サランは重い空気に包まれながらも、平穏そのものだった。
「城から目と鼻の先だっていうのに」
 マーニャが意外そうに呟いたのをブライが聞き逃さずに、
「教会の騎士団や残った城の衛兵、自警団で守っとるんじゃ」
と、市壁の内と外に立つ戦士を指し示した。
「平和であったなら、ぜひとも手合わせ願いたいものだな」
 ライアンが感心したように頷いた。
 平穏ながらも物々しい雰囲気を含んだ町。
 馬車を引くパトリアシアがぶるぶると体を震わせた。

「クリフト!姫様、ブライ様!」
 その懐かしい声に驚いて、クリフトは振りむいた。
「ティゲルトさん!」
 その姿を見るのは旅立って以来、久しいことだ。厳格な神官はその神聖さを少しも失ってはいなかった。 ティゲルトは珍しく嬉しそうに微笑むとアリーナとブライに畏まった。
 そして見慣れない仲間にも動揺せずに、頭を下げた。
「私はサントハイム神官ティゲルトと申します。現在はこの町に留まり、国の防衛と自治の指導に専念しております」
「はじめまして」
 クリスをはじめ、全員の紹介を終えるのを待ち望んで、アリーナはティゲルトに命じた。
「ティゲルト。城の状況を聞いて急いで戻ってきたわ。詳しく教えてちょうだい」
「かしこまりました」


 状況は想像以上によくはなかった。
 各地の魔物が突如、凶暴・凶悪化し、町を防衛することに専念することで精一杯であることを、 神官や騎士団長が語るのをアリーナは閉口してじっと聞き入っていた。
「我々が守るべき城を乗っ取られたというのに、奪還するほどの力は今の我々には…」
 悔しそうに眉間に皺を寄せて、目を伏せるティゲルト。

「あたし達が…奪還します」
「あなたは…」
 突然のクリスの言葉にティゲルトは目を見張った。
「ティゲルト。この人は定めの勇者様よ。復活する魔王を打ち倒して、この世界に平和を取り戻す 伝説の勇者。だから、わたし達に任せて」
 隙のない立ち振る舞い。決意を秘めた瞳。なんと立派なことだろうか。
 そして横に控えるブライとクリフトを見る。二人とも見違えるようだ。 ティゲルトは眩しそうに微笑むと、十字を切った。
「…御武運を祈っております」



 クリフトは行き場のない憤りを抱えたまま、懐かしい大聖堂の前の広場でベンチに座り、空を眺めていた。 見慣れたサランの空は高く青い。
(…私は…姫様を守れなかった。ずっと、ずっと前から。守られてばかりだった)
 ハバリアの神父の高等呪文のおかげで後遺症もなく、今現在アリーナは元気そのものだが、 それでもクリフトが自分を許す要因とはならなかった。
 そして、アリーナが戦うというのに側で守れないというクリスの判断。あれ以上、食い下がることはできなかった。 悲しく、強く、そして、懇願するようなクリスの表情。
 クリフトはがっくりと項垂れた。
(…もう、決断するときか…)
「クリフトさん」
 そう彼に呼びかけたのはミネアだった。
「悩んでいるんですか?」
 悩んでいるのは一目瞭然。
「そうですね」
「…私がバルザックと戦うメンバーに選ばれて、クリフトさんが外されたからでしょうか?」
 ミネアが戸惑ったように、そう呟くので、クリフトは思わず目を逸らした。
「…なぜ、そう思われたのですか?」
「私はキングレオで仇と戦えない、と思ったとき、すごく辛かったんです。今までずっと目標にしていたというのに。 姉さんと一緒にバルザックを倒すと夢見ていました。だから…」
「私が姫様と共に、サントハイムに仇なす宿敵を倒して、サントハイムの人々を取り戻すことができないのが辛いのだろうと 心配してくださっているのですね?」
 さらさらと口をついて出る整理された言葉。
 ミネアはその様子に驚いたように体を強張らせた。
「それに、アリーナさんのことを…気にしているんじゃないかと…思って…」
「…気にしていないといえば嘘になります」
「それじゃぁ」
ミネアはクリフトの瞳をじっと見つめた。
「クリフトさんも前線に加わるようにクリスさんにお願いしましょう?…このままじゃ…私も…辛いんです」
 なんと優しい女性だろうか。
 ただ、その優しさが今は苦しい。
「いいえ。クリスティナさんの采配は申し分ありません。私が変更を願い出ることはご迷惑をおかけすることです」
「でも…!」
「私は…キングレオで言いましたね」
 何故か自分でわからないが、顔は微笑を浮かべていた。
「私はサントハイムをはじめ、世界の平和を願っています。全ての人が幸せでありますように、と。 神からつかわされたクリスティナさんの判断に従うことに何の異存もありません」
 神官であるということはこういうことか。無意識に出る祈りの言葉。
 ミネアは信じられない、と息を呑んだ。
「…クリフトさんは…迷っています。私にはわかります」
 クリフトはその言葉を聞いて、制服の下に下げているクロスを外して彼女に見せた。
「私は神の僕。そして、サントハイムの家臣でもあります。サントハイムを奪還し、皆のためになるのであれば、 後方支援であろうとも、光栄なことです」
「…アリーナさんを側で守らなくてもいいんですか?」
 ずきりと痛む心。
「私は…姫様の側にいるのに相応しい者ではありません。今はこの世界の平和のために側に置かせていただいていますが…」
 柔らかい風が吹いた。ミネアの紫に透き通る髪が流れる。

