[PR] この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。
『永別』
神官フレイと別れた彼は部屋へ向かった。
門限はとっくに過ぎており、この時間は生徒達は部屋で夜の祈りを捧げている時間だ。 しかし、この日の夜は違っていた。どうも明るい。あちこちの電気が点けられ、大人たちが走り回っている。 そんな彼らをドアを開けて除く年下の生徒も見えた。小さな彼らは不安そうに大人たちを目で追う。
不思議に思いながらもクリフトは部屋へ向かうが、どうにも部屋へ近くなれば近くなるほど騒がしくなってきている気がする。
誰かの身に何かあったのだろうか。そんな嫌な予感が胸をざわめかせた。
「あの、何かあったんですか?」
クリフトは慌しく走り抜けるシスターに声をかけた。
「あぁ、クリフト。いえ、なんでもありませんよ」
なんでもないはずがない。青い顔で今にも卒倒しそうな様子で何もなかったわけがない。 クリフトはそんな様子に続けて問いかけようとするが、彼女はその声をさえぎるように部屋に戻るように命じるとそのまま立ち去ってしまった。
「……」
彼にはまったく理解ができなかったが、部屋に戻るより他ない。
「…どうして…」
「…信じられない…」
そんな声が聞こえたのは自分の部屋が見えたときだった。数人の大人たちがクリフトの部屋の前にいる。 いや、正確には彼の隣の部屋だった。そうニックの部屋だ。
「あの、ニックに何かあったんですか?」
クリフトは彼の部屋を覗こうとするが、部屋の中に彼はいなかった。 強引に中の様子を伺おうとするクリフトの両肩をシスター達が強く押える。
「クリフト、ニックはここを出ました」
「…それは…一体、どういうことなのですか?」
「ニックは旅に出たのです」
「どこへ行ったのですか?」
「それは彼にしかわかりません」
押し問答。会話の中身はかみ合わない。クリフトは苛立った。
「シスター、教えてください。彼が何処へ行ったのか。私はまだ彼と話をしなければいけないのです!」
「彼なりに悩んで決断したのでしょう、私達には伺い知ることはできません」
これ以上は話しても無駄だった。
(何か悩んでいたのはわかっていたのに)
クリフトはその夜、まったく眠れなかった。いろいろなことがありすぎて体は疲れ切っているというのに。 ニックの助けになれなかった自分のことを責めても責めたりない。
初めてニックに会った日のこと。いっしょに勉強した毎日のこと。そして、いつか食堂で話していたときに見せたあの寂しい顔。 そして、騎士団に入って世界を回って自分の両親を探してくれるといった優しい学友。
少し前に話したときの様子はかなり思い詰めていた。もっとあのときに彼の話を聞いて上げられなかったものか。
(まさか)
彼がずっと考えていたこと。神官になろうと相談したとき、彼はしきりにクリフトと自分を比較していた気がする。 そして、彼が身分に誰よりも絶望していたこと。同じ両親のいない子供として、ずっと、クリフトを友達と思ってきたのに、 クリフトは城のお姫様のお友達として貴族の子供を差し置いて城に招かれ、そして、頭がよく今度は神官になりたいという。
ニックは体力はあったが、お世辞にも成績優秀ではなかった。
(私が、彼を追い詰めて…?)
クリフトはニックの言動を懸命に思い出した。 少なくてもクリフトの知っているニックは自分を妬んでいたようには思えなかったし、夢を追っている姿勢は本物だと思った。 それも全部、
(うそだったっていうのか?)
クリフトは眠ることを諦め、どうするでもなく机に向かった。蝋燭に火を灯すと、机の上には見慣れない手紙が置いてあった。
それはいつ見ても暗号のように難解な、見間違えようのないニックの字だった。
親愛なるクリフト
この前は八つ当たりしてごめん。
ニコラウス
「…今度会ったら、文句言ってやらないと…」
悔しかった。噛んでいた唇から鉄の味がする。
クリフトは机の中から紙を取り出した。この簡潔な手紙に対する返答と彼の無事を祈る言葉を。 どこかへ行ってしまったニックへ向けて。
どうやって届けたらいいのかわからなかったので、彼の手紙と一緒に机に閉まった。
気が付いたら机に突っ伏したままだった。頭の下に置かれていた腕が痛い。 どうやらあのまま眠ってしまっていたようだ。
ぼんやりとする頭で彼は窓を開ける。まぶたが重い。十字を切って日課の祈りの言葉をつぶやくと、ようやく頭がさえてきた。
「…?」
朝にしては明るい。日が高い。
「………!!」
しまった、やってしまった。
学校に入学して以来、初めての寝坊だ。
クリフトは慌てて制服に着替えると部屋を飛び出した。
(そういえば、誰も起こしに来なかったな…)
過去に寝坊を少しでもしようものなら、宿舎の管理人が叩き起こしにいく様子を彼は何度か見ていた。 傭兵あがりの熊のような男で生徒達から恐れられている。 今日、クリフトが昼近くまで寝坊したというのに、起こしにこなかったのは昨日のニックの失踪の件で落ち込んでいることを心配してのことなのか、 それとも、彼がその年の学問は修得しているからなのか。
