村に着いてすぐに日は暮れようとしていた。
 自然の中に突如現われた村の住人達は木で作られた簡素な住まいへと戻っていく最中で、微かな喧騒が耳に心地よかった。 おそらく、このささやかな賑わいがこの村にとっては最高の賑わいなのだろう。
 村に現われた三人の人間を見て、ホビット達は僅かに物珍しそうに彼らを横目で観察していたが、 特に足を止めることもないようだった。
 そして、それは都合が良いとも言える。 アリーナはこの小さな村に不相応な石造りの塔を指差した。 暮れていく光にオレンジに照らし出されている塔は確かに見覚えがあった。
 そう。夢で見たあのエルフの住む塔。
 クリスは秘密の入り口を開く旋律を奏でた。

 魔法で隠されていたのであろうその入り口はかちりと小さな音をさせて開かれた。
 夢で見た光景と全てが一致する。違うことといえば、鮮やかな色彩と肌に感じる夕暮れの冷えた空気、 これが現実であるという実感があることだけだ。
 そして、その感覚は軽い既視感を呼び込むと同時にこれから会うべき人物がデスピサロへと自分達を結びつけてくれるだろうという 運命の瞬間であることも示している。
 クリフトは軽く深呼吸した。
「クリスティナさん。いよいよですね」
 あの夢幻の少女との対面は。
 クリフトは塔の内部へと向かう隠し通路の入り口を見据えるクリスの反応を伺うように声をかけた。 そんな彼の方を見ることもなくクリスは無言で頷く。アリーナが居心地悪そうに微かに眉間に皺を寄せたのが見えたが、 それを窘めるべく指摘する雰囲気ではないし、感情的にも仕方ないとも言えるか。クリフトも閉口したままクリスの後についてその仄暗い通路へと向かった。

 薄暗い階段を上っていく。
 足音だけが響いた。
 アリーナが声を潜めて二人に伝えた。
「…魔物の気配がするわ…」
 クリフトも心得たように頷いた。
「……えぇ。どうやら、護衛がついているようですね…」
「護衛でも何でも邪魔をするのならば打ち倒すまでです」
「……」
「………そう、そうね」
 非情なその一言にアリーナは戸惑ったように頷くと鉄の爪を取り出して腕にはめた。
(穏便に話が進めばいい、というのは贅沢なのか)
 クリフトは二人に倣うように剣の鞘の封印を解いた。


 階段を上りきるとその廊下の向こうに大きく頑丈そうな扉が見えた。 恐らくあのドアの向こうにはデスピサロが匿うエルフの少女がいるのだろう。 そう思った瞬間に胸を打つ鼓動が早くなったのを感じた。 なぜ。なぜ気になるのか。

「ここは誰も通すことはない。引き返したまえ」
 そのドアの横に控えていた鎧騎士が立ち塞がるように動き出してそう語りかけた。
「…」
 クリスは剣を抜いたことで拒否の意思を示した。
「そうか。ならば、戦うしかあるまいな」
 鎧騎士も剣を抜いた。

「待ってください」
 耐え切れずにクリフトは一歩前に進み出た。
「私達はこの先の女性に危害を加えるつもりはありません!少しだけお話をききたいだけです。 だから、どうかここを通してください」
「…愚かなことを。ロザリー様から何を聞き出したいのか知らないが、魔族に仇なすことだけは違いないだろう。 その上、そこの女は危害を加えない、という意思ではないようだが?」
「……それは…っ」
 鎧騎士の反論にクリフトは唇を噛んだ。
「それでも、無用な戦いはしたくないのです」
 アリーナもクリフトに同調した。
「私からもお願いするわ。少しだけでいいから!」
「姫様…!」
「だって、これじゃぁ私達が悪者みたいじゃない」
 鎧騎士はそれでも引こうとはしなかった。
「…ここまで必死になる人間がいるとはな。もっと別の形で出会いたかったな」
「そんな…!」
 避けられない戦いだというのか。クリフトは首を振った。
「クリフトさん。アリーナさん。…戦うしかありません」
「……神よ、無益な戦いを行うことをお赦しください」
 クリフトは悔恨に拳を震わせながら、そう呟いた。