「この戦いが終わったら…神官の職を辞することを、決めたところです」

 ミネアが目を見開いたまま、時が止まったかのように立ち尽くしているのもわかっていた。
「心配してくださったこと、本当に嬉く思っています」
 クリフトは深く、頭を下げた。
「だから…だから…どうか、今回の戦い、姫様を…お願いします」

 擦れた声。
 その悲壮感の漂う姿に、ミネアは何も声をかけれず、逃げるように踵をかえした。






 クリスが発表したメンバーの振り分けは、クリフトが船上で宣告されたものとなんら変わりはなかった。
 荒れ果てた城内に先行し、魔物を切り伏せるクリフトはブライの背後に迫ったサイおとこの斧を弾き飛ばした。
「すまん」
「問題ありません!」
 斧を失ったサイおとこをライアンが切り裂いた。
「さあ、派手に戦って注意をひくぞ!クリス達がバルザックの下まで到達できるようにな!」
「はい!」
 今度はトルネコが回復呪文を唱え続ける厄介なベホマスライムを叩いた。
「強力なヤツばっかりですねぇ」
「だからこそ、露払いが必要なんじゃろうて」
 ブライが今まで見せたことのないような険しい顔で、際限なく襲い掛かる魔物を睨みつけた。
 杖を突き出すように構える。
 ブライの足元から青白い魔力が立ち上り、冷気の風を起こした。
 宙に無数の氷の矢が形を成していく。
 その後方で、
「邪悪と戦う者に、どうか守護を」
 クリフトは祈りを込めて十字を切った。
 神聖な白い魔法力を集中させる。
「スクルト!さぁ、皆さん、お願いします!」
「ヒャダルコ!」
 ブライの裂帛の気合と共にはじけとび魔物の群れを刺し貫いていき、 それを追うようにライアンとトルネコが飛び出し、切り込んだ。
「うおおお!」
 ライアンの咆哮が轟き、トルネコは静かに魔物の息の根をとめる。
 死骸の山を築きあげても、尚も魔物は現れる。

「クリス!今だ!」
 ライアンが叫んだ。

 控えていた4人が、切り開かれ姿を見せた謁見の間への階段へと疾走した。
「皆さん、がんばってくださいね!」
 トルネコが柔和な表情を作って、女性達を励ました。
 クリスがにやりと笑う。
「さっとやっつけて戻ってきますね!」
 駆け抜けていく勇ましい仲間達。まだ、若い彼女達はそれでも強く、頼もしい。
「!」
 クリフトの横をアリーナが駆け抜けた。
 いつも憧れて、目で追っていたその姿が、今では苦しい。
 一瞬だが、随分と長く感じられた、そのすれ違いの一瞬。
 一言も声を掛けられないままだった。

 彼女達が謁見の間へと続く階段を登ってすぐに、大きな振動が何回も響き、城が呻いた。
 びしびしと大きな柱が振動する。
 後続の魔物が彼女達を背後から襲わないように、そこに背を向けて陣を組む。



 そして、しばらくして強大な魔の気配が消えた。

 それをクリフトが真っ先に感じ、階上を見上げた。
「終わったのかの?」
「そのようです…」
 ブライの問いかけにクリフトは確信を持って頷いた。
 ライアンとトルネコも安心したように剣を下ろした。
 いつの間にか魔物達は恐れをなしたかのように引いていた。

「クリフト、付き合ってもらいたい場所があるんじゃ」
 城内に静けさが戻ったのを感じて、ブライが歩き出した。
「しかし、姫様やクリスティナさんと合流してから…」
「城の機密じゃ…」
「いいですよ、わたしがうまく言っておきますよ」
 トルネコが融通を利かせて手を振った。




 そこは城の宝物庫だった。
「ここには、魔法大国と呼ばれる我が国に伝わる品がしまい込んであるんじゃ」
と、ブライは先日、錬金術師の研究所で手に入れた鍵を取り出し、クリフトに手渡した。
「これで開くはずじゃろう」
 カチリと音を立てて、重い扉が開いた。
 その扉を開く。
「これからの旅に役に立ちそうなもんがあったら拝借するぞ」
「わかりました」
 見渡す限りの魔法の杖や魔道の書。価値のありそうな貴金属、宝石類。そして、何に使うのかわからないような怪しい品物まで。
 ブライがその中から杖を見つけるのが見えた。
 そして、クリフトが奥へ奥へと進むその途中。

 ぞくり、と、背筋が凍りつくのを感じた。

 何かがある。
 クリフトは周囲を見渡した。
「これは…」
 二つの呪文書。
 一つは金細工の施された神聖なもの。
   そして、もう一つは頑丈に鎖で封じられている。
 先程の気配はこれに違いない。クリフトは微かに震える指でその鎖の錠に魔法の鍵を差し込む。
 …外れた。

 気配でわかる。これは、触れてはならないものだ。
(しかし…!)
 これで、もしかしたら、力を得られるのかもしれない。
 その欲求に打ち勝つことはできなかった。
 その呪文書に書かれている言葉を見つめる。その呪文は聞いたこともなかったが、その効果はすぐに読み取れた。
 神に仕える者として触れてはならない呪文であることも。

 そして、もう一つは神に愛された者のみが与えられる呪文。

「おーい、何かあったか!?」
 ブライが杖を片手に笛を片手に現れた。
 クリフトは閉口したまま、首を振って否定した。
「そうか、ならば、そろそろ戻るぞ」
「はい」


 ブライの後について向かうクリフトは二つの呪文書を隠すように抱えた。
(これさえあれば…!)


(聖呪ザオリクと即死呪文ザキ…。これで私は…!)



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