『禁呪』



「大司教様、ご無沙汰しております」
 クリフトは遥か壇上の大司教を見上げた。大聖堂内は薄暗く、 灯された蝋燭の炎では顔まで見ることはできないが、それでも懐かしいと思った。
「クリフトか。立派になったな」
「全て、私の命を救ってくださった大司教様、神官長、陛下、多くの方に育まれたからこそ。 全て、神のお導きです」
「会いにきてくれて嬉しく思うよ。旅の間の話でも聞かせてくれるのかな?」
 クリフトは微笑んだ。
「今日はお願いがあって参りました。ただ、少しだけ脱線しますが、 コナンベリーの大司教様から『貴方の仰った意味がわかりました』と伝えて欲しいと頼まれました」
 大司教は懐かしそうに目を細めた。
「そうか、テオドールか。あの者も神に愛された男だ。ソレッタ地方に信仰を広めるために大司教に抜擢された ほどの切れ者だ。お前も話をして良い経験になっただろう」
「はい」
 一応、頼まれた通りに言葉を伝えると静かに大司教を見上げた。 本題に入りたい。
「懐かしい名を聞けて嬉しかった。ありがとう。して、お前の用とは何かな?」


 クリフトは静かに、しかし、はっきりと口を動かした。


「懺悔を聞いてくださいますか?」


「お前がそう望むのならば、懺悔を聞こう」

 クリフトは跪き、クロスを握った。
「私は罪を犯しました。許されない想いを抱き、そして、高貴なお方を傷つけました」
「…」
「そして、周りにいる多くの人も同じように傷つけました」
 脳裏に浮かぶ、悲しそうなミネアの顔。そして、ブライ。クリス。みんな。誰よりも、アリーナ。
「私はここでこの想いを清算し、神の僕として邪悪と戦い続けることを誓います」
「罪を赦そう」
 大司教の声。神の代弁者の言葉。
 クリフトは面を上げずに続けた。
「そして、私はこれから邪悪と戦うために、先程、罪を犯しました。神の僕としてあってはならぬことです。 これからも、ずっと。この戦いが終われば、私は全てを償います。どうかお赦しください」
「……」
 大司教からの返答はない。
「……」
 クリフトは静かに言葉を待った。
「懺悔の心のない言葉に赦しを与えることはできない」
「………………………お赦しください」
「できんよ」
 クリフトは立ち上がって大司教を見つめた。 やはり、その表情は読み取れないが、何故か泣いている、そう感じた。
「出て行きなさい。これ以上、話すことは何もない」
 大司教は出口を指差した。光の溢れる外界を。
 クリフトは言われるままに踵を返した。
「しかし、クリフト。お前はまた、ここを訪れるだろう。その日を待っておるよ」
 その言葉に振り向かず、クリフトは外へと向かった。
 
 悲しくはなかった。
 全て、この世界のために。
 バルザックを倒しても、尚、戻らないサントハイムの人々のために。
 次の目標は復活すると予言される魔王を倒すこととだ。
 新たな信念は揺らぐことはなかった。



「今日からまた船で北方スタンシアラに向かいます!」
 クリスの宣言に従い、仲間達は北の国、水の国スタンシアラへと航路をとった。
 定めの勇者が身につけるという天空の武具の一つがその町にあるらしい。
 少しでも魔王を倒すために力をつけられるのであれば、それで構わない。 クリフトはもちろん、アリーナもブライも反対する理由はなかった。 意外なことは姉妹がバルザックを倒しても、まだこの旅に同行しているということだ。 きっと、彼女達なりに信念があるのだろう。
 クリフトは見張りをしながら、違う方角を見張るマーニャを盗み見た。
 なにやら、クリスと話をしているようだ。 真剣そうな雰囲気が見て取れて、話しかけるには気が引ける。 クリフトはそう思い、再び海と空を眺めた。
 海は平穏そのもの。
 ただ、気が付けば澄んだ空気が冷気を帯びてきていることに北上していることを自覚した。 東方に見えるサントハイム大陸もそろそろ途切れるころだろうか。
 城に戻るのは、まだしばらく先になるだろう。
 全てを清算するのはそれからでいい。
 サランの町にいた騎士団達の姿が突如、思い浮かんだ。
(そういえば、ニックも今、サントハイムのためにどこかで戦っているのかもしれないな)
 懐かしい旧友のことを思う。
 書いた手紙はそういえばどうしただろうか。
 学校を卒業したときに荷物を整理した。そのときに引き出しの奥から見つけたことだけは覚えている。
(ニック…。会って、話をしたいな…)
 クリフトは防波壁に手をついた。少し、感傷的になっているのかもしれない。 情けないな、と己を蔑んだ笑みを浮かべた。

