『会話』


 ゴットサイドの街に着いて、クリフトはしばらく宿の窓からぼんやりと外を眺めていた。
 夕日に染め上げられる景色は世界で最も神聖な街。 聖職者であれば誰しもが憧れる聖地だ。この地へと聖職者は修行を積みながら赴き、 更なる叙階を与えられる。 彼を広い育てたサランの大司教やサントハイム神官長がそうであったように。 各町の神父もかつて、この聖地を訪れ聖呪ザオリクの呪文を授けられた者達だ。
「……ふぅ」
 気分が滅入る。クリフトは深い溜息をついて片手で頭を支えた。
 荷物の中にはサントハイムでまるで盗むかのように拝借してきた禁呪と聖呪の呪文書。 ここ最近は禁呪を使うことも随分と減った。 魔法力を消耗し過ぎてしまい、仲間達に迷惑をかけたという反省もあるが、 何よりもこの呪文を扱うことが恐ろしくなったというのが本音だ。
 神の尖兵である信念も揺らぎ、貫き通すべき善すらも正体が見えなくなってしまっている。 そんな状態で生命を奪う呪文を唱えるのが恐ろしかった。 取り返しのつかない過ちと罪を、自分は重ねているのではないかと。
 そして聖呪。こちらは更に恐ろしい。 最高位の聖職者に与えられるべき呪文書を、迷いばかりの不完全な自分が所持していることすらおこがましい。 これは一つの罪だ。
 こんなもの、もって来なければ良かった。そんなことを何度考えただろうか。

 コンコン、とドアがノックされた。
「クリフトさん。これから今後の方針を話し合うんで来てくださいね」
 ミネアの声だ。
「わかりました。すぐに参りますね」
 返事したものの、どうにも腰は重い。
 深呼吸して、決心すると思い切って立ち上がってドアを開いた。



 食堂に仲間達はすでに集まっていた。
 その中でも異様な雰囲気を醸し出しているのが、クリスの横に座っている女性だ。
 秘境の砂漠の大地の中に佇む世界樹と呼ばれる樹の上で助けを求めていた翼の折れた天使。 翼さえなければ、人間と全く違うことのないその瞳。ルーシア、と彼女は名乗った。
 クリフトは末席に腰掛けると、クリスは話し始めた。
「これからルーシアさんの導きで天空の竜の神様に会いに行きたいと思います」
 天空。そんな御伽話や伝説の実感のわかない言葉に、誰もが口を閉ざした。 そんな様子を読み取ったルーシアが慌ててクリスの言葉を補足した。
「天空の城は実在するんです。そこでマスタードラゴンは世界を見守っていらっしゃいます」
「…と、いうことです」
「…ま、伝説の武具が実在して、更にこの街についてみれば馬鹿みたいに高い塔が見えてるんだもんね。 天空のお城も実在するかもしれないわ」
 マーニャが大げさな手振りで頭の後ろに両腕を回して、天を仰いだ。
 ミネアが水晶を見つめた。今はその水晶も何も映していない。
「我々を導いた神に会い、全てに決着を付ける。…私達の戦いも結末が近づいているんですね」
「そうだな。俺は神とやらに会ってみたかった。姿の見えないものに導かれるというのも不思議な感覚だったからな」
 ライアンの言葉にトルネコも頷いた。
「ついでに家内安全、交通安全、人類平和、健康祈願。いろいろ聞き届けてもらいたいもんです」
「そうじゃな」
「そうよね。ブライの長寿祈願しなきゃね。あと、マーニャの恋愛運」
 アリーナの言葉にマーニャがわざとらしく前のめってみせると、 今度は仕返しとばかりにアリーナに意地悪く笑いかける。
「じゃぁ、クリフトの恋愛運も祈願しなきゃいけないわね」
 アリーナは目をぱちぱちと瞬かせて、やがて納得が言ったかのように微笑して頷いた。
「…クリフトの分は仕事運を祈ってあげるわ」
 その言葉に今度はマーニャが何度か瞬きを繰り返した後にクリフトの方を省みた。
 クリフトは苦々しく笑って僅かに目を伏せると、片手を上げて“今は構わないでください”とジェスチャーした。 それが伝わらない相手でもない。マーニャは何か思うところがあるように物言いたげな顔をしながらも再び座りなおした。
 クリスは仲間達が静かになるまで、じっと黙って待っていた。
 そして、誰もが言葉を待っているのを確認するとクリスは再び口を開いた。
「それじゃぁ、次の行き先は天空のお城。それで構わないですね?」
「異議なし」
「オッケー」
 すぐにライアンやマーニャが頷いた。しばらく思案した後にブライとトルネコ、ミネアも。アリーナも。
 ルーシアが天空へと帰ることができる、と確信して嬉しそうに微笑んだ。
「天空への城へは塔を上ることで向かうことができます。天空の武具に身を包んだクリスさんがいれば、 入り口は開かれるはずです」
 その言葉にクリスは微かに苦笑した。
「塔、ってことは。クリフトはまたラリホーで眠らしときますか」
 ブライの言葉にマーニャとミネアがまるで、小さい子供を励ますかのように肩を叩いた。
「気球に乗るとき、強がってたっていうのに青い顔でしゃがみこんでたもんね」
「大丈夫ですよ。次もしっかりラリホーマかけて差し上げますからね」
「い、いえ…」
 クリフトは助けを求めて視線をぐるりと巡らすが、誰しもが同じように温い視線で自分を見ている。 彼は今日、何度目か分からないほどに深い溜息をついた。

