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全ての体験と現状。
クリフトは目の前の完成間近の報告書の山にこめかみを押さえた。
気が付けば時間を忘れて書類と格闘している。
それに気が付いた彼は一息つこうと席を立った。紅茶でも淹れようと戸棚を探る。
ノックと同時にドアが開かれた。
「クリフト君。ティゲルト先輩…じゃない、神官長がお呼びだよ」
サントハイムの神官フレイだ。
地上に戻ったあの日。サントハイムに戻ってみれば、全ての人が戻っていた。
「わかりました。すぐに行きます」
クリフトはフレイの言葉に素直に頷いた。
「しかし、一瞬の内にクリフト君も随分逞しくなったね」
「そ、そうですか?」
クリフトにとっては長い戦いであったが、彼にとっては一瞬のこと。フレイは随分と感心した様子でクリフトの背中を強く叩いた。
そう言われても、残念ながら自覚がないクリフトは恥ずかしそうに謙遜すると苦笑する。
「私などまだまだです。…世の中にはまだまだご立派な方がたくさんいらっしゃいます」
「相変わらずだね。とりあえず、喜んでおいたらどうだい?」
「そんなもんですかね?」
クリフトはまんざらでもなさそうに目を細めると、ティゲルトの下へ向かうべく礼拝堂へと向かって歩みを進めた。
「ところで姫様とは最近会ってないのか?」
「えぇ」
アリーナは父王やブライを助け、サントハイムの復興に尽力している。
その対応の速さと機転には大臣をはじめ城中の者をいい意味で驚かせた。
そして、自分は治安復興にあたる兵を纏め上げる大役を任されている。
魔物との戦いが終息したとはいえ、まだ残党の魔物も多い。
強力になった魔物との戦いはしばらく異次元に封印されていたサントハイム兵が戦うにはあまりにも
変化しすぎていた。
統率者に、と魔物との戦いを終結させた英雄の一人であるクリフトが注目されたのも無理はなかった。
互いにその努めは多忙を極め、サントハイムに戻ってからの数日以来その姿すら見ていない。
二人きりで会う機会は地上に戻ってから一度もない。
「…寂しいね。そろそろ復興も一段落着いたし、会えたらいいのにな」
「そんなことありませんよ。戦いが終わり、城の皆が戻って。
しかも戦いの日々の中で姫様もご立派にご成長なさいました。…あまりの幸せに私は
これ以上の贅沢を願うことは出来ませんよ」
フレイはクリフトの言葉に驚いたように口を開いたままに、彼を検分した。
「やっぱり、君も十分に成長したよ。…誇っていい」
そうしている内に礼拝堂の前に辿り着いた。
「じゃぁ、神官長のご指示を仰いでくれ」
フレイは少年のように挑戦的な笑顔でクリフトに片手を振る。
あまりにも意味深なその態度に首をかしげつつも、新しく取り付けられた礼拝堂の扉を押した。
「お呼びでございますか?」
クリフトは新しい神官長に一礼して礼拝堂内に立ち入ると、ティゲルトは苦々しく首を振った。
「止してくれ。まだ慣れてないんだ」
神官長の飾りの多く着いた礼服だってまだ違和感があるのに、とぼやいて、頭を抑えるティゲルトに
クリフトは笑ってしまいそうになるのをなんとか堪える。
「…神官長、そんなことを仰っていたら前神官長ソテル様のご隠居がいつまで経ってもかなわないではありませんか」
クリフトの言葉にティゲルトは何度か咳払いをして、話をはぐらかそうと小細工を交えた。
あまりにも分かりやすいその反応には、サントハイムに平和が戻ったことを実感させられる。
「ところで、魔物の残党の討伐に赴いて欲しいと依頼があった」
「神官長にそのお話があったのですか?」
珍しい。殆どの場合において、この手の依頼は近衛兵団や騎士団からの連絡で向かうものなのだが。
「それではすぐに兵を連れて向かうことに致します」
「いや、兵は連れて行くな。お前一人で向かって欲しいとのことだ」
「一人で?…なぜでしょう?」
そんなに危険のない魔物なのか。否、自分が向かわされるからには強力なのだろう。
では、一般兵を連れていっては足手纏いになる、ということなのか。
「あ、いや…。そのように指示を受けていてな…」
「…承知いたしました」
クリフトは納得が行かないものの、しぶしぶ頷いた。
指示された場所は城の裏の森の入り口だった。驚くべきことに城壁がすぐ背後に連なっている程に近場だ。
ずっと昔からそうであったかのように、小鳥や小動物の姿がみえる。
確かな復興がそこにあった。
クリフトは一息つくと、重たい装備を投げ出すように足元に置いて、木の陰に隠れている“魔物”と称された気配に声をかける。
「…姫様。ご機嫌麗しゅうございますね」
木の陰から身軽な衣装に身を包んだアリーナが姿を見せた。
「…ティゲルトったら結構、誤魔化すのが下手なのね。…それともフレイかしら?」
クリフトは真剣に推理しているアリーナに余裕ぶって答えた。
「どちらかと言えばティゲルトさんですね」
「もう。真面目すぎるんだから」
「…姫様のことだから、わかっていてあの二人に頼んだのでしょう?」
アリーナはまぁね、と愉快そうに頷いて、ブライに頼むと後がうるさいわ、と苦笑いして呟く。
「そんなことよりも久しぶりね!元気そうで良かったわ!」
「姫様がご活躍されているというのに、私がへこたれているわけには参りませんしね」
クリフトは荒れ果てていた城がまるで時間を戻したかのように平穏を取り戻していくのを見て、ずっと感じていた。
「…こんな何気ない毎日がどんなに幸せなことであるか。そう思うと、私は復興に尽力せずにはいられません」
アリーナが風に流れる髪を押さえながら頷いた。
「…私もよ」
「姫様。…サントハイムの復興がひと段落したらクリスティナさんに会いに行きませんか?」
クリスはライアンの提案を断り、故郷へと帰って行った。思い出と現実が同居する悲しみの村へ。
「奇遇ね。私もそう思ってた。…クリスを励ましに行きたいって」
「…良かった」
「そのときには皆!皆でクリスを驚かせに行きましょう!」
秘密のプレゼントを用意した気のアリーナは得意げに続けた。
「もしかしたら、クリス。感激して泣いちゃうかも」
「はは。そうかもしれませんね」
二人はしばらく笑い合っていたが、アリーナがやがてクリフトのすぐ側に寄って見上げた。
「クリフト。貴方のお願い、聞き届けにきたわ」
クリフトは赤面すると、周囲に目を泳がせる。心配するまでもなく誰もいない。
周囲を支配するのは平穏そのものの森の木の枝葉の揺れる音。そのすき間から見える青い青い空。
大きく深呼吸すると、アリーナの手を取った。
「…話すと長くなってしまいますが、よろしいでしょうか?」
「もちろん。私もたくさん貴方の声がききたい」
口元が綻ぶのがわかった。
伝えるべきことは決まっている。
「姫様、私は…」
アリーナは睫を伏せた。
「うん」
「思い返せば、ずっと幼い頃から姫様のことを……………………………」
言葉が続かない。
アリーナは不思議に思って、彼を見上げた。
言葉の代わって、体を包み込む温もり。
「…言葉ほど、無力なものはありませんね…」
背中に回されたクリフトの指がぎこちなく、髪を梳いた。
「ずっとお慕い申し上げておりました」
青い青い空の下、今こそ約束を果たすために。
-fin-
あとがき(聖戦・栄光共通)