『聖戦』


 誰からというわけでもなく陣を組んで手を重ねた。
 瘴気の風が間を駆け抜けて身震いを誘う。しかし、この地には体を揺らす草木はない。 あるのは岩と枯れた木のような植物とは名ばかりの残骸ばかりだ。
「四つの封印。これを破るより他ありません。…急がなくては…」
 デスピサロは進化の秘法と呼ばれる秘術をその身に施し、この地底の世界でその身を魔物を越えた化け物へと変化させている。 奴の下へと辿り着くために、結界を破らなければならない。
 クリスは視線を動かして地下の城を包み込む結界を示した。
「……悩んでいるときではありませんね。決断します」
 仲間達は静かに勇者の言葉を待った。
 そして導き出された決断。
「ライアンさん、ミネアさん。北西の結界をお願いします。マーニャさんとトルネコさんは南西を」
 クリスは続けた。
「ブライさんと私で南東へ。クリフトさんとアリーナさんで北東を」
 ライアンが鋭い眼光で頷いた。
「手分けして一度に撃破するということか」
「…しかし、二人ずつでは…」
 ミネアが心配そうに肩を落とした。その不安は誰もが抱いていることは明らかであった。
 クリスは申し訳なさそうに微笑んだ。
「皆さん。無理は承知の上でお願いします。…急がなければ、デスピサロはエスタークを越える化け物になってしまう…」
「…大丈夫!皆死なないわよ」
 アリーナが底抜けに明るく笑ってクリフトの腕を掴む。
「だって、この戦いが終わったらやりたいことや話したいことがいっぱいあるんですもの!ね、皆そうでしょ?」
「…ひ…姫様…」
 クリフトが思わず顔を赤くして俯いた。ブライの顔つきが険しくなったことは気が付くこともなく。
 トルネコがふむ、と頷き、ミネアが肩を震わせたままにいつになく余裕のある笑みを浮かべた。
「やれば人間できるもんです。成してみせましょうか」
「そうですわ。運命はここまで私達を導いてきました。…きっと勝てます」
 クリスは良かった、と胸の前で手を合わせた。
「では、全員撃破次第ここに戻ってきてください!」





 二人の向かう祠へは半日とかからずに辿り着くことができた。
 クリフトはその祠を睨みつけた。
 その祠の異様さは一言に説明することも容易ではない。 どこか本能的に背筋を冷やすようなどす黒さと嫌悪感をもたらすような腐敗臭を垂れ流している。 それでいて静かだ。この祠を守る魔族の性質を表しているのだろうか。
 アリーナが一歩、踏み出した。ぞわり、と寒気がする。
「クリフト。ここ、なんかものすごく嫌なかんじね」
「…そうですね。嫌な感じです。…でも、私達にはここの魔物を撃破するという選択肢しかありません」
「……クリフト」
 アリーナが驚いたように固まったままに、クリフトを振り返った。
「え、すみません。何かおかしいこと言いましたか?」
「ううん。違うの。…クリフト、すごく頼もしいなって思って」
 アリーナの言葉にクリフトはしばし考えた。
「…吹っ切れた、ということなのでしょうかね、これが」
「…うん!行こう!」

