その頃、アリーナは部屋でいそいそと可愛らしいリュックに服をつめていた。
「クリフトのバカ。クリフトだけは私の味方だと思ってたのに!」
 服を詰め込むと、机の引き出しから取っておいたおやつをしまう。
「こんな城出て旅人になってやるんだから」
 身軽な格好になっているアリーナは アクセサリーを閉まってある箱の中からなるべく石の大きなものを一つ二つ選んでポケットに入れた。 これを売れば旅の資金になるだろう。
「これでよしっと」
 アリーナは旅支度に満足するとふと気が付く。 夜中でも兵士は警備をして回っている。むしろ、夜の方が厳重だ。外から入れないということは中から出るのも難しいということに アリーナは気が付いた。
「ああ、もう!どうやって抜け出せっていうのよ」
 アリーナはベッドに背中から倒れこんだ。
 思い出すクリフトの言葉。
「何が女性らしく、よ。私はずっと強くなりたって思ってるのに」
 昔、クリフトと交わした約束を思い出す。クリフトは神官になってずっと城に居て欲しい。 その代わり、アリーナ自身が強くなってみせるから、と。
「そうよ、私は約束を守ろうとしているだけじゃないの」
 アリーナは都合のいい解釈をすると立ち上がった。
 苛立ちは募る。
「クリフトのバカーー!!」




 城が揺れた。



「姫様!姫様!何事でしょうか、ドアを開けてくださいまし!」
 侍女が激しくドアを叩いている。
 アリーナは呆然と今しがた自分が八つ当たりした壁を眺めた。
「私…強いじゃない…」
 アリーナ一人が余裕で通ることの出来る大穴。
 その向こうに星空が見えた。そして、広い大地と大きな山脈。それは狭い世界しか知らないアリーナにとって、 物語の舞台のように神秘的で魅力的に映った。
「これが…外の世界なのね…」
 格子のついた小さな窓から覗くよりもはるかに広大。
(やっぱり、私旅に出たい!)
 穴の下はなんとか飛び降りることができる高さであることを確認したアリーナはリュックを背負った。 その穴の前に立って深呼吸する。少し冷えた夜の空気。
(よし…!)
 一歩、踏み出そうとしたそのとき。
「姫様。いらっしゃいますか?」
 クリフトの声だ。少し侍女が静かになったと思ったら、彼を呼びに行っていたのか。
 アリーナは不機嫌そうにドアを開けずに返事した。
「いるわよ。何か用なの?」
「大きな音がしたというので…その心配で…」
 ドアの向こうでクリフトは心配しているというのか。 少しだけ、悪い気がしたアリーナはドアの前まで行くがやはり開けてやる気はしない。
「…姫様、先程のことを怒っていらっしゃいますか?」
「少し!」
 アリーナは腕を組んで怒鳴って返した。本当はもう機嫌を治していたけれど。
「…言い過ぎてしまいました。申し訳ございません」
「…」
「私は、その…姫様が怪我をされたのを見てつい…我を忘れてしまって…大変失礼なことを申し上げてしまったことをお許しください」
 その言葉を聴いてアリーナは今の決意をクリフトに伝えようと思った。きっと、彼ならわかってくれると。
「クリフト、クリフトだけ部屋に入って」
 侍女が今近くにいるのかいないかわからなかったが、二人だけで話したかったのでアリーナはそう念押しした。
「わかりました」
 クリフトの返事にドアを開ける。クリフトはアリーナの旅支度に驚き、部屋に入って次に壁の大穴に驚いた。
「姫様、これは…」
 クリフトは今にも卒倒しそうだ。アリーナは真剣に答えた。
「私があけたわ」
「姫様、まさかこのお城を出る気ですか…!?」
 クリフトは声を荒げた。
「こんなことをしてまで、一体どういうおつもりですか?!」
「きいて」
 アリーナは冷静だった。言い聞かせるように語る。
「この穴を開けたのはただの八つ当たり」
「…?」
 アリーナは穴の向こうを指差した。
「でも、ここから見える空や山。サントハイムの国々を見たら私、思ったの。 自分はずっとこの国のお姫様でいたけれど、私はサントハイムの町や人を見たことがないんだって。 だから、見に行きたいの」
 アリーナは生まれてから城とサランの町の一部分しか見たことがない。 この穴の向こうに見える広大なサントハイムの大地。彼女が憧れるのをクリフトもわかる気がした。
「私は将来、この国の女王様になるわ。だからこそ、自分の足で目で見て回りたいの。 それにこの石壁が壊せるくらいなんだから魔物にだって負ける気はしないわ」
 アリーナはクリフトをじっと見つめる。

