『旅立』




 クリフトはこの日、埃臭い書庫で本と格闘していた。といっても、読んでいるわけではない。 少し開いて内容をペラペラとページを捲って確認しては閉じて積み上げ、次の本を確認する。 何時間こうしているだろうか。少なくても半日はこうしている気がした。
 こうして出来た本はいくつも山を作り、それを動かすだけでも大変な重労働だ。

 クリフトは今年で18歳。学校を卒業してから早いもので5年が経とうとしていた。 寝る間も惜しんで採用試験前に集中勉強したのも今となってはいい思い出である。
 念願の神官の緑の制服に袖を通したときの感動は忘れない。そして、それを一緒に喜んでくれたアリーナの笑顔も。
 そして、彼はアリーナの友達としての経験や人柄を買われて、お転婆なアリーナの側仕え兼教育官に任命された。 その職務に彼は満足していたが、何より喜んでくれたのはアリーナ自身だった。
 そして、もう一つ彼に与えられた仕事がある。今日、ここで埃をかぶっているのもそのためだ。
「クリフト君、こっちを手伝って!」
「はい!すぐに行きます!」
 サントハイム城、地下書庫。そこには膨大な古代の貴重な写本や歴史書、研究書、魔術書などが納められている。 クリフトは棚から出され積み上げられた蔵書を避けながら声のした方向へと急いだ。
 足の踏み場を探しながら本で詰まっている棚の間を進む。四苦八苦しながら掻き分けてすすむクリフトの前に腕を組んで棚を見上げる神官の姿が現れた。 金髪の歴史学者の神官フレイ。もう一つのクリフトの仕事は彼の助手である。
「あの辺りが結構怪しい予感がするんだよね」
 クリフトの先輩神官フレイは自分達よりもずっと背の高い棚の上段を指差した。地下だというのに天井は高く、 指で示された先はクリフトとフレイの身長を合わせてようやく届くか届かないかという程だ。
 今年で24歳になるフレイは城の神官達の中ではクリフトの次に若い。クリフトが神官になる前から面識がある彼は非常に 優しく面倒見がいい。神官になったばかりの頃からクリフトのことを ずっと弟のように見てくれている。神官を束ねる神官長や副官のティゲルトもフレイならば、と安心して 教育を任せていた。

 フレイは高すぎる棚にため息をついた。
「リゲルタ先輩が今日居てくれたら良かったのになぁ」
 各地の重要な書物を探し出し保管する書庫管理担当官リゲルタ。記憶力に優れた彼は数ヶ月で何千にも及ぶ蔵書を把握し、 この書庫の管理を任された人物である。彼がいればすぐに探していた本も見つけられ苦労もなかっただろう。
 しかし、リゲルタはこの日は出張に出てしまっている。新たに貴重な蔵書を発見するためか、 それとも、この書庫の蔵書で傷んだものを保管するために写本の作成を依頼しているのか。 仕事の内容はわからないが、フレイとクリフトが書庫に来て彼が居ないことに大いに落胆したことにはかわりない。
「リゲルタさんにはここの棚は高くないんでしょうか…?」
 クリフトの言葉にフレイは苦笑した。
「リゲルタ先輩は気難しいからね。クリフト君、そう進言してあげてよ」
「えぇっ!?そんなこと言えないですよ」
「冗談だよ」
 フレイは辺りを見回した。
「どこかに台か脚立みたいなのがあるはずなんだけど…」
 クリフトも納得して周囲を見て回る。本の山を避けながら、後ですぐに戻さなければならないことを思うと頭痛がする思いだった。
 
