『非日常』
サントハイムの草原。
山々。
青い空。
商人達や町人達との触合い。
そして自分の力試し。
アリーナはサランを出てからもずっと機嫌が良かった。
「見て!クリフト!サランの町がもうあんなに小さく見えるわ!」
「そうですね」
クリフトは微笑ましく見守る。
「見て!ブライ!今度は森が見えるわ!」
「あの森を抜けて進めば、テンペの村に出ますぞ」
ブライはクリフトから借りた地図を見ながらそう答えた。クリフトがルートの確認をする。
「テンペを抜け、山を下るとフレノール平原に出ます。そのルートが一番安全かと思います」
「そうじゃな、やはり当初の計画通りそれが良いじゃろうな」
二人の打ち合わせを他所にアリーナは興味深げに風景や草花を眺めながらはしゃぎまわる。
クリフトもブライもその光景を眩しく見守っていた。
と、アリーナが地面を指差して二人を振り返った。
「見て!でっかい落とし穴よ!」
「……落とし穴?」
クリフトとブライの脳裏に嫌な予感がよぎる。
「姫様、もしかしたらそれは魔物の作ったものかもしれませんぞ」
ブライは緊張した面持ちで杖を構え、クリフトもまた棍棒を持ち、呪文詠唱の構えを取る。
「なにそれ?」
アリーナだけは何事かわからず、きょとんと二人を見るばかり。
「この辺りに出る魔物で落とし穴を作り、人を罠にかけて喰らう種類のものがいます」
「落とし穴を作る魔物?」
アリーナが首をかしげる。ブライが頷いた。
「その通り。いたずらもぐらという魔物ですな」
「もぐらみたいなやつ?」
アリーナは緊張感のないまま面白そうに魔物の話を聞いていたが、おもむろに穴の中を指差す。
「こういうの?」
「中にいるのですか!?」
まさか、こんなに近くにいるとは思ってなかった二人は慌てて穴の中を覗いた。
そこには灰色の体毛を待ついたずらもぐらがうずくまっている。緊張した面持ちでブライは呪文を唱えだすが、
ぴくりとももぐらは動かない。
まさか。
クリフトの視線を感じたアリーナは笑った。
「なんか飛び掛って来たから蹴り倒しちゃった」
「…そうですか…」
「さすがですな…」
二人は一気に脱力すると、へなへなと腰を下ろした。
旅に出てからずっとこの調子である。アリーナは魔物に出会っても余裕の姿勢を崩さずに撃破してしまう。
もしかしたら自分達二人が深刻に考えすぎなのかとも思ったが、やはりアリーナが特殊なのだろう。
「ところで、クリフト。なんで剣を使わないの?」
アリーナがクリフトの背中の長剣を指差して不思議そうに訊いた。
先程も構えたのは頼りなく似合いもしない棍棒だった。
「そうじゃぞ。棍棒よりも余程、業物じゃろうて」
二人の視線を受けて、クリフトは照れたように笑って誤魔化した。
確かに過去に騎士団を目指していた時期があるだけに剣が使えないわけではない。しかし、
生きて動いている生物を切りつけるのには躊躇してしまうのだ。何よりも、魔物は倒すべき敵、
という一般的な共通認識に実感が沸かない、というのが大きい。
「…魔物とはいえ、その、傷つけるのがためらわれてしまいまして…」
人を襲うものは仕方がないとも思う。しかし、それはあくまで自衛である。
追い払えればそれで事足りるはず。
例えば、熊や狼が人を襲うこともあるから、といっても“見つけ次第殺す”というのは極端な話ではないか。
「そっか。クリフトらしくていいんじゃないかしら。だって、強くなるのは私の役目だものね!」
「え、それは…」
クリフトは思惑と外れたアリーナの言葉を慌てて否定しようとした。守るべき姫に守られるなんてあるまじきことだ。
ブライの目つきが鋭くなった。
「任せときなさいよ。約束通り守ってあげるから」
今度はブライのこめかみに血管に浮き出るのが見えた。
「…クリフト、後でゆっくり話をきかせてもらおうかの?」
「ち、違います。ブライ様!これはその小さいときの…」
「えぇい、お前の言い訳は聞き飽きた。先に進むぞ」
少し不機嫌なブライと楽しそうなアリーナ。そのしんがりをすっかり気疲れしたクリフトが付いていく。
「早く、次の村に着くといいなぁ!」
アリーナは次の出会いを求めて駆け出すように走り出した。
「…なんか思ってたのと違うわね…」