「クリフト、私と一緒に来て欲しいの」

「姫様、私は…」
 思わずクリフトは目をそむけた。いろいろなものが頭をよぎる。
身分、危険、羨望。
「…私は…」
立場、責任。

「・・・一緒には行けません。姫様もそのようにお考えでしたら、やり方は他にもあるはずです。 考え直していただけないでしょうか」 

 アリーナは悲しそうに首を左右にゆっくりと振った。
「私はクリフトが神官になってくれてうれしかった」
「・・・姫様…?」
「小さい頃からずっと、クリフトが神官になってくれたのはずっと一緒にいてくれるってことだと思ってた。 どんなときでも私の味方でいてくれるって。 そりゃぁ、もちろん私が悪いときは怒って止めてくれたけど…」
 クリフトは目を見開いたまま指一本動かせなかった。胸が痛む。
「…そう思っていたのは私だけだったのね。
そうよね、クリフトもお仕事だもんね。ごめんね、わがまま言って」
 アリーナはゆっくりとクリフトの前まで歩み寄った。
「ごめん」
「!」
 腹部に重い衝撃。クリフトは崩れ落ちるように倒れた。
 遠のく意識の中、軽く身を翻して外へと飛び出すアリーナが見えた。


 …姫様、ごめんなさい。
 私は臆病でした。
 ずっと貴女の近くにいたいから私は神官を志したのです。
 本当は貴女と一緒に行きたかった
 それだけは本当なんです…






「クリフト、しっかりせんか」
 聴きなれた声と肩を叩かれる感触で再び覚醒した。起き上がろうとすると、みぞおちのあたりが痛む。
 両手を床につけたまま、彼は周囲を伺った。
 随分と風通しの良くなったアリーナの部屋。アリーナの姿は見えない。 その代わりに王や大臣達が問題の穴のあたりに集まって相談している。
(やはり、夢ではなかったか…) 
 クリフトは悲嘆にくれた。
「…申し訳ございません…。全て私の責任です」
「あまり気を病むでない」
 ブライが彼の肩をつかんだ。クリフトは自分を起こしてくれたのがブライだったことに気がついた。
「ブライ様、すみませんでした」
「これは姫様のことをわかってやれなんだ皆の責任じゃ」
 ブライの言葉にクリフトは唇を噛んだ。もうどうしたらよいのか判断がつかない。

 王の言葉が聞こえた。
「クリフト、アリーナは何と言っていた?」
「この穴の外に見える町や大地を、自分の目で見て歩いて…領民とふれあいたいのだ、と…」
 クリフトはアリーナの言葉を思い出し、復唱した。
「そうか、アリーナがそんなことを…」
 遠い目で外を眺める王の姿にクリフトは請願した。
「陛下、お願いします。姫様を行かせてあげてください」
 大臣が自分を丸い目で見たのがわかった。しかし、すぐに怒りの形相に変わる。
「クリフト!お前何を言っているのかわかっているのか!?」
「わかっています!…わかっています…」
 厳しい処罰がくだるのはわかっている。覚悟はできていた。 ブライがせっかく庇ってくれたのに無碍にしたことだけが心残りだった。
 それでも、あのアリーナの目を思い出したら、そう言わずにはいられなった。

 しばらく、誰も何も言わない。
 クリフトは彼らが自分への処罰いついて考えているのだと思った。
「…私でしたらどんな罰でも受けます。国外追放でも斬首でも。だから、姫様を…」
「クリフト」
「はい」
 クリフトは覚悟して目を閉じた。どんな罰がくだってもいい。今ここで首を落とされたってかまわなかった。 アリーナの信頼を踏みにじった罪を考えれば、それでいい。

