『孤城』


 夢を見た。不思議な夢だった。まるで空間を飛び越えて、宙から覗きを働いているかのような鮮明な夢を。

 森の奥、湖面に浮かび上がるかのように築き上げられた丘の上の小さな塔と村。
 そこに住んでいるのはホビットや動物達。人間の犯すことのない不可侵の聖域を思わせる、 畏怖すべき緑。

 そこに広がる笛の音の怪しくも懐かしい響き。

 誰か、なんて知らなかった。
 ただ、女性はとても悲しい目をしていて、
 男も戸惑ったような顔で、
 エルフの女と魔族の男は、
 それでも、とても純粋で美しく、
 愛し合っているだろう、その微笑みは、
 弱く、迷った自分の醜さを照らし出しているかのようで苦しくなった。


“ピサロ様を止めて”



 ピサロ。今の男が倒すべき宿敵デスピサロだったというのか。

 目が覚めたとき、自分が泣いていることに驚いた。
 早朝の涼やかな空気が嫌でも意識を現実に引き戻していく。 クリフトは部屋の中を見回した。…昨日の深夜に到着したイムルの村の宿屋だ。 夢の中の幻想と現実の空気。それらが交じり合う、心がざわめき立つような違和感に頭を押さえた。
 目指す敵を倒すように懇願されているというのに。なぜ、こんなにも悲しいのか。 このことを悟られないように、クリフトは同室のブライが起きないうちに何度も何度も顔を洗った。






 その日、先頭に立ち、魔物を切り伏せるクリスはとても機嫌が良さそうには見えなかった。 それはそうだろう。夢の中でとはいえ、自分の宿敵が幸せそうに微笑んでいたのだから。
 他の仲間達に気を使ってそうではないように振舞っていたが、 その様子はとても痛々しく、返って辛かった。
 イムルの村では変な夢を見るらしい。という噂は聞いていたものの、その内容は想像を遥かに越えていた。 まさか、追っていた宿敵を倒すことを願う言葉をその恋人からきくことになる夢とは。
「…何を勝手なことを」
 そう、クリスが苛立って呟いたのをクリフトは聞こえなかった振りをした。
 ああ。
 なぜだろうか。彼にとって二人はとても美しく見えた。まるで世界の善を形に示したような。 なぜ、そう見えたのだろうか。自分は神の意思に疑念を抱いているとでもいうのか。
 そんなことは他の誰にも、もちろん言うことはできない。 クリフトは深くため息をついた。


 馬車の目の前に岩の山が近づいてきた。
 この岩山の向こう、女性だけが住むという国、ガーデンブルグに天空の盾が眠っているのだという。 本来、この盾が伝わっていたバトランドでは、何代か前の国王の時代に友好の証として 贈られたらしい。
 その国交は何年も前に火山の噴火により閉ざされてしまっている。
 それがこの目前の岩山だ。
 溶岩の固まったその岩山は不気味なほどに黒く、堅い。 クリスが剣の鞘の先でつついてみて、苦笑いして振り向いた。
 安全のために男性陣が協力しながら、馬車をわずかに離れた高い岩の上に上げる。 その高さを確認して、クリスが言った。
「ブライさん、お願いします」
 ブライはサントハイムの宝物庫から拝借したマグマの杖を構えた。 前日の出発前の会議でこの杖で岩山を解決できるだろうと、ブライとクリフトは進言した。
 尚も疑いの眼差しを送るライアンやトルネコ、アリーナを尻目にクリフトは確信の目でブライを 見守った。
 ブライは岩の麓に突き刺された杖に向かって叫んだ。
「大地の咆哮と共に。その力を見せるがよい!」
 呼びかけと共に、唸り声の上げる強震が一帯を襲った。 マーニャとミネアが慌てて馬車にしがみ付き、 バランスを崩したトルネコをライアンとクリフトが慌てて捕まえ、 アリーナはバランスを取るべく、両手を地面についた。
 集中するブライの横で不動のクリスが地を見て呟いた。

「大地が…割れる!」

 亀裂はまっすぐに岩山へと向かい、赤い灼熱のマグマを呼び覚ました。
「すごい…!」
 ミネアが呆然としている。
「やるじゃない、おじゃいちゃん!」
 全てを赤く照らし出すそのマグマを眺めてマーニャが にやりと笑った。
 クリフトは岩山を見上げた。
 熔けていく。
「これなら、いけますね」
「半信半疑でしたが、とんでもない杖だったんですね」
 その暑さに汗を拭いながら、トルネコが恐れ入ったように肩を竦めた。 ライアンも同様に、閉口してそのマグマを眺めている。
 そのどろりとした赤い地獄が収まるまで、不思議なことに時間はかからなかった。
「魔法大国サントハイムの力はお見せできましたかな?」
 ブライが杖を引き抜いて、鼻息荒く得意そうに胸を張った。
「やったわね、ブライ!」
 アリーナが嬉しそうにはしゃいでブライに飛びついた。
 見上げる先には、馬車が通れるほどの幅に黒い岩がくり貫かれて遥かガーデンブルグの空が 青く広がっている。
「さすがです!さぁ、先を急ぎましょう!」
 天空の盾を目指して。