 罠もしかけもない。上へ、上へと目指して祠の最上部を目指す。
 すぐに辿り着いた。目に入るのは赤い赤い空。
「ここまで来たか」
 しわがれた声が響いた。仰々しい飾りのついた玉座に薄暗い照明。 そこに待ち受けていたのは想像と違う皺だらけの老いた姿の魔族。 それは侵入者の気配を感じるとマントを翻してゆっくりと振り向いた。
「あなたがここの結界の主ね!覚悟しなさい!」
 魔導師の姿をした魔族は二人だけでやってきたことを悟ると厭らしい顔で嘲笑った。 生理的な嫌悪感を誘う、掠れているというのに獣の唸り声のような、それでいて詩人のように柔らかい声帯を持っている。
「…勝てると思っているとはおかしいものだ」
 当然、勝たなければならない。
「私はサントハイム王女アリーナ。あなたを倒して、次へ行かなきゃいけないの。覚悟なさい」
 アリーナの空を切った腕が赤い熱の軌跡を残す。ガーデンブルグに伝わる武具、炎の爪。
「私はサントハイム神官クリフト。…あなたを討ち取ります」
 クリフトはしゃらり、と音をさせて剣を抜いた。 この戦いの為に抜かれた銀色に輝く刀身。はぐれメタルの剣。
 抜かれた武器を目の当たりにして尚、魔導師はくっく、と喉で嗤った。
「おもしろい。我が名はエビルプリースト。お前達がどんなに足掻いても敵わぬ深淵の者だ」
 エビルプリーストの手中に魔力の光が灯る。青白いその光に反応するように、周囲の空気が冷えていく。
 戦いの中で何度も感じた魔力の冷気。 クリフトはその後に襲いかかるであろう四肢を砕くほどの吹雪に備えて、アリーナの前に身を晒すと盾を掲げた。
「マヒャド!」
 エビルプリーストが放った吹雪と氷の柱が視界を覆い尽くしていく。 圧倒的な冷気に体中の血液が凍りかんばかりに、流れを止めていく感覚にアリーナは悲鳴を上げた。
「姫様!」
 なんとか治癒の呪文を唱える。アリーナの体を癒しの光が包んだ。
 耐えるんだ。
 マヒャドの吹雪が止み次第、カウンターを入れる。アリーナとクリフトは身を庇いながら機会を待ち続けた。 そして、吹雪が弱まってエビルプリーストの姿が見えた瞬間、クリフトはその映像に戦慄した。
(!!馬鹿な、速すぎる!)
「バギクロス!」
 連続で唱えられた最高等呪文の真空の刃に腕が、足が引き裂かれる。
「…ぐっ!」
 真空の竜巻にのって血液の飛沫が巻き上げられた。
「ベホマラー!」
 すぐさまに癒しの呪文を唱える。すぐに傷は癒えて、痛みが遠退いた。
 アリーナが呪文の間隙を縫って、飛び掛かった。
「やぁあ!」
 空中から放たれた一撃から、エビルプリーストは腕を盾に身を守るとすぐに魔力を集中させる。
「バギクロス!」
「きゃあああ!」
 アリーナの体は刃を伴う突風に吹き飛ばされて、クリフトの背後に倒れこんだ。
「ベホマ!」
 クリフトがすぐさまに治癒の呪文を唱える。
 アリーナが立ち上がったのを見て安堵するが、明らかに分が悪い。 治癒の呪文を唱え続けるので精一杯だ。クリフトは唇を噛んだ。
 エビルプリーストはクリフトを冷静に検分して眺めた。
「…その治癒呪文は面倒だな」
「いけない、クリフト!」
 アリーナは不穏な予感に叫んだ。
「メラミ!」
 放たれた炎の塊がクリフトを襲った。

 クリフトは床に這いつくばったままに、動かない体でエビルプリーストを睨んだ。
「クリフト!」
 アリーナがクリフトを庇うように、前に立ち塞がる。
「やはりここまでのようだな。…ひ弱な人間共は我々に滅ぼされる他ないようだな」
「……そんなことない!」
 アリーナはぎゅっと拳に力を込めた。悔しさに足が震える。
「今頃は他の結界でもお前達の仲間が倒されているころだろう。残念だったな」
「いいえ、今頃魔物に止めを刺している頃よ!」
 アリーナは頑なに認めずに、闘士を捨てなかった。そんな様子にエビルプリーストは失笑する。
「…ならば、今すぐに止めを刺してお前達の仲間の前に死体を晒してやろう」
 マヒャドの冷気が足元を伝う。アリーナはクリフトを庇うようにその手を握った。
「…姫様、ここは…」
一旦、退くしか手はありません。だから、姫様逃げてください。
 そう言おうと思ったが、声が続かない。悔しさから石床に爪を立てた。
「お前達がどんなに抵抗してももう遅い。デスピサロ様は魔族の王として目覚めつつある」
 エビルプリーストが愉快そうに腕を赤い天に掲げた。
「もはや憎しみの心しか残さない破壊兵器としてな」
(…あのとき、デスピサロは敵であっても私の話をきいてくれた)
 人間の仇であることには違いないというのに。大量殺人者だというのに。
(彼とは分かり合える気がしていた)
 少なくともクリフトはそう信じていた。
 エビルプリーストは怒りの視線を真正面から受け止めて二人を見下げている。 野卑な笑みのすき間からおぞましい牙を見せながら、エビルプリーストは勝ち誇って続けた。