 重量感のある鎧がその突進でクリフトをなぎ払うべく咆哮を上げた。 なんとかそれを身をかわして避ける。
 傍らからクリスが飛び出し、剣と剣がぶつかる音が響いた。
 



 朽ち果てた鎧騎士の姿を見て、なぜだろう。魔物だというのに心が痛んだ。 自分を見あげるその甲冑はまるで、自分にエルフの少女を助けてくれ、と叫んでいるようだ。 どうして。どうして、どちらかが命尽きるまで戦わなければならないのか。 クリフトはこめかみを押さえた。
 そんな気を落とした様子のクリフトを見かねて、アリーナはそっと励ますように肩に手を置いた。
「…行きましょう」
「…はい」

 アリーナは鎧が守っていた扉を開けた。
「ここは…」
 クリフトは呆然と部屋の中を見回した。
 可愛らしい家具がならぶ、何の変哲もない部屋。人間の女性と何ら変わらない。
 そして、夢に見たのと全く同じ窓。その窓辺に腰掛けた少女はゆっくりとこちらを振り向いた。
「貴女がロザリーなのね?」
 アリーナは緊張気味にそう問いかけた。ロザリーはゆっくりと閉口したままに頷いた。 鮮やかな桃色の髪がさらさらと流れる。人間には持ち得ない美しい肌。長い耳。全てが芸術品のようだった。
「…来て下さったのですね。では、彼も…」
 ロザリーが睫を震わせているのを見て、クリフトは慌てて口を開いた。
「すみません。…私達はあの騎士を…」
「…仕方がないことなのです。…きっと、これは避けられない運命なのでしょう」
 とても、心からそう思っているようには見えない表情で、彼女は気丈にも口を硬く引き結んだ。
「…どうかお願いします。…彼を…デスピサロを殺してください」
「…ロザリーさん…。貴女は…」
 クリフトはその願いに絶句した。
「お願いします。このままでは人間は滅ぼされてしまいます」

(これでは、まるで自分達が悪ではないか)
 クリフトは唇を噛んだ。
(神のご意思に忠実でいたというのに。どうして)
 クリフトはもう一度、ロザリーの顔を見つめた。
 とてもじゃないが、目の前の少女は倒すべき敵には見えなかった。
 むしろ、とても儚く美しい。

「…何を勝手なことを言っているの…」
「クリス…」
「あんたの言う大切な人のために、あたしの大切な人達が…いえ、世界の人達がいっぱい 死んでいったのよ!!」
 ずっと、押し黙っていたクリスが押し込めていた感情を爆発させた。塞き止められていた怒りはまっすぐに彼女にぶつけられる。 それでもロザリーはクリスを見つめ返し続けた。
 まるで、全ての責任を背負い込むように。
「…ごめんなさい」
「黙って!あたしは大切な人をアイツに全部殺された!」
 想像もしていなかったクリスの感情と過去。アリーナがそのやり取りをどうすれば良いのか判断もつかないままに、 クリフトに助けを求める視線を送った。
「あんたなんかに謝られても嬉しくなんかないのよ!何だったら、あんたはここであたしに殺されてくれんの?!」
「……それも当然のことですね…」
 ロザリーが無抵抗にも瞳を伏せたのを見て、クリスは剣を抜いた。
「やめて、クリス!」
 アリーナが静止する声も届かないまま、クリスは彼女の喉下に剣を突きつけた。
「…じゃぁ、死んで。デスピサロにもあたしの気持ちをわからせてやるわ」
「…わかりました。でも、お願いします。どうか、彼を止めてください」

(だめだ。これでは、どちらが魔物かわからないではないか!)
 咄嗟にクリフトは動いた。

「?!」
 クリスは目を見開いた。
 そして、いつまでも動きがないことを不思議に思ったロザリーも目を開けて。
「!!」
「クリフト!」
 アリーナが悲鳴を上げるように叫んだ。