「わかった。行かせてやろうと思う」
 クリフトは息を呑んだ。
 見上げたら、王はクリフトの目の前に膝をついて自分を見ている。
「陛下…」
「小さい頃からずっとあの子についていたお前がそこまで言うのなら、それが一番良いのだろう」
 大臣が驚いて何かを言おうとしたのをブライが制した。
 王が微笑んでいるのを見て、クリフトは額が床に当たる程に敬意を表した。
「そうと決まれば、お供を追わせなければなるまい」
 王はブライを見た。
「ブライ、アリーナのことそなたに任せたい」
「…お任せください」
 ブライは言葉を続けた。
「しかし、わしも年ですし、癒し手が欲しく思います」
 癒し手。彼らの後ろで跪いたままクリフトは拳に力をこめる。どうか自分でありますように、と。
 その言葉を聴き、頷いた大臣は神官長を呼ぶように控えていた兵士に指し示した。 程なくして、二人の神官を連れて温厚そうな老人が姿を現した。 クリフトは見なくても誰を連れてきたのか察しがついた。神官長の側近、ティゲルトとフレイだ。 神聖魔法を扱う神官達の中でも剣を扱って戦えるのはこの二人だけだ。
「フレイを行かせましょうぞ」
 神官長の言葉にフレイは深く頭を下げた。神官長の脇に控えるティゲルトが付け加えた。
「フレイは学問のために各地を訪ねた経験もありますし、私に付いていた時期に少しですが剣も教えています」
 それは適任だった。彼も神官になり8年になる。経験も積み、機転も若いクリフトよりもずっと利くだろう。
 クリフトは冷静になるために深く息を吐き出し、拳の力を意識的に緩めた。
「どうか、私に行かせてください」
 沈黙。
「お願いします」
「だめだ」
ティゲルトは静かに、しかし、はっきりと拒んだ。
「お前はまだ若く経験が浅い。ブライ殿に迷惑をかけるのがせいぜいだ」
 それは的確な判断だろう。それでもクリフトは引き下がれなかった。
 一言謝らなければならない。
「恐れながら」
 そのやり取りに口を出したのはもう一人の当事者フレイだった。
「どうぞ、皆様。私の話をお聞きください。その上で私かクリフトか、どちらが相応しいかご判断をお願い致します」
「ほう、我々全員で選挙するというのか。面白い聞かせてみなさい」
 王は興味を引かれたのか、そう勧めるとティゲルトも黙る他なかった。
「私は神官になりひとまずといった年月が経ちました。今お聞きになられたかと思いますが、私は剣も扱えます。 ブライ様の助けになることができるでしょう」
 クリフトは負けじと自らも擁護すべく顔を上げる。
「!」
 フレイが穏やかに微笑んでクリフトをちらりと見た。
「しかし、私にはこれらを伸ばすセンスはありません」
 今度はティゲルトが何か言おうとするが、彼の言葉に静かに聞き入っている空気に口を噤んだ。
「そして何年も前、姫様とクリフトが夜の街道を歩くのを影から見守っていたときのことです」
 サランの大聖堂へ向かい夜に抜け出した日のことだ。
「彼らは魔物に遭遇しました」
「!!」
 一同が驚き、目を見開いた。その様子にクリフトも驚く。
 彼はこのことを報告してなかったのか。
「…なぜ、黙っていた?」
 ブライが不審の目を向ける。フレイは動じずに続けた。話を聞けばわかる、ということか。
「その魔物はおおみみずでした。夜闇の土の中、ゆっくりと彼らに近づいたのでしょう。 そのとき、クリフトは姫様を庇いながら逸早くその魔物の特性に気が付き、やり過ごしたのです」
 クリフトは気がついた。半分は本当だ。だが、全てを話していない。
 あのとき、魔物に結局は襲われフレイに助けられたのだ。
「私は彼の冷静な対応に驚異的な才能を感じたのです。 その芽を感じた私は独断で報告を見合わせました」
 この場の空気が変わった。
「あのように冷静に魔物に対処できる判断力と才能を持ったクリフトと、 伸びしろもなく独断で報告を怠るような私。どちらが相応しいでしょうか?」
(フレイさん……!)
 フレイは自分を行かそうとしてくれている。そう気がついたクリフトはそれまで自分のことしか 考えていなかった自分を恥じた。
「…フレイさん…私はそのように言っていただけるような力はありません!フレイさんの方がよほど…」
 そのクリフトの言葉にブライは目つきを変えた。
 フレイは苦笑した。
「せっかく、君を立てているのに。じゃぁ、はっきり言うよ。私は歴史学と神官の仕事に誇りをもっているんだ。 それを未熟者の君に任せて旅になんか出たくない。それもお転婆姫様とご老人のお守りとあるのならばなおさら」
「フレイ!お前、なんてことを!」
 ティゲルトがフレイの襟を掴んだ。
「…ティゲルト先輩。クリフト君は私の手になんか負えません。どうかブライ様にお任せしたいと思います」