それから何日もかけてやってきたテンペの村。
山の中で、気のいい村人が木を切ったり農作物を作ったりひっそりと暮らしていると聴いたのに。
「まるでお葬式のようですな」
ブライがそう思うのも無理はなかった。村人達は絶望した様子で打ちひしがれ、丸まった背中で地面を見て歩いている。
昼間だというのにこの村は暗い。先程まで快晴であったのに、村に近づく程に曇りだして今にも嵐が来るような空模様だ。
「何かあったのかしら…?」
「…ここは…」
クリフトは口元を押さえ、白い顔で冷や汗を流している。
アリーナは驚いてクリフトの背を撫でる。
「具合が悪いの?大丈夫?」
「すみません、姫様。大丈夫です」
クリフトは顔を横に振って意識をはっきりと覚醒させる。彼はこの村に近づく程に禍々しい気配を感じていた。
恐怖や絶望、怨念。そして、悔恨。
聖職者である彼はそれらの気配に敏感であった。その気配は決して神聖なものではあり得ない。
「この村は…死の匂いで溢れ返っています…」
「死の…匂い…!?」
アリーナは戦慄した。ブライは考察する。
「伝染病か?」
だとしたら、すぐにでもこの村を離れなければならない。城の医者や医術研究担当の神官にこれを知らせるべきだろう。
クリフトはやおら首を振って否定した。
「きっと違います。これは…悲しみと恨み…」
クリフトが感じたものを必死に言葉で表現しようとするが、この鳥肌が立つようなざらめきをなかなか伝えられない。
もどかしい思いをしていると彼らの元へと村人が駆け寄った。
「あなた方村の外から来たんですか?!」
「…そうじゃが」
ブライが村人にゆっくりと答えた。
村人はくまのできた目を見開くとブライの手を握って懇願した。
「どうか、助けて欲しいのです!村長さんの話をきいてもらえませんか!?」
3人はお互いに見合わせると頷いて、村長に家に案内してもらうことにした。
そこは村で一番大きな建築物だった。
彼らは案内された待合室で待っていると、村長と思しき初老の男性と青年、少女とその母親らしい女性の4人が現れた。
少女は顔面蒼白で母親に付き添われてようやく立っているという印象だ。
クリフトは起立して深く礼をして向かえる。ブライはクリフトに任せておいた方が良いと判断し、目礼で返した。
「お待たせしました。旅のお方でいらっしゃいますね」
「はい。サランから参りました旅の者です」
クリフトがそう答えるものの、村長はもしやと尋ねた。
「そのお召し物は見たことが…」
各地の教会を連絡訪問し、街の様子を確認している神官ティゲルトを見たことがあるのだろう。村長は懸命に思い出そうとする。
「とにかく、ようこそいらっしゃいました」
考えたものの思い浮かばなかった村長はクリフトと握手をすると、座るように促した。
「お疲れでしょう。この村に来るまでに魔物には遭遇しましたか?」
「ええ、何回かありましたが無事にここまで着くことができました」
「それは良かった…」
村長らも腰を下ろすと深い深いため息をついた。辛気臭いその様子にアリーナが眉をしかめるのに気が付いた村長は、
「すみません。この村はちょっとした事件がありまして…」
と、眼窩を押さえた。隣の青年が言葉を続ける。
「この村は呪われてしまったのです」
…呪い…
耳に不吉に響くその言葉。クリフトは自分が感じたものの正体を知った気がした。
「実は、少し前この村に魔物がやってきたのです」
「魔物が?」
アリーナは聞き返した。
「はい。そして、その場にいた村の男を暴れ狛犬に食い殺させると、これから村の娘を生贄に出すようにと…」
村長は苦しい胸の内を語った。魔物の報復を恐れ、城に救援を求めることもできず、
苦肉の策で生贄をすでに二人差し出したことを。
そして、次は自分達の娘であること。道具屋の息子であるこの青年と恋仲であることを。
「城から定期的に神官が来ているはずだが、そ奴はどうしたのですかな?」
じっと静聴していたブライが口を開いた。
「魔物が来たのは神官様がいらっしゃた次の日だったらしく…」
ティゲルトの巡回は半月に一度だ。次はいつになるのか、クリフトは思案する。
「ひどい!そんな魔物、私がやっつけてやるんだから!」
