次の日の黄昏時。
三人は村の外れにある教会に集まっていた。
ここから生贄は籠に載せられ運ばれるのだ。ブライはその籠を運ぶ役目の男達と細かい打ち合わせに忙しい。
クリフトはその小さく汚い籠の前に立ち観察していた。自分が入ったほうが、余程気が楽というものだ。
「やはり、私が代わった方が…」
何回も心配そうにそう提案するがアリーナは笑顔で茨の鞭を構えて見せた。
「だいじょうぶ」
籠は一人乗りだ。アリーナがまず乗って、魔物が現れたら不意を打つ手筈になっている。
クリフトとブライは近くで待機し、魔法で援護するのだ。
「それに、クリフトが入ってたら魔物にすぐバレちゃうじゃないの」
「それは…そうですね…」
クリフトはしぶしぶ引き下がると彼女に薬草の袋を渡す。
「私達も支援しますが、念の為に止血薬と鎮痛薬が入っています。使ってください」
アリーナは力強く頷いて受け取る。
クリフトは簡単に説明した。
「緑のものが止血薬で傷口に直接塗って使います。黄色がかったものが鎮痛薬でこれも直接塗ります。
即効性なのですぐに効きます。あまり塗り過ぎないように気をつけてください。それと…」
「わかったわ」
長くなりそうな説明を遮ると、アリーナは軽く手を振った。
「いつもありがとう。今のでクリフトがすっごいいつも助けてくれてたんだなって分かったわ」
怪我をしたときには、なんてことなくやってのける彼の薬草学の知識。
今、少し聞いただけでアリーナは頼もしさを再認識せずにはいられなかった。
「クリフトやブライがこうして助けてくれるから、今戦えるんだね」
クリフトの顔が少し赤くなる。その顔を隠すために神官帽のつばを少し下げた。
「…恐悦至極にございます」
そこへ村長がやってきた。
「勇ましいお嬢さん。我々が不甲斐無いばかりにこんな目に合わせてしまって申し訳ない」
「顔を上げて。魔物なんかやっつけて、戻ったらお祝いをするんだから」
これから命を懸けて戦うとは思えないアリーナの笑顔。
「どうか、どうかお気をつけて。この村をお願いします」
ブライも打ち合わせを済ませたようだ。
その高齢さを微塵も感じさせない精悍さで最後に男達に指示をとばす。
籠を運ぶ準備は整ったということだ。
アリーナは身軽にその籠に乗り込む。
籠運びの男達が、村長が、ブライとクリフトが神妙な面持ちで目配せした。
奥で控えていた神父が教会の奥の裏口の鍵を外す。
「…神の御祝福があらんことを…」
「…神よ、この戦いに勝利を…」
暗い籠の中、二人の聖職者の言葉が聞こえた。
その一人の自分のためだけの祈りの言葉に、アリーナは静かに“ありがとう”と呟いた。
その籠が見えなくなった。
見守っていたブライとクリフトも静かに後を追った。
「…どうじゃ、お前さんにしか出来ないことが見つかったのか?」
「…見つかりました。そして、甘えた己自身も」
「ほぅ」
クリフトは自嘲した。
「私はお二人に甘えていたのです。
私は神官です。神官として培った力でお二人を全力でお助けすること。
これが私にしか出来ないことです」
魔物と戦う理由。それは、純粋な悪意から人間の身を守るためだ。他に何があろうか。
村の人々の絶望した顔を思い出す。魔物と人間は相容れないものなのだ。
二人を守るべくお供したというのにアリーナの力やブライの経験に頼っていた。そんな旅行気分の抜けない自分が恥ずかしい。
城という籠の中にとらわれていたのは結局、自分も同じだったのだ。
ブライは優しく微笑み口角を下げて頷いた。
本当に認めてくれたときに見せる、この老人の癖だ。
「まぁ、いいじゃろう。それじゃぁ、姫様をお助けに行くぞ」
「はい!」
アリーナはじっと待っていた。
暗い籠の中。外の光景はわからない。それでも、少しずつ自分に近づいてくる不穏な気配だけは感じていた。
得体の知れない魔物の雰囲気。気が付くと手が震えているのに気が付いた。
(怖い…?それとも武者震い…?)
自分でも判断が付かない。アリーナはその手を力いっぱい握りしめた。
(クリフト、ブライ、もう来てくれているよね…?)
来た!
魔物の声がする。
そして、話に聞いていた暴れ狛犬らしいうなり声も。
籠が開かれる。
「やあああああ!」
籠から飛び出したアリーナの咆哮が轟き、鞭の茨が魔物の腕を引き裂いた。
綺麗に着地すると、その魔物を睨みつける。それは魔族に属する人型の魔物だ。うなり声の主の暴れ狛犬は二匹。
不意を付いたはずの魔族カメレオンマンは不気味に笑い声をあげる。
「随分とおいたのすぎる女だ」
「効いてない?!」
アリーナは愕然とした。緊張と経験不足から飛び出すタイミングを見誤ってしまったのようだった。
「ホイミ」
「!!」
せっかく不意を付いたはずなのに、その傷をすぐに癒されてしまった。
迂闊だった。回復魔法を使えるのは自分達だけではなかったのだ。
(もう少し引きつけないといけなかったのね…)
アリーナは奥歯をかみ締めて反省した。
「さぁ、食べてあげよう!」
怪しく紫色に光るカメレオンマンの杖がなんとか身を逸らしたアリーナの頬を掠った。
「!?」
おかしい。目が霞む。
(まさか…毒…?)