 女性のみが住むという都市国家というだけあって美しい国だった。
 水の都市国家スタンシアラも美しかったが、あちらが自然の美しさとすれば、 このガーデンブルグは手入れされた薔薇の見事な庭園や行き届いた掃除や内装の手入れ、 華やかで明るい建物、と女性的な美しさが漂っている。 男達が居心地が悪いのも無理はない。
 元気のない男達の前を先陣きって歩いていくクリス達は対照的に随分と堂々としたものだ。
「女戦士がたくさんいるのね!」
 普段では見ることなどほとんど出来ない鎧の女性達にクリスとアリーナは妙に親近感を覚えているようだ。
「でも、魔法使いはあんまりいないのねぇ」
 マーニャがあたりを見回しているのを見て、ミネアが恥ずかしい、と裾を引っ張った。
 剣の国バトランドと近いだけあって、この国も戦士としての資質を重く見ているのだろう。 逆に女戦士達が珍しそうに姉妹を見ているほどだ。
 それ以上に注目の的であったのは、やはりその後ろの男達であったが。
 国交を断絶していた岩山を片付けたことを認められ、男性達も特別に城内に入ることが認められたのは 幸いだった。
「野宿の準備だって万全だったんですけど、必要なくなっちゃいましたねぇ」
 トルネコの言葉に、クリフトは頷いた。
「…少し、緊張しますけどね」
「そうだな」
 ライアンも居心地が悪そうだった。
 ブライだけが年の功なのか妙に張り切っているのが印象的で、クリフトは自分も恥ずかしい気がしてならなかった。

 宿屋にようやくの思いで辿り着いて、荷物を下ろしたというのになんだか気が休まらない。 白を基調とした小奇麗な内装。あちこちに飾り付けられた鑑賞花。まるで女性の部屋に上がりこんでいるようだ。
「クリフト君なんかは若いから、大変なんじゃないですか?」
 思わず、噴出した。
「わっ、私は節制と自制に努める身。なんということを仰るんですかっ」
「冗談ですよ」
 愉快そうに笑うトルネコに釣られて、ライアンとブライも笑い出した。
「勘弁してくださいよ」
 あまりの動揺ぶりに、思わず自分でも笑ってしまう。
 しばらく談笑していただろうか。
 ふと、ブライが宿の窓のすぐ外に不審な動きの男に気が付いた。
 この城内に男とは珍しい。聞いたところでは、城内で住むことを許されているのは 神父と、通路の封鎖により立ち往生した商人ただ二人だけであるという。
 吟遊詩人の姿で初見、女に見えなくもないがやはり男だろう。
「怪しいやつだな…」
 ライアンがそう呟き、様子を見ようと立ち上がるとクリフトも同行すべく無言で後についた。
 あたりの様子を伺いながら、吟遊詩人は城内を進んでいく。曲がり角を曲がったのが見えた。
 慌てて角を曲がってみれば吟遊詩人はいない。
「見失ってしまったんでしょうか…?」
 クリフトがあたりを見回した。そして、ライアンと同じ方向を見る。
「と、すれば。ここに入ったのか…?」
 すぐ隣のドア。最初に案内された記憶を辿れば、恐らくは教会の裏だろう。
「教会の関係者には見えませんでしたけどね…」
 と、ドアが開いた。
「こんにちは」
 先程の詩人だ。近くでよくよく見てみれば、吟遊詩人とは思えないほどに日に焼けあちこちに傷の痕が残っている。 衣装に隠された体にも随分と筋肉がついているようだ。旅の間に魔物と戦うこともあるのだろうから、詩人としてだけでは 生き残ることができないのかもしれない。…そう考えてみるものの、どうにも違和感は拭えない。
 しかし、おおらかなその笑顔での挨拶には拍子抜けしてしまう。
 ライアンと顔を見合わせる。先程の挙動不審は気のせいだったのであろうか。
「そちらも、この城に滞在が許された男性なのか?」
「えぇ。随分と長くご厄介になっています」
「そうなのですか」
「それでは私は失礼しますね」
 何か引っかかるが、詩人が足早に立ち去るのを見送るしかなかった。
「何か釈然としないものを感じます」
「…ああ」
 何かが、おかしい。しかし、今何ができるわけでもない。
「勘違いかもしれん。戻ることにするか」
「えぇ…」
 後ろ髪を引かれる思いで宿へと戻る二人を見る影に気が付くこともなく。