 すると、そこに場違いなかわいらしい声が響いた。
「クリフトー!ここにいるのー?」
 アリーナの声だ。クリフトは何とか声のする方向を確認したいがなかなか見える位置まで移動できない。 慌てた彼の太腿が本の山に辺り、ぐらりと揺れたのを押さえると彼は進むことを諦めた。
 仕方なく大きな声で答える。
「姫様ですか?ここは換気が悪いのでお体を壊されますよ」
「大丈夫よ。ここにずっと籠もってるって聴いたから何か手伝えることはあるかなって思って」
 クリフトにとっては非常に魅力的な申し出だった。
 何しろ、アリーナは体力と力に優れている。この本の山を片付けるのを手伝ってもらえたらどんなに助かるだろうか。
「姫様がケガでもしたら我々申し訳がたちません」
 フレイの声だ。一瞬、クリフトは落胆するがそれももっともな話だ。
「大丈夫よ、何でも言って!」
「それでしたら、姫様!姫様のお近くに足場になるようなものはないですか?」
 アリーナは言われて周りの通路を見回しながら歩くが、それらしいものは見当たらない。
 ふと、彼女はとてもいいことを思いついた。
「高いところにあるものを取るの?」
「そうです」
 クリフトはようやくアリーナと合流できた。自信満々の彼女を案内して問題の棚に向かう。  フレイも戻ってきて3人で上を見上げた。
「あの上から3段目の一角です」
「よーし」
 彼女は腕をまくるとおもむろに棚に足をかけた。
「わああ!姫様、だめです!危ないです!」
 二人は慌てて、アリーナを引き止める。アリーナは不服そうに足を下ろした。
「だって、登らないと取れないじゃない」
「それはそうですが、お召し物も汚れてしまいますし、後から私達ものすごく叱られます」
 フレイは苦笑しながら腕を組んだ。
「それなら!」
 アリーナは二人を見て床を指差した。
「二人で肩車!」
 それでも届くのか怪しいのだが、大切なお姫様が棚をよじ登るよりかはマシかと思ったフレイはクリフトに、
「じゃぁ、私が下になるからクリフト君乗って」
「そんな!私が下になりますから、フレイさんが上に…」
 先輩後輩の譲り合い。アリーナがそんな二人を他所に話を続けた。
「その上に私が肩車してもらうの!そしたら届くわ!」
「……フレイさん、下になってくださいませんか?」
「相変わらず正直だね、クリフト君…」
 赤くなっている修行の足りない後輩にフレイはあきれ果てた。
「三人で肩車なんて危ないですよ、やっぱり足場を探しましょうよ」
 フレイはそう言うと、さっさと足場探しに戻った。クリフトも別の方向へと向かう。
 アリーナだけが残って不貞腐れたように棚を睨み続けていた。


 書庫の奥へ進んだところで、クリフトはようやく高い脚立を見つけた。
 もっとわかりやすく出入り口付近に置いてくれれば良いのに、とリゲルタの直感管理に力なく笑うしかない。
「フレイさん!ありました…」
「キャっ」
 クリフトの言葉を遮るようにアリーナの小さな悲鳴が響く。
 続いて、ガタン、ドカンと絶望的な豪音が連鎖した。
 とても豪快なドミノ倒しである。
「………!!!」
クリフトは埃が煙のように巻き起こっている棚の倒壊現場の方向を向いたまま立ち尽くした。
 足場なんて言っている場合じゃない。
「姫様!ご無事ですか!?」
 倒れた棚からは本があふれ出し、足の踏み場なんて残されていない。
(姫様は…?!)
 クリフトは心臓が止まるかと思うくらいに早く鳴り続けているのがわかった。 棚の下敷きになっていれば大変な怪我をする。 本だって打ち所が悪ければ最悪の事態を招く。
 貴重な古書だってアリーナには代えられない。クリフトは本を踏み越えて倒れた棚の間にアリーナを探す。
「クリフト!はい、これ!」
 本の山の中から突然立ち上がったアリーナがクリフトに本を差し出した。
「………ありがとうございました…」
 クリフトは引きつった笑顔でそれを受け取る。
「あとのは、このあたり!」
 アリーナは大きな身振りで足元を指差した。
 そこにフレイも遅れて駆けつける。
「姫様!お怪我は!?」
「大丈夫よ!」
 軽い擦り傷のできた両腕を見て、二人の神官は両脇から治癒呪文をかける。
「姫様!棚に上るのは危ないと申し上げたではないですか!」
 クリフトは冷静になると苛立って仕方がなかった。
「だって…」
「だって、ではありません!」
「…お手伝いがしたかったんだもん」
「しかし、書庫は貴重な蔵書がたくさん収められている国の財産です。身体を使って暴れる場所ではありません!」
「…もしかして、私、邪魔しちゃった?」
 沈み込む様子のアリーナにクリフトは少し言い過ぎたことを自覚した。 しかし、こうしてアリーナを叱るのも側仕えを任されているクリフトの仕事である。