「クリフトに行かせる。二人とも姫を頼んだぞ」
 王が決断した。
「異存ありませぬ」
 王と大臣は踵を返した。
「…ソテル、良い神官達にわが国は恵まれておるな。誇りに思う」
「勿体無いお言葉にございます」
 ブライも王に続いて部屋を出て行く。
「クリフト、早く準備して来い。あまり待たせるでないぞ」





 クリフトは神官長に出発前に一言伝えるべく礼拝堂へと赴いた。
「行って参ります」
「体に気をつけていくのだよ。神のご加護があらんことを」
「はい」
 神官長に一礼するとクリフトは礼拝堂の外へ出る。
 そこに待っていたのはティゲルトだった。
 彼に長剣を手渡す。
「これは…」
「餞別だ。持っていけ」
「ありがとうございます」
「クリフト。お前には神聖魔法の才能がある。 いずれはこの城の誰よりも高度な呪文を扱い、剣士にも負けないように剣を振るうことができるようになるだろう」
 ティゲルトは優しい父のように言う。
「それまではブライ殿や姫様に迷惑をかけるんじゃないぞ」
「はい!」
 クリフトは力強く頷いた。
「それとフレイからの伝言だ。“姫様とあまり喧嘩しないように”と」
 フレイらしい伝言をティゲルトは苦笑しながら肩を叩いて言った。
「…少し似てましたよ」
「ばかもの、早く行け」
 ティゲルトにも深く頭を下げるとブライとの待ち合わせ場所に向かった。



 サランへの街道の入り口。闇の中でもその姿を二人は見間違えるはずもなかった。
「姫様…!」
 ブライとクリフトは目を見張った。
 アリーナは腰を下ろしていた石の上から立ち上がって手を振ると笑った。
「やっぱり来てくれたのね!待っていてよかったわ!」
「お見通しだったようじゃの」
 ブライも笑って手を振り返す。クリフトはなんとか釈明をするには何を言えばいいのか考えた。 申し訳ございません。そんな侘びではだめだ。素直に自分の思いを伝えたい。 だめだ、ブライ様に聞かれる。そして、思いついた言葉。
「姫様、私も貴女と共に出立することをお許しくださいますか?」
「…来てくれて嬉しいわ」
 笑顔のアリーナにクリフトは胸を撫で下ろした。
 そして、姫の方が自分なんかよりも何枚も上手であることには脱帽する思いだ。
「ブライもありがとう!」
 アリーナはブライに抱きつく。ブライは飄々と笑った。
「そんなこと言って、実は道がおわかりにならなかったとかそんな話ではないですかな?」
「そっ、そんなことないわよ!私だってサランくらい迷わずに行けるわよ!」
 顔を真っ赤にして怒るアリーナにクリフトとブライは思わず噴出した。
「それでは、それより先の道はわからないのですね」
「ワシらの出番ですな」
 アリーナは照れたように二人の背中を押して歩き出した。

「頼りにしてるわよ!行きましょう!」




 こうして、3人の旅は始まった。


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