クリスはロザリーヒルを立ち去ってから取り乱すことはなくなった。
仲間達はロザリーヒルで何が起こったのか全く知る由はなかったが、この一つの問題の解決だけは敏感に悟っていた。
杞憂の失せた彼らが訪れた地は南の岩の大陸。辺境の地。
クリスはサントハイム王家の宝である変化魔法の力の宿った杖を手に取って、ある一方を見つめた。
そこに在るのは畏怖すべき恐怖と圧倒的な力を見せ付ける異形の城だ。
壁も塔も全てが漆黒に染められており、魔物の角のような尖った柱飾りが生え出ている。
更に上を見上げればそこには晴れることのない暗雲が大空を覆い尽くしていた。
まるで全ての侵入者を拒んでいるかのように。
人間が立ち入ることは未だに成されていないだろう。
「正に死の城(デスパレス)」
クリスはそう呟いた。
クリフトとミネア、アリーナは頷いた。
他に仲間はいない。この地に忍んで来るために馬車と仲間達はリバーサイドと呼ばれる川沿いの村で待機してもらっている。
回復力と機動性を重視してクリスはこの三人を選んだ。
「行きましょう」
人間の立ち入ることのない地へと向かうにあたり、人の姿は邪魔以外の何者でもない。
それを捨て去るためにクリスは杖を振った。
何かに体を引っ張られるような、抑えられるような妙な違和感を感じて目を開けると目の前には虎男。
「うわ!」
思わず声を上げると虎男が心外そうに思い切り頭を叩いた。目の前がぐるぐると回る何だか懐かしい感覚。
そういえば、よくこうしてアリーナに練習と称して取っ組み合いの相手をさせられていた。
そんな回想が巡る。
「私よ、アリーナよ!」
「え、姫様?…あ、そうか」
冷静に自分の腕や足を見てみればそこには白い毛。
「私はももんじゃになったわけですね…」
視界の端っこでミニデーモンに変化したらしいクリスと、土偶戦士に変化したらしいミネアが写っている。
…相応しい、というのか、何というか。
(私はももんじゃのようにおっとりとしたイメージということか。いや、私のことはこの際いい。
姫様が虎男になった。というのはどうなのだろうか)
紛れもないサントハイム王女が、むさ苦しい魔物の、しかも男に。
(ブライ様が見たらさぞかし嘆くだろうか)
クリフトは大きい体には不相応な小さい腕で頭を抱えてため息をついたつもりだった。
「クリフトさん…!」
「クリフト…」
「……か、かわいいです!」
彼の受けた衝撃など全く伝わることはなく、三人の熱い視線が注がれる。
「あ、あまり嬉しくはないです…」
大体、かわいいと言われてしまうのも複雑な心境なのだが、更に彼らの外見は虎男にミンデーモンに土偶戦士だ。
そんな彼女らの熱い視線には申し訳ないが、身震いすらしてしまう思いだ。
こんな状況は早く抜け出さなければならない。
「早く行かなければ、魔法の効果が切れてしまうかもしれません。一刻も早く潜入しましょう」
クリフトは短い腕でデスパレスを指差した。
そんな様子に三人はまたもや胸を打たれ、
「……か、かわいい!」
「……い、行きますよ。早くしないと変化の効果が切れてしまうかもしれませんし」
クリフトは逃げるようにぺたぺたと早足で歩き出した。
次の難関は早速やってきた。
いざ、城の中へ。というときに見えた門を守るサイ男の存在だ。
「か、考えてみればももんじゃみたいな下級の魔物が城に上がってもよいものなのでしょうか?」
身分が付いて回るのはきっと人間だけではないはず。実力主義の魔物界ならば尚更そうなのではないだろうか。
クリフトの言葉にミネアとクリスもお互いの姿を見つめあった。
「ミニデーモンってどうですかね?」
「土偶戦士はやっぱり…」
二人して肩を落とす様子を他所に、アリーナが一歩進み出た。
「堂々としたらいいじゃない!付いてきなさいよ」
可愛らしい声とは裏腹に筋骨逞しい虎男が城の中めがけてずんずんと歩き出した。
慌てて、三人も後を追う。
サイ男がアリーナを見つけて、じろりと睨んだ。
がしり、と重厚な金属音を上げて斧を持ち直した様子にミネアが一瞬怯む。
「だ、大丈夫でしょうか…?」
誰にも聞こえないような小さい声で不安を訴えるが、アリーナはサイ男に頷くと堂々と城へと入る。
サイ男はその様子に特に不信感を持ってはいないようだった。
「……」
緊張した様子で城門をくぐる。多少の身震いも下級の魔物が臆していると受け取られたのか、
特に問題が起こるわけでもなく中に入ることができた。
城の中に入ると中は魔物がまるで人間のように厨房で火を炊き、机を挟んで会話をしている。
