木の棒など多少散らかっているように見えた。
「最近、クラスのみんなは元気?」
 クリフトは一緒に勉強していた同じ年のクラスメイトのことをたずねた。 ニックは笑顔で、相変わらずだよ、と頷く。そして、クラスメイトの誰がドジをした、とかそんな他愛もない話をしていた。
 話に聞くと、4年間の初等教育を済ませた後、勉強に来ていただけの貴族の子はほぼ全員、上級の教育過程に進むことなく学校を去ってしまったらしい。 これからは家庭に戻り家を継ぐようになるのだろう。残っているのは純粋に神の道を志している者だけだということだった。
 クリフトはあまり彼らとは親しくなかったが、知らないうちに彼らと別れることになってしまっていたことに 寂しさを覚えなくもなかった。 彼らには試験の結果を不正だと因縁をつけられたこともあったが、クラスが変わり時間がたった今となっては懐かしい気もする。
 ニックは2つのコップに水を注いで1つをクリフトに渡すと、またベッドに勢いよく座る。
「クリフトのほうは?勉強難しくないのか?」
「難しいけど、それでもやりがいはあるよ」
「中等教育過程に入ったら科目が増えてさ。俺、勉強苦手だから教えてくれよ。特に神聖語学」
「うまく教えられないかもしれないけど、それでよかったら」
「良かった!」
 クリフトはかねて訊いてみたかったことを尋ねることにした。
「ニックは騎士団に入るっていう夢、まだがんばってる?」
 ニックは真剣な表情を見せるとコップの水面を見つめた。
「…うん。体も鍛えてる」
「私は…神官になろうかと思うんだ」
 クリフトは結論だけ先に伝えた。ニックはしばらく間を空けてから、
「そっか。クリフト、弱っちぃもんな、泣き虫だしな」
「ここずっと泣いてなんかいないよ」
その言葉に苦笑した。ニックからもそう思われていたのか、と。
「そっか、お城で働ける神官かぁ、偉くなるんだなぁ」
「まだ、なれるかわからないよ」
 ニックはうつむいたままクリフトを見ない。
「お前、弱っちけど、頭だけはいいもんなぁ。お前ならなれるよ」
「ニック…?」
「飛び級してて、先生達からも信頼されている優等生のお前がなれなかったら、誰が神官になれるんだよ…」
 ニックの声が震えている。クリフトはニックの様子に不自然なものを感じた。
「俺なんて…俺なんて…」
「ニック、一体…?」
-どうかしたのか?
 クリフトは立ち上がり、彼の前に行こうと一歩踏み出そうとした。

「今日は帰ってくれよ」
「…え?」
 クリフトは呆然と立ち尽くした。
「…頼む、一人にしてくれ」
「でも、ニック…」
 クリフトはそれでも食い下がった。何か不自然なものが気になって仕方が無い。
「…いいから、大丈夫だから…」
「…わかった。何かあったら言って…」
 肩を落としドアを静かに開ける。
「ごめん」
 クリフトはそう謝らずにはいられなかった。
 うつむいたままのニックは何も言わなかった。

 それが、この二人の最後の会話だった。




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