一同が目を丸くしてアリーナを見つめた。
こんな少女が何を言っているんだと。
「ひめ…お嬢様、いけません!危険です」
慌てて言い直す。ブライがため息をついた。
「冒険好きな孫でして…」
ブライがフォローしようとしているが、アリーナは不敵に笑った。
「大丈夫よ」
手を振って青年をテーブルへと誘い、腕相撲を仕掛ける。クリフトが不機嫌そうに腕を組んだが、素性を隠している以上口を出せずに
横目で睨みつけるしかできない。
やれやれ、といった表情で手を組む青年の顔が一瞬で歪んだ。派手な音を立てて青年の拳がテーブルへと叩きつけられた。
「痛たたた!なんて馬鹿力だよ!」
「ね、大丈夫でしょ?」
朗らかに腰に手を当てて胸を張る。
「それに、おじいちゃんは魔法使いだし。彼は神官なんだから!」
「すごい…さすが、魔物に襲われてもこの村までたどり着けた方々!」
「その制服、そうだ!巡回にいらっしゃる神官様と同じお召し物だ!」
村長らの目が期待と羨望の色に変わっていく。それでも、クリフトがアリーナを諌めようと口を開きかけたそのとき。
「お願いします!魔物をやっつけてください!俺達来月結婚する予定なんです!」
「お願いします」
青年と少女のためらいのない土下座。
愛する者のために、何を差し出してもかまわないという願い。クリフトには断ることなんで出来るはずもなかった。
ブライはアリーナが言い出したときから諦めていた。
(生贄を出せと要求するような魔物には大した奴はおらんじゃろうしな)
村を襲い生贄を要求するような魔物は実はそんなに恐ろしい相手ではない。
食料として求めるという理由もあるが、実際の理由は人の魂や恐怖、畏怖を集めるためである。それら負の力は
魔物の糧となり魔力を増す。しかし、それは今回のように人間により討伐隊が組まれる危険が付きまとう。また、本当に強い魔族はその程度の
生贄から得られる力では満足しない。よって、知能があり強大な魔物はこのようなリスクばかりで見返りの少ないことはしたがらないのだ。
それでも、町の周りに出没するようなスライムやいたずらもぐらなどよりは余程強敵であることには間違いない。
「まぁ、なんとかなるじゃろうな」
ブライの言葉に村長達は歓喜した。
ついに村の脅威は去るのだと。
少し、元気を取り戻した少女と楽しそうに話をしているアリーナを見ながら、横に不安そうに突っ立っているクリフトの尻を
杖で叩く。
「ブライ様、なんですか急に!痛いじゃないですか」
「何をのんびりしておるんじゃ。宿に戻って薬草やら武器やら明日の準備をせんか」
「は、はい!」
ブライは重い腰を持ち上げて腰を叩く。
「さぁ、宿に戻ることにするかの」
話に花を咲かせるアリーナをつれて、二人は村長に別れを告げて宿に向かった。
その夜。
「しかし、ブライ様。大丈夫でしょうか?」
宿の一室。クリフトはブライに不安そうに尋ねた。
「なんじゃ、怖いのか。まったくワシらの中で一番、勇ましい出で立ちをしとるくせに」
「…しかし…争いごとや戦いは私には…」
クリフトは力なく言った。ブライは世話が焼けると眉をひそめる。
「お前さんは一体何しについて来たんじゃ。その剣を神官達がどんな思いで渡したのか考えたことはないんか?」
「でも、危険ではないですか。もしかしたら、死ぬかもしれない…」
城から討伐隊が組まれれば自分達が危険な目に合うこともない。ブライにだってその気持ちはわかる。
「まったく頼りない。これだったらやはりフレイに来てもらった方が良かったかの」
「…なっ!?」
クリフトの焦る様子にブライは飄々と笑う。
呆然とするクリフトの肩を叩いた。
「冗談じゃよ。お前さんにはお前さんにしか出来んことがあるじゃろ。
だからこそ、あの時皆がお前にすることに誰も反対せんかったんじゃ。そこのところをよく考えればわかるじゃろ。
ワシらはお前さんのことを随分頼りにしとるんじゃからな」
そのままベッドに入るブライ。クリフトはおやすみなさい、とろうそくを消した。
…私にしかできないこと。
クリフトは布団の中で考え続けた。
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