その様子にも驚きを禁じえないが、人間とよく似た生活習慣が一部だけでもあるおかげで、いかにも人間臭い彼らに誰も不信感を持つことはないようだった。
あまりにも自然に溶け込むことができたことに拍子抜けしてしまう。ついつい魔物の姿に変化していることも忘れてしまうそうになる程だ。
「ね。びくびくしている方が怪しいものなのよ。逆に堂々としていた方いいのよ」
アリーナは虎男の外見で可愛らしくウィンクしてみせた。
「さすが、お姫様ともなると威厳があるのね」
クリスがぼそりと呟いたのが聞こえてクリフトは、
(今更だけど、お姫様とはそういうものじゃないような)
と、改めて認識して苦笑した。
(でも…)
アリーナの姿を横目で盗み見る。苦笑はすっかり影を潜めた。
(これなら大丈夫だ)
アリーナのお転婆だけはどうにも治る様子はない。
しかし、旅に出てからというもの彼女は変わった。
クリフトやブライに対してももちろんのこと、誰に対しても気遣いを見せるようになった。
更には王女としての意識が確かなものになっているのも手に取るようにわかる。
クリフトは無言のまま、もの思いを続けた。サランの町でミネアに告げた言葉。
旅が終わったらサントハイムを去るという思いは変わってはいない。
(私がいなくても。姫様はサントハイムを統べる女王として立派にやっていける)
神官を辞めるという決心はアリーナの心を傷つけたからに他ならなかった。決して、上昇志向の内の決心ではない。
しかし、今はどうだろうか。卑屈な思いからではない。自分がいない方がこれからのサントハイムの為になる。
自分も胸中の思いに決着をつけ、そしてアリーナの成長を確信しているからこそ。
(安心して、去ることができる)
クリフトはももんじゃになっているその手を何気なく見つめた。
自分に与えられた力が忌まわしい術式であったことも、これからのサントハイムのことを思えば、全てを正しく導く標であったのだろう。
「クリフトさん」
ミネアの声にクリフトは我に返った。
「どうかしたのですか?…体調が悪いのでは…」
「すみません。考え事をしてしまっていて」
「そうなんですか?…体調がすぐれなかったりしたら、すぐに私達におっしゃってくださいね」
「えぇ。すみません。ご心配をおかけしてしまって」
あまりに容易く入り込めたために、ついつい我を忘れてもの思いに没頭してしまった。
なお心配そうな声色のミネアの不安を打ち払うかのように、クリフトは己を戒めて周囲に気を配って歩く。
クリスがミニデーモンの尻尾をぴっと持ち上げた。
「どうやら、重要な会議があるみたいです。…入り込みましょう」
「わかりました」
クリフトは先頭を歩くクリスの後ろに率先して付くと先に進んだ。
「アリーナさん」
ミネアは声を潜めてアリーナを呼び止めた。
「?」
ミネアが声を潜めている様子にアリーナは虎男のでかい図体を、小さい土偶戦士の背丈のミネアに合わせるように、
体を縮めて耳を近づけた。
「実は…」
会議に向かう魔物の流れに入って歩いていくと、難なく会議室に潜り込むことができた。
人間なら百人は収まるだろう広い会議室に入ると、特に目立つこともなく端席に着席した。
「今までと違って緊迫感がありますね」
クリスが周囲を見回した。緊張しているのか尻尾が固まっている。
城内でこれまでに見て来た魔物は腹減った、等つまらないことしか言っていなかった。
だが、会議室に集う魔物は一様に使命感に満ちた顔で会議の開始を待っている。
「なかなか始まらないですね」
ミネアの言葉通り、着席してからしばらくの時間が立っている。
周囲の魔物も緊張しているのかざわめき立っている。落ち着きがなくなってきているのだ。
そして、自分達の変化も時間の経過と共に効果が切れてしまうかもしれない。
もし、人間の姿に戻ってしまえば…。クリフトは祈る思いだった。ミネアも同じことを心配しているのだろう。
石でできた体が震え、机椅子がカタカタと音を立てた。
「……クリフト!」
気配が変わったのを察したアリーナが爪でコツコツと机を叩いた。
「えぇ。魔力の流れが…変わりましたね」
寒気がする。感じる魔力は冷たく強大すぎて、実感すらも感じることがない。
化けたももんじゃの白い毛並みがざわざわと逆立つのを感じた。
…すぐに、デスピサロがこの場に現われる。
「…クリスティナさん…!」
クリスは冷静でいてくれるだろうか。ここで以前のように取り乱されれば、周囲は敵しかいない。
満足に戦うことも、逃げ出すことも適わないだろう。
「…大丈夫です」
クリスは緊張した面持ちながらも穏やかに頷いた。
