狭い。
 石造りの地下牢に入って、まず目に付いたのは壁からぶら下がる手足の不自由を奪う拘束具だった。
 戦慄して兵士を見る。その無表情からは何も読み取ることはできなかった。
 幸い、その恐れは杞憂に終わったが、如何にこの場が非常な空間であるかということだけは肌に突き刺さるように痛感した。
「……ここで、おとなしくしていることだ」
 兵士は屈強な見た目とは相応しくない、高く澄んだ声でそう言い放つとガチャリと錠をかけた。 クリフトが手の指をしっかり伸ばしても、その手の平よりも大きな錠前。 脱獄など考えてもいないが、捕らえられたその事実は心の奥に深く突き刺さる。
(思ったよりも綺麗だな)
 女性達が管理しているというだけあってなのか、随分と衛生的であったことだけは何よりの救いだった。

「新入りは聖職者様みたいだぜ」
 向かい側の列の牢屋から声がして、覗き込んでみると男が同じように顔を見せ、物珍しそうに観察していた。
「聖職者様が何をやらかんしたんで?」
 クリフトは苦笑した。
「何も。真実が明らかになる日を待ち望んでいるだけのことです」
「聖職者様は無実の罪だって?」
「そうです。我々には使命があります。ここで盗みなどは働きません」
「使命?」
「えぇ。魔王の復活を阻み、世界の平和を守るのです。そして、サントハイムを救いたいのです」
 男は大げさな話だと、小ばかにするように小さく噴いた。
「…何を、ばかな、とお思いでしょう?でも、我々はそのために文字通り命を懸けているのです」
 クリフトの真剣な声と真直ぐな表情に、男は笑うのをやめた。
「…馬鹿だと思いますよ。何だって、何の関係のないヤツのために命を捨てられるっていうんで?」
「…全ての命は平等にあり、その生を踏みにじられぬように。神の敵を討つために」
「神の教えってことですか。それでも、やっぱりオレは可笑しいと思いますよ」
「……」
 クリフトは男の言葉に、なんと答えるべきか少し考えた。
(確かに何故戦うのだろう?使命のため。そうだ。…でも、確かにそう断言出来ない自分もいる。 夢の中の少女があまりにも純粋だったから?それとも…)
 もしかしたら、人質を買って出たのは一人で考える時間が欲しかったのかもしれない。
「私は…」

「うるさい!静かにしないか!」
 地下牢内に響く女兵士の叫び声に驚いて口を閉ざして、お互いに顔を見合わせた。
 男は肩をすくめ、おどけた表情を見せると牢屋の奥へとさっさと引っ込んでいってしまうのが見えた。
「……っ」
 言いかけた一言を、悔しくも飲み込むとクリフトも鉄格子に背を向けた。

 そのとき、牢屋の入り口から女が言い争う声が聞こえた。
「…!」
「…じゃないの!」
 高い声が地下に反響し、騒音となってガンガンと耳を刺激する。 気の立っている牢屋の中の囚人達もざわめきだった。
「サントハイムの王女をこんな邪険に扱うなんて、外交問題よ!」
(…姫様!?)
 まさか、とクリフトは鉄格子に張り付くように入り口を伺った。…角度が悪くて見えない。
「…わかりました。5分です。5分だけ面会を許可します。…どうぞ、こちらへ」
 コツコツと足音が近づいてくる。
 クリフトが鉄格子を掴み、呆然と立ち尽くしているところに彼女は姿を見せた。
 一日たっていないというのに、随分と長いこと会っていなかった気がするその姿。
「姫様…どうして…?いえ、こんなところにいらっしゃってはいけません」
 クリフトの言葉にアリーナは苦い笑顔で肩を落とした。
「…せっかく苦労してきたんだから、少しだけどお話しましょう?」
 アリーナはクリフトが無言で困ったように頷くのを見ると、顔を上げた。
「クリフト。…どうして進んでこんなところに入るなんて言ってくれたの?」
 クリフトは目を伏せた。
「私は仲間達のためになるのならば、と思ったので…」
「どうして!?だって、もし、バコタが見つからなかったらとか考えなかったの!? 万が一、私達があなたを見捨てて先に進むなんてことも!?」
 クリフトに掴みかかるように、間を遮る鉄格子を強く掴んで叫んだ。
「…必ず見つかります。神は見ておいでです。それに誰かが引き受けなければならなかったことです。 …だったら私が引き受けます。私が一人で残ることで皆様の使命が果たせるのなら、 ここで朽ちることとなっても満足です」