クリフトは焦って教室に向かったが、なぜか教室には誰もいなかった。冷静になって今日が安息日でないか考える。 何度考え直しても、休日は明日だ。
窓から中庭を覗く。日時計を確認するためだ。まだ、お昼にはなっていない。
「クリフト、ここにいたのですか」
窓から頭を出していたクリフトをシスターが見つけた、険しい声で呼びかけた。
「シスター、今日は…」
クリフトは制服についた埃を払った。
「先程、王妃様が御倒れになったと連絡がありました。皆、教会や自分の部屋で王妃様の回復のために祈りを捧げています」
ああ、神よ、一体どれだけ試練をお出しになるのですか。
頭を金槌で殴れらたような衝撃とはよくいったものだ。 昨日の今日で、彼は衝撃のあまり眩暈がした。
「あの、きっと、お妃様のことを心配して姫様が落ち込んでいらっしゃいます。どうか、お城に行かせてください」
アリーナは泣いてはいないだろうか。それが気がかりだった。
「もちろん許可します。行って差し上げなさい」
シスターは彼に渡すつもりで準備していた聖水を手渡した。
「魔物に気をつけてゆくのですよ」
「はい」
彼は走った。自分でも驚くくらいに早く。
クリフトが城に着いたとき、いつもの様子とは違っていた。 誰もが忙しく走り回り、殺気だっている。城内から城の使者が馬で出ていったかと思うと、 別の者が馬で帰ってくる。商人が薬を売りにきたといい怪しげなビンを見せた。
中に入れてもらったものの、こんなときに子供の自分は何もできない。 クリフトは慌しい大人たちを見て無力に立ち尽くした。
また、馬がやってきた。黒毛の馬と栗毛の馬。緑の制服の神官が二人が降り立った。黒い髪の壮年の神官は持ってきた袋を片手に もう一人の若い神官に指示を出し、城内へと走った。残ったもう一人の神官はフレイだ。
神官は高い教養と知識を持っており、薬草学や医学、神聖呪文を修得している。 こんなときにだからこそ、彼らは城内の者から頼られ王妃の回復のために駆け回っているのだろう。
「クリフトくん、姫様を励ましにきてくれたの?」
馬を舎に戻すために手綱を引いていたフレイはすぐに悲しそうに棒立ちになっているクリフトに気付き声をかけた。
「あの、何か私にできることはありませんか?」
おどおどするしか出来ないのは子供であるならば仕方の無いこと。 ましてや、彼より3つ年下のアリーナはもっと動揺しているはずだ。
「今、姫様を励ますことができるのは君一人だよ」
確信をもって頷くフレイ。きっと、ブライもクリフトが早く姫の下へ来てくれることを待っている、そう確信していた。
「私はすぐに手伝いに行かなければならない。姫様を頼んだよ」
会ったばかりだというのに心優しくお兄さんのようなフレイ。そして、かわいい妹のような姫。彼はアリーナの元へと急いだ。
「姫様!」
いつもの遊び部屋にはいなかった。だとすると、自室だろうか。 自室がどこかクリフトは知らない。だとすれば、行かなくてはならない場所がある。
謁見の間を覗いた。いつもならそこには王様や王妃、大臣、護衛の兵士がいるはずだったが、 今日に限ってはいない。そこにいたのはブライ一人であった。 城内の混乱とは打って変わる静けさの中、たたずみ王と王妃の並ぶ肖像画をじっと眺めていた。
「クリフトか」
「あの、私、姫様が心配で…」
ブライは肖像画から目を離さなかった。
「わかっておる。姫様はご自分の部屋にいらっしゃる。粗相のないようにの」
「はい!」
クリフトはブライの指差す階段を上る。後姿を見送ってブライは肖像画の王妃に話しかけた。
「王妃様がずっとおっしゃっていたように、ほんとうにいい子じゃ」
幾度となく生まれや身分の条件の悪いクリフトを城から出入り禁止にしようという話があった。その度に彼を推薦し続けたのは、 誰でもない王妃だった。ブライや神官長も王妃にずっと賛同してきた。
「貴方様の人を見る目は天下一品ですなぁ」
長く生きてきた老魔法使いは、人の生死に何度も立ち会ってきている。今度は自分よりずっと若く才覚溢れる王妃だというのか。
「人の運命とはなんと残酷なものじゃろう。なんとか、なんとか、お命を取り止めますように」
老人の目から涙が溢れる。何度も何度も願いの言葉を肖像画にかけつづけた。
侍女はクリフトを見ると、そっと扉を開けてくれた。初めて入るアリーナの部屋。
「姫様、いらっしゃいますか?」
アリーナはやはり泣いていた。詳しいことはわからかっただろうが、城内のただならぬ雰囲気に母親の命の危険を察知したのだろう。
「クリフト…」
アリーナは赤い目でクリフトに泣きすがった。
「お母様が、急に、急に…」
クリフトはアリーナをそっと抱きしめた。しゃくり泣く彼女の背中を優しく撫でる。
「大丈夫、お医者様や神官様たちがみんな付いていてくれていますから」
クリフトは神に祈った。どうか、優しいお妃様が助かりますように。姫様が悲しみませんように、と。
神様、どうか、お助けください。
ブライの祈り、クリフトの祈り、神官たちの祈り、王の祈り、神学校の生徒たちの祈り。
どうか、お優しいお妃様をお助けください。
祈りは通じなかったのだろうか。
その夜、王妃は静かに息を引き取った。
next
back