「申し訳ありませんが、私はここに留まりたいと考えています」
 クリフトの言葉にその場の空気が凍りついた。
 ミネアがやっとのことで口を開く。
「どうしてですか?」
「今、私には神に対面するような資格はありません」
 マーニャが呆れたように言った。
「資格があるとかないとか。そんなの誰が決めたのよ。あんたが勝手にそう思っているだけでしょ」
 クリフトはそれでも頑として首を振った。
「その通りです。私が勝手にそう決めたのです」
 仲間達の視線を一手に引き受けながら、クリフトは更に口を開いた。
「私には神の御旨がわからなくなってしまったのです」
「…どういうこと?」
 アリーナの問いにクリフトは続けた。
「私はずっと神の御心に従うことが全て、と生きてきました。 そして、神は絶対。魔族は悪。人間は神に従うべき、と。 しかし、どうでしょう。魔族や魔物、人間以外の生物は本当に悪なのでしょうか」
 自分が盲目的に信じているものは何だろうか。
「ロザリーさんは悪にはとても見えませんでした。そして、そんなロザリーさんを襲ったという人間。 私はもしかしたら、デスピサロの方が正しいような気さえしてきています」
「……それは…」
 ルーシアが何か反論をしようとして、言葉に詰まった。 言葉の続かなかったのを横目で見ながら、クリフトは拳を握って最後に一言付け加えた。
「…人間というのは、本当に守る価値があるんでしょうか…?」
 クリフトの力のない言葉にブライが椅子を背後に倒す程に勢いよく詰め寄ると、杖の先を突きつけた。
「…失望したぞ、クリフト。ワシらは城の皆を。世界の人間を救うために旅をしてきた。 お前さんは志を失ってしまったのか!お前さんはサントハイムで率先して“城の者を探したい”と、旅に出ると言った。 その姿にワシもアリーナ様も随分と励まされておったというに!この大馬鹿者が!」
 感情的になってまくし立てるブライを慌ててトルネコが押さえ込む。
「…すみません。…どんなお叱りももっともです」
「この馬鹿者が!」
「ブライさん、落ち着いてください!いろんなことがあったんです!混乱してしまっても仕方のないことではないですか!」
 トルネコが必死に自分を庇ってくれているのは分かっている。だからこそ、彼は、
「申し訳ございません」
と、人形のように繰り返すことしか出来なかった。

「…出発は、明後日にしましょう」
 クリスの声に全員が静まった。
「あたしも思うところがあります。少し考える時間が欲しいんです。だから、今晩はここで休んで、 明日は一日自由行動。出発は明後日の朝にしましょう」
 クリスは複雑そうに笑うと立ち上がった。
「明日は皆、行きたいところやしたいことがあったら自由にしてください。 家族に会いに行くでもいいですし、遊びに行くのもいいですね。 天空の神様に会ったら、おそらく決戦の日は近いでしょう。だから、やり残しや悔いのないように。 …それで。明日一日考えて。…これ以上同行できないと思ったら、それは仕方ないことです」
 クリフトを庇うようなクリスの言葉の裏には、誰にも打ち明けるつもりもないのかもしれない彼女の苦悩と優しさと責任感、 今まで必死に押し隠してきたのであろう彼女の葛藤があった。
 ライアンがすぐに立ち上がった。
「承知しました。勇者殿」
「ライアンさん…。ありがとうございます」
 クリスは目を細めて、寂しそうに頷いた。
「じゃぁ、今日は解散です。明後日の朝、また会いましょう」