「バカよ!!クリフトはバカよ!…どうして…」
「姫様…」
「どうして、いつも、そんなに無理をするのよ!?」
 涙の滲むアリーナの瞳。
「フレノールのときだって、あなたは一人で行こうとしたわ!塔に薬を探しに行ったときにも、 あなたは恐怖症をおして付いてきたわ!アネイルでも、コナンベリーでもあなたは、自分の体を 何も省みずにがむしゃらで…!今でも、あなたはずっと無理してる!死人みたいな顔であなたが呪文を唱えるのを 見ていられないの!」
「…姫様…」
「…あなたが無理をしているのを見るのが、とってもつらいの!苦しいの!あなたがいなくなってしまうかと 思うと苦しいの!」
「……私は……」
「クリフト、ずっと、ずっと側にいてほしいの。 だから、あなたがつらそうな顔をしているのを見るのがつらいの…。私…」
 鉄格子から腕を伸ばして、嗚咽を漏らすアリーナの涙を指で掬い取る。 ぎゅっと目を閉じていたアリーナが驚いたように丸い目でクリフトを見返す。 その泣き顔がとても綺麗で。クリフトは優しく微笑んだ。
「……ずっと、私は…」

「時間だ!」
 後ろに控えていた女兵士が、進み出てアリーナに外に出るように槍を床に突いて威嚇するように促した。
 それでも、言葉の続きをきこうと鉄格子から離れない彼女の肩を強引に掴む。
「離して!」
 クリフトは引き離されまいと鉄格子を必死に掴むアリーナの手に自分の手を重ねた。
「…姫様、バコタを必ず捕まえてきてくださいね」
 兵士は強引にアリーナを引き離すと、引きずるように出口へと連れ出していく。
「…クリフト……。必ず、必ず、ここから出してあげるからね!!」

 そして、静かになった。
「……っ」
 理由のわからない憤りに苛まれ、思わず腕で空を裂いた。
(姫様、どうして貴女様はそんなに優しいのですか…)
-どうして、こんな私にあのような言葉をかけてくださるのですか。
 ハバリアの町で自分がどんなに酷いことをしたのか、彼女だって忘れたわけではあるまい。
(どうして、こんな私を側に、と言ってくださるのですか。…そんな資格など、ありはしないのに)

「……すまなかったな」
 見張り番の女兵士の声。その声は毅然とした先程までの態度と打ってかわって、しおらしいものだった。
「この国では、規則を厳守しなければならないのだ…」
「……えぇ、すぐに気付きました。…貴女へのご恩は忘れません」
 決して口外はしない。アリーナとの面会を許可してくれたことを。
「そうか」
 足音が遠のいて行った。

 手が熱い気がして、掌を見つめた。
 …先程、アリーナの手に触れたところだ。
「………っ!」
 こんなにも、自分はまだ彼女のことを慕っていたのか。
 苦しいのは自分だって同じだ。
(姫様が私のことを気遣ってくれればくれるほど、私は苦しい思いをしているんだ)
 強く手を握り締めた。
「なぁ、聖職者様?」
 先程の男の声だ。
「…さっきは笑って悪かった」
「……え…」
 突然の言葉に意味が分からず、クリフトはぼんやりと向かいの牢屋を見る。
「聖職者様にも守りたいものがあって、命を賭けてるんだな」
「……そ、それは…」
 本当に守りたい大切な人。それを表に出してしまうと、心が壊れてしまうほどに今は苦しい。
「いいんだよ、オレは信仰だとか使命だとか興味ねぇ。正直者の方がずっといい。その方がずっと、人間らしい」
「……」
「聖職者様、どうか話をきいてもらえますかね?」
 男は自嘲気味の笑顔でクリフトに言った。
「私でよろしければ」
「オレは、小さな盗みを働いたんだ。好きで好きでたまらない人が落とした部屋の鍵を。 返すことがどうしても出来なくて、迷っていたんだ」
 男の言葉をクリフトは静かに聴き続けた。
「しばらくたったときに、彼女の家に盗人が入ったんだ。兵士達が調べていく中、 オレが彼女の部屋の鍵を持っていたことが知られて、オレはここに入ったんだ」
「…では、貴方は…」
「いや、オレは盗人さ。鍵を拾って返さなかったんだからよ。自業自得さ」
 男は空笑いすると、ため息をついた。
「…オレも弱い人間になっちまったよ」
 クリフトは十字を切った。
「神は貴方を見守っておいでです。人間は罪を犯すものです。そして、慕う心も真実です。 ここで償った暁には、労働と信仰に努めるとよいでしょう」
 男は満足そうに頷くと、牢屋の中の硬そうなベッドにごろりと横たわった。
「ありがとうよ」
「………私こそ…」
 “人は罪を犯すもの。そして、罪を償うもの”“人は人を愛するもの”
 まるで、自分のことを言っているようで。
(ずっと、人間らしい…か…)






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「しんじてくれ おれはしたぎなんか とっちゃいねぇ」
って人。