 クリスは少しも腕を動かすことができなかった。
「クリフトさん…!指が落ちますよ!」
 がっしりと掴まれた光る刃。その透き通るような刀身を赤いものが流れていく。 クリスが本気で剣を動かせば、指など簡単になくなってしまうだろう。 ロザリーは目の前を流れていく赤いものに血相を変え、クリスはクリフトの顔を睨みつけた。
「お二人ともどうか落ち着いてください。こんなことをして何の意味があるというのですか?!」
 クリフトは顔色一つ変えずに二人を怒鳴りつけた。
「意味があるか、ないか。クリフトさんに何が分かるんですか?!」
 クリスとクリフト。二人の視線と剣幕はどちらが劣るわけでもなく真正面からぶつかった。
「クリフトさんが神官だからですか!?神に従って生きることが全ての貴方に、あたしの思いが分かるわけがありません!」
「…私は、貴女のように村を滅ぼされた経験がありません。だから、所詮分かったつもりです。 それでも。だからこそ。こんな馬鹿げたことは私が止めなければいけないんです!」
「…誰からそれを…!」
「クリスティナさん。今、仲間達は貴女を誰もが愛して、貴女が苦しんでいることに心を傷めているんです」
「……」
 クリスは剣から手を離して、背を向けた。すぐさまに剣を奪い取る。
「あ、クリス!待って!」
 逃げるように走り出すクリスを追いかけてアリーナも飛び出した。

「……」
 そんな二人の後は追わず、クリフトは自分の手を見つめた。
 指の何本かは深く刃が入ったのだろう。骨が見えそうな程に深い、指の落ちる寸前の熱い傷口からは止め処なく血液が流れ続けた。
「……大丈夫ですか?」
「えぇ」
 手当するでもなく流れる血を見つめるばかりのクリフトにロザリーが遠慮がちに尋ねた。
「すぐに手当を…!」
「いえ、大丈夫ですから」
 どうして、こうなってしまったのだろう。夢中になって、気が付いたらロザリーを庇ってクリスを糾弾していた。
 もう、何が良い行いなのか。判断など付かなかった。そんな自分に身震いする。

「………ごめんなさい…!」
 震える声にクリフトは我に返った。
「本当にごめんなさい…!」
「…どうしてそんなに謝るのですか?」
「それは…」
 むせび泣くロザリーの涙が足元でことり、と音を立てた。
 思わず感じた違和感に視線を足元に向けると、そこには赤い宝石が絨毯のように敷き詰められていた。
「これは…!?」
 紛れもなくルビーだった。
 呆然と立ち尽くすクリフトの足元にどこからかスライムが寄ってきて、彼を見上げた。
「ロザリー様の涙はルビーになるんだ」
「…!」
 目の前で泣く少女。
「だからずっと、人間達に虐められてて。それをピサロ様が助けたんだ」
 足元に数多に散らばるルビー。
「ロザリー様はとてもお優しい方なんだ!今も殺されちゃうかもしれないから、ボクに隠れてなさいって…!」
 人間に虐められてきて。それでも、友のことを思って。人間のことを思って。罪を犯すピサロのことを思って。 そして、自らの死を意識して。こんなにも彼女は泣いている。
「それにピサロ様だって、すごく優しい方なんだよ!」
 スライム自身も泣き出しそうな程にクリフトの足元に縋りつく。
 クリフトは搾り出すように声を出した。
「…分かったよ…もう十分に」
 ずっと、自分よりも純粋であることが。
 クリスの言うように、神に従うことが全てと盲目であった自分よりも、ずっと優しい意思を持っていることが。
 意固地なまでに考えることを放棄していた自分が如何に楽な方へと逃げていたことか。
「苦しいほどに…」

 純粋な存在。
 彼女達のたっての願いを受けて、自分達は更に戦おうとしている。
(どうすることが、正義なのですか…!?)
 クリフトはずっと持っていたクリスの剣を取り落とした。

「ロザリーさん…。貴女は本当に、愛している方が死んでもその行いを止めたいと仰るのですね?」
「…はい。私はもう、あの人に罪を重ねて欲しくない…。あの人が死ぬことになっても…」

