水の大都市スタンシアラ。
一風変わった都市であることはよく評判で聞く。
クリフトは宿屋の窓のカーテンを開けると、外を見た。
朝日を反射して町中がキラキラと輝いている。スタンシアラという都市国家は都市の中に水が入り込み、
物資の調達などのために利用されている。そのためにも、人々の移動にもいかだはかかせない生活必需品となっているようだ。
朝日が昇っている最中だというのに、早速、食料品などを積んだいかだが見える。
クリフトは当然のこととして、祈りの言葉を唱えた。
今日はスタンシアラ王に天空の武具を頂くために
王城に上がることに慣れている、アリーナ、ブライ、ライアンを連れてクリスが出かけることになっている。
他のメンバーは束の間の自由時間だ。
「クリフト。剣の稽古をするが、付き合うか?」
今回、同室になっていたライアンもクリフトに負けず朝が早い。
簡素な服に着替えたライアンが愛用の破邪の剣を片手に立ち上がった。
「お願いします」
クリフトも頷くと、剣を片手に外に出た。
別の部屋でブライとトルネコが窓の外から、剣の稽古に励む二人を見ながら話をしていた。
「…たしかに、あのときの魔法は何か薄ら寒いものを感じましたね」
「ワシはこの町では別行動を取ることになってしまうでな、どうかあの馬鹿者を見てやっていて欲しいんじゃ」
ブライは呆れたようにため息をついた。
「…もちろん。大切な仲間ですからね」
トルネコは笑顔で頷くと、その恰幅の良い胸を叩いた。
「アリーナさん、今日はよろしくお願いしますね」
「うん。だいじょうぶ。慣れてるから」
「よかった。お城って、どうしても緊張しちゃって」
まだ、寝ぼけたアリーナに話しかけながら、クリスはその爪に鮮やかなエメラルドの色をつけた。
マーニャと旅をするようになってすぐに彼女に選んでもらったものだ。
それ以来、気に入って欠かさず塗るようにしている。
「うー、マニュキアの匂いがする」
「ごめんね。渇くのに時間がいるから早めにつけようと思って」
アリーナはその匂いに無理やり覚醒を促され、仕方なしに布団をはねのけた。
城のメイドに見つかれば、はしたない、と怒られてしまうような作法だ。
体を起こしてみれば、寝癖のついた髪が視界に入って、アリーナはその髪をかきあげた。
「もう。みんな朝早いわよね」
「…たしかにね」
と、クリスは笑った。
「私はまだ、そうでもないけど、トルネコさんは“早起きは三文の徳”って言うし、ライアンさんは早朝稽古の
ために必ず起きているし、ブライさんもクリフトさんも規則正しいものね」
アリーナは髪を梳かしながら、思い出したかのように呟いた。
「あ、マーニャは夜型よね!今度からマーニャと同室にしてよ」
「だーめ。二人を一緒にしたら、いつまでも寝ていそうじゃない。マーニャさんにはミネアさんがついていてくれるから
安心なのに」
クリスは爪を乾かそうとぶらぶらと振りながら、
「団体行動、ですからね」
と、付け足した。
「そりゃそっか」
アリーナはいつもの服に袖を通しながら、この服では城に上がるのには不都合があるか、と気が付いた。
ごそごそと王女として恥ずかしくないようなドレスを探してみるが、考えてみれば自分で管理していなかった。
急いで片袖だけ通していた服を着てしまうと、ドアを開けた。
「ドレス、とってくるね」
コンコンと、クリフトのいるだろう部屋のドアを叩く。
しかし、何時まで待っても返事はない。
仕方なしにドアを押してみるが、鍵がかかっているようで、ドアノブは回らない。
「クリフトー!いないの?」
何の反応もない。
アリーナは困ったように、周囲の廊下を見回した。
「クリフト!」
がちゃり、と隣の部屋のドアが開いた。怒ったようなブライがドアから覗き込むかのようにアリーナの姿を
探した。すぐにその姿を見つけると潜められた声で言った。
「姫様、他の宿泊の方に迷惑がかかりますぞ。もう少し静かにいただかんと」
「ブライ。クリフトはどこにいったのかしら?ドレスをもらおうと思って」
「ライアン殿と剣の稽古に行きましたぞ。少ししたら、戻ってくると思います」
「え…」
アリーナは呟いた。
「そっか。剣の練習か…」
「どうかしましたかな?」
「ううん。なんでもない」
「あとで、お部屋までドレスを届けるように伝えときますわ」
ブライの言葉にアリーナは頷くと、とぼとぼと部屋に戻るべく、来た廊下を歩く。
(そうよね。このサントハイムを救うために戦うんだもん。クリフトも頑張ってるんだよね)
三人での旅の間、クリフトはずっとアリーナに付いていた。
危険がないようにだったが、それでも過保護なくらいに四六時中一緒だった。
それが仲間と合流してからは話すことも随分と減ってしまっている。
ハバリアでの一件がずっと、心に重く伸し掛かっていたのもあるが、
クリフトが病気になる随分前から、あまり自然に接していた記憶がない。
クリフトが剣の練習をしていることも知らなかったほどに。
身辺警護には同性のクリスやマーニャ、ミネアを全面的に信頼して任せている節もあった。
(クリフト。あなたはもう私の家臣ってだけじゃないのね。
私だけじゃなくて、世界を守るために旅をしているのね)
でもアリーナはそれでも良かったと思った。
ずっとお互いを意識してしまって、ぎこちないままでいれば仲間に迷惑をかけるだけだ。
こうして使命のみを意識して戦いに専念できる方がずっといい。
(これが一番いいのよね、クリフト…?)