 クリスが、ライアンが。ブライが。ルーシアが席を立った。
 突然の余暇を手に入れたミネアが様子を伺うように姉に問いかけた。
「姉さん。姉さんはどうするの?」
「…父さんに報告、とかいろいろ考えてみたけど、やっぱり報告は全部終わってスッキリさせてからの方が気持ちいいわ。 明日はカジノにでも遊びに行こうかしらね」
「まったく姉さんらしいわね」
 ミネアは苦笑すると、マーニャの後を追うように部屋へと戻っていった。
 トルネコも部屋へと戻っていく。
 アリーナがクリフトを振り返った。
「トルネコはやっぱり、エンドールの家族に会いに行くのよね」
「そうでしょうね」
 クリフトは頷いた。
「ねぇ、クリフト。クリフトは明日どうするか決まっているの?…もしかしてロザリーヒルに?」
「いえ、私は…」
 今、ロザリーの墓前に赴く勇気などとても出ない。そんなこと、とても出来ない。
 クリフトはしばらく呆然と考えた。
 そして、ふと思い出されたブライの言葉。“サントハイムを出立したとき”のこと。
「…サントハイムの城に…戻ってみようかと思います」
 じっと、クリフトの言葉を待っていたアリーナが意外そうに首をかしげた。
「…そっか。じゃぁ、私と一緒ね。…一緒に行ってもいい?」
 拒否する理由もない。クリフトは頷いた。





 夜。疲れを訴える体とは裏腹に冴え渡る頭を抱えて、何度となく寝返りを繰り返した。
「クリフト」
 突然、声をかけられて肩が震える程に驚いてしまう。 声の主は同じ部屋を割り当てられているライアンだ。
「クリフト、起きているか?」
「はい。起きています」
 クリフトは上半身を起して、ライアンに向き直った。
 反対側のベッドでは横になったまま、同じように眠れなかったのか目をしっかりと開いている彼の姿があった。
「…俺も、しばらく同じことを考えていた」
「…同じ…」
 ライアンは体を横に傾けるように体を動かした。月明かりが微かに入り込んで浮かび上がるその瞳は決意の色が浮かんでいた。
「ライアンさんも迷っていらっしゃるのですか?」
「あぁ。だが、俺は引かない。いや、引けないんだ」
「なぜですか?」
「守るべき仁と義があるからだ」
「仁と義…」
 鸚鵡返しに呟く。
「そして忠」
 北方の武人の忠義は自分達の文化とは違う。耳慣れない言葉と考え方。
「忠義に生き、他人への優しさを以って正義を貫く。…俺は不器用な人間かも知れんが、 今までに多くの人間や友人に平穏を約束してきた。…陛下にも国民にも、それに…」
 そこで少し口ごもって、なにやら考え事をした後にようやく相応しい言葉を見つけたのかライアンは口を開いた。
「…種族を超えた大切な友人にもな」
「……」
 クリフトは押し黙った。
「何も俺は曲げない。信念を貫く。…かつて必死に足掻いて生きてきた俺を裏切ることは友を裏切る行為だからな」
 ライアンはきっぱりと言い切った。なんと強い剛の意志だろうか。
 クリフトは目を伏せて、自嘲する。こうして諭してくれる仲間がいるというのに、まだ迷いを振り切ることができない自分を。
「人間も魔物も、神も魔族も。等しく平等に対等に生きることができる世界。 世界の覇権も何も関係のない。そんな世界が実現できる日は来るのでしょうか」
 それが理想であることが、どんなに自分を苦しめていることか。
「…さぁな。来ればいいな。だが、俺はそんな世界が実現できなくてもいいと思っている」
「…」
 ライアンのぶっきら棒な言葉に一瞬面食らうが、クリフトは頷いた。
「………たしかに、そうかもしれませんね」
「…だが、俺はクリフトのように純粋に他のものを愛することができることを尊敬している」
「……」
 クリフトは目を丸くした。
「……ありがとうございます」
 ライアンにはもう一人、気にかけている人物がいた。
「そして、誰よりも苦しんでいるクリスもな」
「…そうでしたね。私達は彼女を支えていかなければならないのでした」
 彼女はまだ若く、短期間に多くの悲しみを抱え込みすぎた。
「俺はクリフトもクリスも、仲間達の誰もが戦う意思を固めて明後日集合できることを信じている」
「…えぇ。クリスティナさんは芯の強い女性です。…必ず、迷いを振り切ってくれますよ」
 そして、自分もそのために明日、サントハイムへと戻る。

 様々な願望、希望、理想。
 そんなことばかり考えてしまう長い夜がすぎて、やがて朝になった。
 


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