「冥土の土産に教えてやろう。ロザリーを攫わせたのはこのわたしなのだ」

 アリーナの瞳が驚愕の色に染まり、そしてそれはすぐに怒りの色に変わった。
「……ロザリーは…あなたが…!!」
「そうだ。もう理性の欠片も残さないデスピサロを使って神をも滅ぼし、 そしてわたしが覇権を握…」
 全て言い切る前にエビルプリーストの顔をアリーナが殴りつけた。
「…なんてことを…!」
 もう一撃、と振りかぶったアリーナに向けてエビルプリーストが呪文を放つ。
「メラミ!メラミ!」
 周囲を焦がすほどの熱にアリーナは膝をついた。
「…ぅ」
 そのまま前へと倒れこむ。
 エビルプリーストは荒い息で切れた口の中の血反吐を吐き捨てた。
「このわたしに逆らうとは…愚かな小娘だ。…すぐにもう一人も…」
 クリフトに止めを刺すべく、エビルプリーストは振り向いた。その姿はどこにもない。
「いない!?どこに行った!?」
 背後に気配。
「ここです!」
「まさか、今の隙に回復呪文を…!」
 クリフトの持つはぐれメタルの剣の銀色の輝きがエビルプリーストの両腕を引き裂いて落とした。
「ぎゃああああああああああ!」
 絶望の悲鳴が耳をつんざく。クリフトは続けざまに呪文を唱えた。
「マホトーン!」
 両腕を失い、呪文も唱えることが出来なくなった。抵抗はもはやかなわないだろう。
 クリフトは急いでアリーナに駆け寄った。 重傷には違いないが、まだ完全に命を失ってはいないはずだ。間に合う。
「主よ。どうか、未熟な私に力を分け与えください」
 自分の信じる者の為に。
 導きたまえ。どうか、奇跡を。
 目の前の小さな姫の為に。
 目の前のただ一つの命すらも守れないで、世界など救えるはずもない。
 どうか、聖呪ザオリクの御力を。

 アリーナのその瞳がしっかりと開かれた。
「クリフト…!」
 アリーナは何事もなかったかのように立ち上がって、エビルプリーストに向かって構えた。
「おのれ…」
 エビルプリーストは脂汗を落としながら、肩を上下させて呻いた。
 クリフトは鋭い眼光でエビルプリーストをぎらりと射抜いた。
「…まさか、ここであなたのような方に会えるとは思っていませんでした」
「…!!」
 クリフトの背後から光が舞い込んだ。
「…まさか…結界が!馬鹿な!」
 エビルプリーストは目を見張って、遠く光の柱を見つめた。それはライアンとミネアが向かった北西からだった。
「あなたの悪巧みもここまでね」
 アリーナの見つめる先に二本目の光が赤い天を刺した。今度はマーニャとトルネコが向かった南西から。
 そしてすぐに三本目の光が最も近くの祠から瞬いた。ブライとクリスが向かった南東の方角。
 周囲は目が眩む程の光に包まれた。
「最後はあなたです」
 クリフトは光の中、剣を振りかぶった。

「断罪しましょう」

 結界は全て崩壊した。



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