『回顧』



 クリフトは目を伏せた。
 あまりにも強大な邪気に無意識に背けた顔。
 南方の軍事国家キングレオ。噂だけは聞いていたが、実際に目にするとその城は 王の居城というよりも軍事要塞のようだ。
 その城壁の脇で、クリフトを含めた突入組みは各々の装備の確認を進めていた。
 透き通るような刀身。やはり、本職の武器屋の手入れは格が違う。 クリフトはその刀身に聖水をかけると、仲間達の無事を神に祈った。
 そこへ占い師が近づいた。
「クリフトさん。お願いがあるのです」
「ミネアさん…。どうかしたのですか?」
 その決意に満ちた瞳にクリフトは気圧された。
「私に…行かせて欲しいんです。交代していただけませんか?」
 ミネアはそう言うものの、消耗は激しいことはすぐに見てとれた。 突入に必要な鍵を得るために錬金術師の地下研究所に入り、奮闘した彼女は とてもじゃないが強大な魔物と対峙できるようには見えなかった。
「父の敵をどうしても、この手で討ちたいのです」
(…間違っている…)
 彼女の身の安全もあるが、クリフトはどうしても『敵討ち』という動機を認められなかった。 神の教えがどうあるか、口をついて出そうになるのを信仰が違うのだから、と抑える。
「…しかし、これは勇者様のご決定です」
 人の力を借るしかないが、クリフトははっきりと拒否した。
 ミネアはその言葉に険しい表情を見せた。
「……お願いします」
「貴女はすでに消耗しています。私からもお願いします。 この戦いに作戦通りに万全の体制で望むことを。 罪を裁くことよりも、どうか仲間のことを。何より、 この世界の人々のことをお考えください。」
「…………っ。わかりました…」
 それでも尚、悔しそうな表情を残しながら、ミネアが馬車へと戻っていくのを見送ると、安心からため息がもれた。

「突入組、集合してください」
 クリスが小さな声と大きな身振りで呼んでいるのに気が付いて、クリフトはすぐに城壁の近くで身を潜めるように 張り付く彼女の元へと走った。
「見張りはブライさんが眠らせてくれました。後続は彼らに任せて、あたし達は突入します」
 見たこともない程に真剣な顔をしたマーニャが、そして、鉄の爪を装備したアリーナがそれぞれ頷いた。
「クリフトさんと、必要なときはあたしも回復魔法などで支援します。お二人は思い存分にやっちゃってください」
 今度はクリフトが頷いた。
「それでは行きます」
 そう言って、武器を抜いたクリス。
 歩き出した彼女に続くアリーナにクリフトは恐る恐る声をかけた。
「姫様、昨晩は…」
「…………いいのよ。きっと、疲れてたからつい寝てしまったのよね?…だから、もういいの」
 小さく、低い声。クリフトは唇を噛んだ。
(……なんて、愚かなんだ。私は)
 泣きたくもなるが、今はそんなことを気にしている場合ではない。ミネアに説教したように、 自分もこの世界のためを考えなければならない。
 クリフトは剣を握る拳に力を込めた。



 重い扉を手に入れたばかりの魔法の鍵で開けると、クリスはそのドアを思い切り蹴り開けた。
「マーニャさん、秘密の入り口へ案内お願いします!」
「こっちよ!」
 走り出す二人をクリフトとアリーナは追うように走る。

 目の前に現れたのは近衛兵をなぎ倒す戦士の姿だった。
「あの人が、最後の導かれし者のライアンね!」
 妹の占いを最も信頼するマーニャは確信した声でその戦士の姿を呼んだ。
 桃色の異国の鎧に身を包んだ戦士。
「あの方は…以前に…」
 旅の扉で出会った戦士。
(やはり、…神のお導きなのか)
 そう思ったクリフトは躊躇いなく、戦士の背後に迫る近衛兵に棟打ちを食らわせた。 交わる視線。
 戦士は4人の姿を見て感極まったようにクリスの手をとった。
「お告げの通りのお姿…!貴女が勇者…!」
 クリスは戦士の手に自分の手を重ねた。
「貴方の力が必要なんです。どうかあたしに力を貸してください!」
「もちろん。そのために俺は今まで旅をしてきた」
 その姿は筋骨逞しく、隙もない。
 かなり腕が立つことは間違いない。
「貴方はあのときの聖職者様…いや、今はそんなことを話している場合ではないな」
 まさしく戦士の瞳を持つライアンの言葉にクリフトも頷いた。
 これで目的の一つを果たした。

 あとはこの国に巣食う魔物を退治することだ。
 クリフトは、石壁の向こう側、肌に感じる邪気の源を睨んだ。
 マーニャはすぐに隠し扉の引き金を引いた。
「決戦よ、バルザック!」
 石の壁にしか見えなかったというのに、重い石はぎしぎしと音を立てて、その入り口を開いていく。
 クリフトは呪文を詠唱した。
 戦闘の始まる前に最も前線で戦うアリーナとクリスに、スクルトよりも単体に効率の良い守備力を高める魔法スカラを かけるためだ。
「姫様、今のうちにスカラをかけます」
「…私はいいわ。守備力の低いマーニャにかけてあげて」
 呼び止めたものの、アリーナに断られたクリフトは仕方なしに詠唱した呪文をマーニャに放った。 マーニャが不思議そうに見ているが、緊張しているのか、いつものような軽口は叩かず、
「…ありがとう」
と、一言だけ返ってきた。