その言葉通りに余裕のある表情。
「大丈夫ですからね」
「……えぇ」
闇の空気が更に濃くなった。息が詰まりそうな程に濃いその瘴気に顔を思わず歪める。
ももんじゃに化けていて本当に良かった、と彼は思った。
人間のままならば、その不快感を顕わにした表情では周囲の魔物にすぐに異変を察知されてしまっただろう。
「…きた」
アリーナが呟いた。
闇が溶けたように空間が歪む。
異空間から現われた銀色の髪。
姿はまだはっきりとは見えていないが、
クリスとアリーナが緊張した面持ちで見守っていることでそれがデスピサロであろうことがわかった。
「よく集まってくれた」
銀色の魔王は漆黒のマントをはためかせると、両手を広げてその場にその圧倒的な脅威と存在を見せ付ける。
その赤い瞳は吸い込まれる程に美しく残忍だ。
心を食い荒らす妖かしの色。クリフトは目があった気がして、背筋に寒気が走った。
…恐ろしい。
本能的に感じる恐怖にクリフトは思わず下を向いた。
「…!」
アリーナの膝が震えている。横を伺うとアリーナが同じように眉間に皺を寄せていた。
(ここでしっかりしないでどうするんだ)
クリフトは一瞬躊躇したが、意を決して小刻みに震えるアリーナの手に自分の手を重ねた。
…少しだけ落ち着いた気がする。アリーナも自分も。
(彼を止めるんだ。…それができれば、誰かが悲しむことも怪我することもない。
…クリスティナさんも、姫様も、誰もが罪をこれ以上重ねなくて済む)
クリフトは心を支配しようと迫っていた恐怖を使命感によって打ち払うと、思い切って顔を上げた。
(それにロザリーさんが想いを寄せた人物なら、きっと分かってくれるはず)
それは理想論なのかもしれないことは承知だ。それでも、試してみないことには気がすまなかった。
なんとか機会はないものだろうか。
デスピサロの演説は続いた。
「今日集まってもらったのは他でもない。…エスターク様が復活される」
地割れのような咆哮がデスピサロの言葉に呼応するように城を揺らした。
…衝動に従って破壊の限りを尽くしているとばかり思われていた魔物をここまで
統率をとらせる、エスタークとは一体何者なのか。クリスは戦慄したままに周囲の様子を伺う。
デスピサロが再び、魔物達に静まるように促した。
「エスターク様は遥か以前に竜の神に地底に封印された。その場所がわかったのだ」
「…!」
ようやくエスタークの正体がわかった仲間達は互いに顔を見合わせた。
古代の魔王。
小さい頃から聞かされていた神と魔王の戦いの伝説。そして、サントハイム王の見た予知夢。
まさか、本当に現実になってしまうとは。
「長きに渡って、我々は竜の神を打ち倒すときを待っていた。…ようやくその機会が訪れたのだ!
我々魔族の時代がやってくるのだ!」
デスピサロは続けた。
「場所はアッテムトだ!我々はエスターク様をお迎えに上がる!皆の者、アッテムトに向かえ!」
先程以上の咆哮が轟いて、翼あるものは飛び立ち、魔法を扱う魔族は空間転移の呪文に姿を消し、
また、強靭な足を持つ魔物は地響きを響かせた。
その先頭に立つのはデスピサロ。
(今なら、ロザリーさんの思いを伝えられるだろうか)
クリフトは夢中で魔物を掻き分けて走り出そうとした。
しかし、足が短く、鈍い図体ではなかなか思うように進めない。焦りを感じたクリフトの腕をアリーナが押さえつけた。
「どうする気なの!?待って!」
力では敵わないと分かっていながらもその腕を振り払おうと力を込める。
「今、行動を起したら殺されてしまうわ!」
「…しかし…!…いえ。すみません」
クリフトは呆然と立ち止まった。
冷静さを取り戻してみれば、アリーナの言う通りだった。
「…ありがとうございました」
(せっかく、こんなに近くまで来られたのに…!いや、焦るな。今やるべきことは他にある)
クリフトはクリスの言葉を待った。
「クリスさん。私と姉が以前にアッテムトに行ったことがあります。…すぐに向かいましょう」
クリスはミネアの言葉に安堵したような笑みを垣間見せた。
「それならば、きっと彼らを出し抜けます。案内をお願いします。…魔王の復活を何としても阻止するんです!」
クリスは自分の腕が少しずつ人間の腕に戻りつつあるのに気が付いて、すぐにアリーナとクリフトを
すぐ側まで呼び寄せた。
「…何とか変身が解けるまでには間に合いましたね。…きっと、復活にも間に合います!いきましょう!」
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