 クリフトは胸元のクロスに服の上から手を乗せた。
「……少しだけ…考える時間が欲しいんです」
 苦しそうに目を逸らすクリフトに、ロザリーはスライムを目を合わせた後に頷いた。








 森の中へと走るクリスを追いかけていた。
 突如、森の枝葉がぼつぼつと音を立てる。
「!」
 アリーナが振り出した雨に思わず天を見上げたとき、クリスも上がった息で立ち止まった。 木に手をつきながら、アリーナを振り返る。
「アリーナさん。追いかけてきてくれるんですね」
「……うん」
「あたし。ホント、ばかですよね…」
「そうね。バカね」
 クリスは顔を覆った。
「わかってはいるんです。…ロザリーさんを殺したところで何にもならないことも」
「……大丈夫。皆、クリスのこと、信じているよ。だから安心して」
 クリスを落ち着かせようと、そっと肩に置いた手。 そこから伝わる温もりは普段見せている勇者としての彼女からは想像も出来ないほどに、柔らかく暖かい。
「でもあたし…!どうしても自分が抑えられなくて…!!」
「……」
「もうどうしたら良いのかもわからなくて!」
「しっかりしなさい!」
 泣き叫ぶクリスの肩を強く掴んでアリーナは大声を張り上げた。
「…っ」
 びくり、と思わずクリスは半歩後ずさった。雨に濡れ始めた草の葉が雨粒を跳ね上げた。
 突然の叱咤にクリスは零れ落ちる涙すらも忘れてアリーナを見つめる。
 アリーナは不敵に、しかし、誰にも見せたことのないような優しい笑みで言った。
「大丈夫。だって、クリフトが止めたんだもの」
「……」
「ね。クリフトってね。頼りないように見えるけど、すっごい頼もしいんだから」
 アリーナは子供に言い聞かせるようにクリスの顔を覗き込む。雨粒が頬を伝うのをマントで拭ってやりながら、言葉を続けた。
「おどおどしてることもあるし、病弱でケンカも弱っちいけど。 誰かが迷っているときにはいつも導いてくれたわ。私も小さい頃から助けられっぱなしなの」
 母親が亡くなったときにも励ましてくれたのはクリフトだった。
 父の声が出なくなったときにも決死の覚悟で薬を探してくれた。
 城の者がいなくなったときにも彼は率先して行動し、彼女に勇気をくれた。
 そして、何よりも……。

「信じて。彼も私も皆を。…大丈夫だから。ね?」
 クリスはアリーナの手を握って、大声で泣いた。








 クリフトはしばらくの思案の後にロザリーの瞳をじっと見据えた。
「…わかりました。戦います」
「…そんな」
 思わずそう呟いたのは足元のスライムだった。ロザリーは気丈にも声を殺し、今にも泣き出しそうな瞳で微笑む。
 一方、クリフトは顔を歪めて首を振った。
「こんな戦い…悲しすぎます…」
「いいえ。…これでいいのです…これで…」
「……必ず、止めてみせます」
「…え?」
 ロザリーは目をしばらく見開いてクリフトの顔を見返し続けた。
 クリフトは困ったように目をそらすと足元のスライムを手に乗せて、からかうようにつついて言った。
「ピサロさんに貴女がどんなに心配しているのか思い知らせて、こんな馬鹿げた戦いは終わりにさせるんです」
「…!」
 スライムが半分液体の体をさらにさらさらの水へと変化させて、くねくねと体の形を曲げてみせた。 泣いているのだろうか。
 そんな彼をロザリーの腕に抱かせるように渡すと、クリフトは落としたままだったクリスの剣を拾い上げた。 そのまま立ち去るべく歩き出す。慌ててロザリーが一歩だけ、彼を追いかけると問いかけた。
「貴方は戦っているのでは…?」
 ロザリーの困惑した声色にクリフトは泣き出しそうな歪んだ顔を見せないように、振り向かずに答えた。

「…誰も、悲しい思いをしないように。理想かもしれませんが、私はそうしたいんです」




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