「!」
 ぐらぐら、と船が大きく何度か揺れた。思わず、よろめき、甲板に膝をつく。 防波壁を越えて波がざぶり、と入り込んだ。
「クリフトさん!こっちに魔物です!」
 クリスの声に慌てて、走る。足元が不安定なために悪戦苦闘しながらもなんとか辿り着いたとき、 マーニャが海の中の魚型の水棲系モンスターに炎の塊を投げつけたところだった。
「クリフトさん!上!」
 クリスの言葉に反応して身を翻す。
 エイの形をした魔物がまるで水中を泳ぐかのように空を泳ぎ、その刃のようなヒレを振っていた。
 間一髪、その一撃を避けたクリフトはすれ違い様にそのヒレを切り落とした。
 片翼を失った魔物は甲板の上でびたびたと体を動かしていたが、すぐにクリスがその胴体に剣を躊躇なく 突き刺した。
 絶命した魔物に安心する間もなく、襲い来る第二派。その数、5。
 海中の魔物を相手するのに手一杯なマーニャに変わって、クリスが呪文を唱えた。
「弾けとんで!イオラ!」
 周囲の空気をかき集め、魔物の中心に魔力が凝縮し、そして、爆風が辺りをつつんだ。
 余波で制服の裾がバタバタと振られる。衝撃に思わず顔を庇ってしまう。
「今、習ったばっかりだけど、うまくできてよかった」
 クリスの放った爆発呪文は空を泳ぐエイ達をすべて吹き消したようだ。どこにも影はない。
「こっちも済んだわ」
 マーニャは言葉とは裏腹に、険しい顔で海面に何かを探し続けている。
 多少数は多かったが、くらげやあんこうの変異種の魔物が船を押したくらいで、あれほどに揺れるものだろうか。
 マーニャの様子に気が付いたクリフトがすぐにその場から離れて海面を覗いた。

 不気味な影が見えた。

 この影は。
「首長竜!?」
 図鑑で見たことのある、海の竜の一種。
 こいつが海中から船を押したのか。
「このままでは…!」
 一人で相手できるものではない。すぐに二人に支援を求めるべく、振り向こうとしたそのとき、
「!」
再び、船が大きく揺れた。

 視界が、回転する。
 その視界の端に慌てた二人の姿が目に入った。

 冷たい海中に体を飲み込まれると、大きな首長竜の胴の真横だった。なんと巨大な。
「!」
 船を押そうと体を動かす首長竜の足が迫る。
 足だけでクリフトの体の倍以上あるそれが、直撃すれば体は二つに裂ける。
 服や装備が重過ぎる。身動きの不自由な中、 咄嗟に剣を抜き、胴を突き刺すと、それを支えに体を流す。あたりが赤く染まった。
(そろそろ、息が…!)
 ごぼり、と空気が泡となった。
 直撃はなんとか避けたが、首長竜の怒りを買ったようだ。 薄暗い海中に首長竜の赤い瞳がぎらりと光った。
 肢体を食いちぎるべく、その頭をこちらに旋回させている。 その、鋭い牙がクリフトに向かうのに一瞬の間も必要としなかった。

(冥府の王の名に於いて、死を与えるべし)


    “ザキ”




「!!」
 なんとか海面まで、必死に浮上したクリフトは酸素不足で青い顔をしながら咳き込んだ。
「クリフト!大丈夫!?」
 クリスとマーニャが身を乗り出すように、クリフトの名を叫んだ。 ロープを投げてやろうとした、その手がとまる。
「クリフトさん…それ…」
 海面に浮かぶ、首長竜の死体。
「一体、どうして…?」
 マーニャもその死体を観察して、体が震えた。
 その魔物の体は驚く程に安らかだ。
「すみません。ロープを投げてもらえませんか?」
 クリフトの頼み込む声に、我に返った二人は慌ててロープを投げた。
 トルネコとミネアがタオルを渡す。
 どうやら、協力な魔物の気配に船室から飛び出してきてくれたようだ。
「クリフトさん、さっき……ものすごい、黒い魔力が…」
 クリスの青い顔。
「…大丈夫です」
 クリフトは今だ青い顔をしたまま、微かに笑った。
「クリフト君。体も冷えてしまったでしょう?わたしが代わりますから、部屋に戻ってください」
 トルネコの親切な申し出に甘えて、クリフトは船室への階段を降りた。

「クリフト」
 その声に驚いて、声の主を見る。
「先程の気配、お前さんじゃろう?」
「…はい」
 怒ったような老魔法使いは杖でクリフトの体を指した。
「その魔法は、お前さんの身を滅ぼすぞ」
 青い顔は呼吸が出来なかったからでも、体が冷えたからでもない。
 強力な魔法力の消費からだ。
 初めて使った即死呪文は慣れないためか、想像以上に体力を奪っていった。
「…少しでも力になれるのなら、私は本望です」
「馬鹿なことを言うな、若造が」
「私は神の尖兵ですから」
「……この大馬鹿者が」
 クリフトは静かに頭を下げた。
「すみません。ブライ様」


 神の尖兵なのだから。
 だから、私が命を失ったとしても、それは何の後悔もない。
 少しでも、この世界のためになるのなら。
 アリーナの住む世界が平和を保てるのなら。
 例え背徳の呪文であっても、神の剣となるだろう。


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