 すぐに女王との謁見が許された。
 鋭い目をした女王の姿。 女性だけとはいえ国を一つ統治しているのだ。相当に実力のある政治家なのだろう。
 アリーナにも見習ってもらいたい。
 そんな冗談めいた表情で横目でちらりとアリーナを見るブライ。 引きつった笑顔でうるさい、と睨み返すその様子をクリフトは微笑ましく思って見守った。
「話は聞きました。交易路を通してくださったそうですね。感謝します。アリーナ姫」
  「女王陛下。初めてお目にかかります。……実は…」
 アリーナが代表して進み出て、本題を話そうとしたときだった。

 シスターが取り乱した様子で、謁見の間に飛び込んできて、槍を持った兵士に 押さえ込まれた。行く手を遮るように二人の兵士の持つ槍と槍が交錯し、甲高い金属音を響かせる。
 突然の出来事に誰もが言葉を失った。
 シスターはそれでも必死に指差し、震える声で懸命に訴えた。
「陛下に頂いた十字架が盗まれて…!そこにいる旅人に違いありませんわ! 私の部屋の前で何やら話をしているのを見たんですもの!」
 そんな馬鹿なことが。
「そこの戦士と神官に間違いありません!捕まえてください!」
 場が騒然となった。どこからか兵士が集まり、あっという間に回りを囲まれてしまった。 ライアンが顔を強張らせながら両手を軽く掲げ、無抵抗の意思を主張した。
(何をいって…!?)
 女王の目が冷たく変わっている。汚物を見るような軽蔑の目だ。
「クリフト、ライアン…!どういうこと…!?」
 アリーナの悲鳴にも似た問い掛けの声。
 呆然としたクリフトは兵士達に剣を向けられるのを見つめていた。 苛立ったマーニャは密かに呪文を唱えられるように集中し、アリーナも姿勢を低く落とす。 一触即発だ。

「陛下」
 凛としたクリスの声に騒然としていた場が静まり返った。
「あたしたちはこの世界に復活するであろう魔王を倒すべく旅を続けています。 誓って盗みなど働きません」
 揺らぎのない信念。
 仲間を疑う心など持ち合わせていないかのように、真直ぐな姿勢。
「だから二人に説明をさせてください」
 女王はぴくりと眉を動かした。
「いいでしょう。話してごらんなさい」
 クリフトとライアンは兵士達に依然として剣先を向けられたまま、前へと促された。
「我々は宿に着き、すぐに不審な吟遊詩人の男を見つけました」
と、ライアン。
「不審なことに気が付いた我々はその男を追い、そして、シスターの部屋の前に着いたのです」
「そうです。そして、その詩人はシスターの部屋から出てきたのです」
 二人の説明に女王は問い質した。
「ならば、なぜそこで逃したのですか?」
「それは…その男がそれからはあまりに堂々としていて、城内に住むことが許されているのだと言ったので…」
 確かにそこを突かれると苦しい。実際、気にかかってはいたのだ。今更だが悔やまれる。
 女王はふむ、と顎に手を当てた。
「心当たりがないわけでもない。バコタという盗賊がこの地に入り込んだ、という情報が入っている」
 それならば、と安心したのも束の間、女王は続けた。
「しかし、あなた方がバコタの一味ではないと言い切れません」
「そんな!」
 クリフトは唇を噛んだ。やはり、あのときにもう少し考えていればよかった。
「あなた方でバコタを捉えてきてください。そうすればあなた方を信じましょう」
 兵士が剣を下ろした。
「それまでは仲間の一人を預かります」

 その言葉に仲間達ははっとしてクリスを見た。 彼女は険しい表情で床を睨んでいたが、決断したかのように女王を見上げた。
「わかりました。そうします。人質になるのは…あたしです」
 クリスは自分の胸に手を当てて、そう言い切った。
 その言葉に慌てたのは仲間達だ。
「なっ、何を言ってるのよ、クリス!あんたがリーダーじゃないの!」
 マーニャが叫び、ミネアもクリスの腕をとった。
「私がここに留まりますから」
 クリスはゆっくりと首を振ると、
「信じているから」
と、呟き、懸命にすがるミネアを押し返した。

(私のせいで…!)
 クリフトは後悔の念に眉間に皺を寄せて、歯を噛み締めた。
「クリスティナさん。当事者は私です。私がここに留まります」
「でも!」
「そうだ。俺もあの場にいたんだ。人質だったら…」
「いいえ。私です」
 クリスとライアンが自ら人質になるという厚意を頑固に拒否して、 クリフトは女王に向かって“自分である”と向き直って示した。
「クリフト…」
 アリーナが何かを言おうとして、言葉に詰まったのが見えた。
 仲間達が閉口する中、クリスが今にも泣きそうな顔で、
「ごめんなさい…。必ず、真犯人を捕まえてきますから…!」
と、何度も何度も謝った。
 クリフトはそんな暖かい仲間達を見回して、
「必ず、真実が明らかになると信じています。よろしくお願いします」
できる限りの笑顔を向けた。
 




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