「もっと女性らしくしとやかになさってください。陛下もブライ様も大臣達もお困りです!国民に示しがつきません!」

 フレイは青い顔をして苦笑すると、
「お召し物が汚れてしまってますので、お部屋にお戻りくださいませ」
クリフトの説教を中断し、アリーナを出入り口の方へと促す。
 アリーナは何度も二人を振り返りながらしゅんとして去り行く。
 フレイは笑顔で見送った。

「ちょっと、言いすぎたんじゃない?」
 フレイは完全にアリーナの姿が見えなくなったのを見計らって忠告する。
「心配したのはわかるけど、お説教は感情抜きでしないと逆効果だよ」
 クリフトは眉をしかめて首を振った。
「姫様には私の気持ちなんて伝わらないんです!」
 フレイはまだ若いクリフトにため息をつく。
「私も君と同じ年の頃はそうだったかもしれないけどね」
 後輩に余計な心配をするよりも先にするべきことがある。この書庫を管理する先輩神官が戻る前に片付けなければならない。
 フレイは足元の本に手を伸ばすが背後に誰かの気配を感じ、冷や汗を流す。 クリフトは気付いていないが、彼は諦めて背後の気配に向き直って頭を下げた。
「フレイにクリフト。これは一体何事か教えてくれますかね…?」
 今、最もこの場に来て欲しくなかった人物の声。
 その声にクリフトの頭も一気に冷えた。
 恐る恐る振り返る。そこにはこの書庫の支配者リゲルタが仁王立ちしていた。
 背が高く、色白なその神官は30歳を少し過ぎた二人の先輩だ。赤茶色の瞳が今日に限っては 赤く光っているような気がする。神官達の中でも仕事に関しては最もこだわりを持つ彼がこの惨状を笑って許してくれる 筈がなかった。
「…クリフト君。君もちょっとお説教をきいて学ぶといいよ…」
 フレイが諦めたように囁いた。青い顔をして頷く。
「二人ともそこに座れ!戻って来たとたんに仕事を増やしてくれるとはどういうことだ!」
 お説教は二人の正座した足が痺れて動かなくなっても終わる様子を見せなかった。




 二人が解放されたのは全て片づけが終わった夜のことだった。
「散々だったなぁ…」
「そうですね…」
「姫様がって言ったら許してもらえたかもね」
 悪趣味な冗談にクリフトは横目で睨んだ。
「そうしたら、お側仕えの私が全ての責任を負うじゃないですか」
「冗談だって。私達に止められなかった責任があるのに姫様に全部押し付けられないよ。男が廃る」
 埃だらけの神官服で悲鳴を上げる筋肉を押さえながらフレイはげっそりと呟いた。その隣を歩くクリフトは尚辛そうにふらふらと歩く。
「明日の仕事の予定もできたし良かったね、クリフト君」
 フレイはクリフトの抱える数冊の本を見た。今回の騒ぎで破損し複写の必要ができてしまったものだ。
「1週間以内だっていうけど、もちろんできるよね?」
 本来なら修道院や教会の一角に複写を専門に行う修道士がいるのだが、今回の件の責任を負うことになってしまった。
「自信がありません…」
「私も手伝えないよ」
 フレイは更に厚い物を数冊抱え込んでいる。二人はため息をついた。
 もう二人はため息しか出ないまましばらく歩いていた。
(昔もよくブライ様に怒られたけど、成長してないのかな)
少し、落ち込む。
「お説教ってツライだろ?」
 不意にフレイがそう言うとクリフトの背中をバンバンと叩く。そして、クリフトから課題の本を奪い取った。
「姫様に免じて、今回だけ私が面倒見る」
「フレイさん!」
 フレイはバイバイと手を振った。
「ちゃんと姫様に謝りに行くんだよ」
 一人残されたクリフトは確かに言い過ぎたな、と思い返して頭をかかえた。




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