アリーナの目の前に祭壇の床が迫る。冷たい石の床の感触が伝わった。
それは毒ではなく誘眠攻撃だった。強烈な睡魔が襲う。閉じてしまいそうな目を必死でこじ開ける。
迫るカメレオンマンの足が見えた。
「ヒャド!」
氷の柱がカメレオンマンに向かう。その氷を叩き落としながら魔族は思わぬ邪魔者を睨みつけた。
「食い殺してしまえ!」
側に控えていた二匹の狛犬が唸りながら老人に迫る。
「ヒャドォーー!!」
ブライの気迫あふれる攻撃呪文が狛犬を退けた。
二匹ともが鬼気迫る老人を恐れ、攻撃の機会を待った。
「姫様、失礼します!」
意識のはっきりしないアリーナの上半身が不意に持ち上がり、強烈な匂いが鼻を刺した。
「う…なにこれ、ツンツンする」
目を開けるとクリフトが小さいビンを自分の顔の前に差し向けている。
「よかった。気が付いたんですね」
クリフトはそのビンを急いでしまう。
「それ…なに?」
「気付け薬です。…すごい匂いだったでしょう?すみません」
クリフトが苦笑いした。
まだ、意識の混濁しているアリーナを背後に庇いながらブライを支援すべく呪文を詠唱する。
「スカラ!」
邪悪な力から正しき者を導き守る光の壁。
防御の力を増す神聖呪文だ。
迫る暴れ狛犬の攻撃からブライはなんとか身を守りきる。
スカラが効いているといっても、やはり老人の体力には耐え難い。クリフトは一瞬迷うがブライの援護に出るべきと判断した。
自分に出来ることをすること。
クリフトは剣を抜いた。
「私が前衛に立ちます!」
ブライの前に剣を構え、立ちふさがる。もう何のためらいもない。
ブライが後方から氷を放つ。
まるで打ち合わせたかのようにクリフトが剣を振るい止めを刺す。
ティゲルトから授かったその剣は軽い手ごたえで暴れ狛犬の身体を寸断した。
「やればできるではないか」
「ありがとうございます」
意識がはっきりと覚醒してきたたアリーナはまだ顔の周りに刺激臭がしているような気がして鼻をこすった。
「……頬の傷も治ってる…」
アリーナは立ち上がった。クリフトとブライが残った暴れ狛犬を相手している。
アリーナはカメレオンマンを睨み上げた。一対一だ。
「さぁ、覚悟なさい!」
アリーナは茨の鞭を構え、床を打ちつけ威嚇する。その目は怯えるばかりの人間の目ではなく、
宿敵を迎え撃つ戦士の目だ。
カメレオンマンは杖を振り、先程の氷撃呪文の傷を癒した。
「お嬢さんにできるものなら、倒してみるといい」
アリーナは茨の鞭を振るう。うねりながら襲い掛かるその鞭先を杖で事もなげにいなされ、
アリーナは舌打した。やはり手ごわい。
「…結構体力あるのね」
アリーナの攻撃から身を守りながらカメレオンマンが杖を振り上げる。
再び紫色に光る杖先。
「二度目はもらわないわよ!」
アリーナは高く高く跳躍した。空振りしたカメレオンマンの背後に回る。
集中力の高まったアリーナの目に、驚いた顔で振り返るカメレオンマンがスローモーションに見える。
「スカラ!」「ルカニ!」
視界の端に二人が補助呪文を放つ様子が見えた。
杖での攻撃が光の膜に弾かれる。
「皆の悲しませた罪、償いなさい!!」
渾身の一撃が魔族の身体を縦に引き裂いた。
血泡を吹き出しながら回復呪文を唱えようとしていたが、どうやら呪文の発動前に事切れたようだ。
完全に息絶えたことを確認するとクリフトは三体の魔物の身体をまとめて山にし、火を放った。
「……なんとかやっつけれたね」
すっかり火も落ちた森の闇を、赤く照らし上げる。
その炎を見つめながら、アリーナはクリフトを見上げる。
「えぇ、チームワークの勝利ですね」
「しかし、姫様危なかったですな」
ブライの言葉にアリーナは神妙な面持ちで反省の言葉を続けた。
「ちょっと、タイミングが早かったと思うの。これからは怖くてもそのチャンスを見逃さないように気をつけるわ」
「……そうですか」
そして、二人に向かって笑いかける。
「二人ともありがとう。二人がいなかったら私食べられちゃってたわ」
「…これで、村の人達も安心して暮らせますね」
クリフトは汚れた手を拭き、そのハンカチを火の中に放り込んだ。
しばらくその火を眺めていたが、だんだんと火の勢いが弱くなってきた。今日は風もない。
石で出来た祭壇だから森に燃え移る可能性は低いだろう。
「戻りますか。夜風は年寄りにはキツイわ」
ブライがそう促した。アリーナとクリフトも後に続く。
村へと戻る坂道を下る途中。
「ねぇ、クリフト」
「なんでしょう?」
「剣の腕、上がったね」
アリーナがクリフトの肩を引っ張って耳打ちした。
「ちょっと格好良かったよ」
「…あ、ありがとうございます」
夜闇の中、アリーナは気が付かなかったがクリフトは耳まで真っ赤だった。
村に戻ったらお祝いの準備が済んでいるはず。
三人はあの二人の恋人の喜ぶ顔を見るために村へと降りていった。
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