でもどうして、こんなに息が苦しいんだろうか。
部屋に戻ると、クリスはすでに準備はできていた。
「?ドレスを取りにいったんじゃなかったの?」
「クリフトが剣の鍛錬中でいなかったの」
「そうなの」
と、クリスは目を丸くして、ようやく乾いたエメラルドの爪を唇にあてた。
「今度、あたしも混ぜてほしいなぁ」
ライアンの剣の腕は誰もが求めるところ。クリスも剣を心得る者として憧れがあった。
コンコン、ドアが遠慮がちにノックされた。
「姫様、ドレスをお持ちいたしました」
クリフトの声だ。
アリーナは急いでドアを開けた。ドアよりも数歩下がった位置で、クリフトは待っていた。
久しぶりに面と向かうクリフトは、改めて見ると随分と筋肉がついたように見えた。
気のせいだろうが、背も伸びたように見えた。
「姫様、どうかなさいましたか?」
不思議そうにドレスを差し出したままのクリフトがやはり遠慮がちに尋ねた。
「ううん。なんでもない」
ドレスを受け取る。
「クリフトは今日、どうしているの?」
「…すこし、この周辺で剣と魔法の鍛錬を積もうかと思いまして」
「そうなんだ。…変わったね、クリフト」
「…いいえ。私は昔から、何も変わっておりません」
「そうかな?前は戦うのは好きじゃないって言っていたから」
クリフトは優しく微笑んだ。
「ずっと…。…いえ、それでは失礼致します」
踵を返して引き返すクリフトの背中を見送る。
言いかけた言葉を追求したい気持ちを抑え、アリーナは部屋に戻った。
「クリス、ご飯を食べて出かけましょう。今日もがんばろうね!」
戦慄の風が吹き抜けて前髪を揺らした。そして周囲を威嚇する漆黒の闇。
その手の内にある何者も触れてはならない魔力。
こんなに冷たい魔法力に触れる日が来るとは思ってもいなかった。
暗い北の大地の森の中。魔物に囲まれていた。別段、望んだわけでもないが、その魔力に引かれてきたのか。
仲間はいない。
ただ一人だ。
「死を与えます」
ザキ。
ザキ。
ザキ。
生きているかのように傷のない、数刻かけて築き上げた魔物の屍の山。
流石に息は上がってきたが、ようやく慣れてきた。
消耗は激しいが、この呪文を扱うことが出来るほどには。
「もう少ししたら上位呪文も扱えるはず」
呪文書に書かれた、ザキの上位呪文ザラキ。
これも、もう少しで修得できる。
多分、もうキングレオで使うことのできなかったザオラルも扱える。
共に持ち出したザオリクの呪文書の修得にはまだ遠いがしばらくはこれでも十分だ。
“…変わったね、クリフト”
(変わってなどいません。昔から、私は神に仕え、サントハイムに仕えています)
―貴女様を想う心も変わりません。だから、貴女様の世界を守るために、私は戦うのです。
―ずっと、貴女様と想いは共にあります。
(これは…いけないかもしれませんねぇ)
眼力鋭く、その様子を影から見つめる商人はそっと、その場を離れた。
NEXT
BACK