 後続の兵士を戦士に任せ、飛び込んだ先に見えた玉座。そこに佇んでいたのはライオンの姿をした化け物だった。
「バルザックはどこ!?」
 マーニャの叫び声。どうやら目の前の魔物は姉妹の仇ではないようだ。
「答えなさい、キングレオ!」
 キングレオと呼ばれた魔物はゆっくりと息を吐き出した。
 それだけで邪気が威圧感となり、体をびしびしと振るわせる。
 身の危険。本能的に感じ、すぐに剣を低く構える。


「やつはサントハイムにいる」

「な…、サントハイム…!?」
 思わず声を荒げたクリフトと同様に、アリーナも冷静ではいられなかった。
「どういうことなの?!」
 クリスが慌てて制するのもきかずに陣から飛び出し、切り付けた鉄の爪を その腕でこともなく受け止めたキングレオは鋭い牙を見せ付けるように笑った。
「サントハイムの城は我々、魔族の手に落ちたのだ」
「なっ…!」
 キングレオが軽く腕を振るとアリーナのその体はいとも簡単に壁へと打ち付けられ、 何度も咳を繰り返した。
 アリーナと入れ替わるように、その身を滑り込ませたクリスの斬撃もわずかにキングレオの表皮に傷を つけただけだった。
 アリーナの二の舞を踏まぬように、すばやく身を引いたクリス。
 そこへとマーニャが閃光呪文で追い討ちをかけた。
「成長しておらんな、小娘が」
 不気味に口の中から溢れる冷気。
(いけない!)
 嫌な予感がし、すぐに回復呪文の詠唱を始める。
 手前にいるクリスもまた同じ考えを持ったのか、回復呪文を唱えた。


「氷結し、砕け散るがいい!」
 周囲を溢れ出す青白い吹雪が、迫り来て、押しつぶしていく。
 訪れた白の世界。
 体が引き裂かれるような冷気。
 悲鳴が響いた。



 部屋を照らす照明の柱が倒れると、 重厚な金属音を立てて、凍りついたそれはガラガラと崩れ落ちた。
「ぐっ…!」
 呻き声が漏れる。圧力が収まるのを確認して体を動かすと、凍りついた装備から氷の欠片が割れ落ちた。
 クリフトは凍傷を負った体で膝を突いたまま仲間達の様子を伺うと、 戦士としての資質が高く体力のあるクリスがなんとか立ち上がるのが見えた。
 息も絶え絶えのマーニャ。
 そして元からダメージを追っていたアリーナもまた膝をついたまま動けない程に重症だった。
 キングレオからの追撃の前に。
「すぐに回復を…!」








 “…私はいいわ。守備力の低いマーニャにかけてあげて”







「ベホイミ!」「ベホイミ!」
 クリフトとクリスの叫び声。

 クリスが唖然としてクリフトを見た。
「クリフトさん…!」

(私は…!)


 目の前には完全に回復したマーニャと、霞む瞳で床に手をついたアリーナ。

 発動した二人のベホイミはアリーナへと向けられなかった。

「いけない!」
 クリスが慌てて、もう一度呪文の詠唱を始める。

 その様子に慌ててクリフトはスクルトの詠唱を始めた。

 その視界の端に映るキングレオの拳の中に宿った閃光。
(まさか…!)
 二人よりも早く放たれた閃光呪文にアリーナの体は力なく吹き飛ばされた。

「姫さまぁあ!」




 キングレオを睨みつけると、無我夢中で魔法を封じる呪文を唱え、クリフトは剣を構え飛び掛った。









 どうやってキングレオを倒したのかはクリフトは覚えていなかった。
 我に返ったとき、キングレオがいた玉座に座っているのは王族らしい身なりをした青年だった。
 操られていただけの王子は訳がわからないように、同じように呆然と立ち尽くす大臣と顔を見合わせていた。

「クリフト、アリーナは…?!」
 マーニャが駆け寄る。
 力なく倒れるアリーナを抱き起こしながら、何度も治癒呪文を唱え続けるクリフト。
 しかし、アリーナの瞳は閉じられたまま動き出す様子はない。 口元から流れる止まらない血液。痙攣を続ける胸元と指先。 いつ止まってもおかしくない弱い心臓の動きにクリフトは脈を調べるためにとっていた腕を強く掴んだ。
「ベホイミ!」
 何度となくかけた治癒呪文についに魔法力が底をついた。
「くっ…!」
「クリフトさん、すぐに教会の神父様に看ていただきましょう」
 治癒呪文では手の施しようがない。クリスはクリフトの肩に手を置いた。
 俗に蘇生呪文と呼ばれる、高等治癒呪文でなければ効果はないだろう。
「…れば…!」
「クリフトさん…?」
「私にザオラルが使えれば…!」
 噛み切った唇から血が流れ出した。

「私が、あのとき、姫様に呪文をかけなかったから…!」
 どうして、あのとき。
 行き場のない後悔。


 ずっと昔から姫様の微笑みだけは失いたくないと思っていたのに。



「私に、姫様を守る力がないから…!」


 その慟哭にクリスもマーニャも、そして、やってきた戦士ライアンも、 誰も一言も言葉をかけることは出来なかった。

 そして、倒れたアリーナを教会に連れて行くまでずっと温めるように抱きしめたまま離さなかった。




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実際問題、キングレオにはギラを使わせておいたほうが、楽に倒せますよね。二回攻撃で吹雪って強すぎる。