『憤』



 テンペの山を下山したアリーナ達を迎えたのは遥か彼方まで続く地平線。 フレノール平原だった。サントハイムで最も美しい風景のひとつとして数えられている。 柔かな草の絨毯。平原の果てから上って落ちる太陽。のどかな空気。旅行で訪れればさぞかし楽しいことだろう。
 きっと、そのせいだと言い訳したい。
「…まぁ、すぐに直せますよ。落ち込まないでください」
「よろしくお願いします」
 クリフトは武器屋の主人に鞘ごと剣を任せた。
 途中で出会った暴れ牛鳥の群れ。本物の牛よりも一回りも二回りも大きい体を持つ魔物だ。 しかも、やっかいなことに群れで襲ってくることが多い。
 眠っているとばかり思っていたら、その巨体を転がして鋭い角を向けてきた。 情けないことにすっかり注意がそれていた自分は、慌ててそれを防ごうとしてた剣を飛ばされ、刃こぼれさせてしまった。
 大した損傷ではないものの、油断が招いた事態だけに落ちこまざるを得ない。
「すぐに直りますけど、一日二日預かりますよ」
 主人は剣を鞘に収めた。カウンターに備え付けられていた小さな紙に見積りの金額と預かったことの証明を書き記していく。 クリフトはその紙を受け取ると、思っていたよりも安価な金額が記されていることに安心した。
「その間の代わりの武器をお貸ししましょうか?」
 クリフトはその申し出をひらひらと手を振りながら断って苦笑いした。
「いえ、その間はこの町に滞在する予定ですから」
「そうですか」
 クリフトはもう一度、宜しくという旨を伝えると店を出た。ドアについたベルがカラカラと音を立てる。

 ようやく、悩みの種が片付いた。クリフトはふぅっと息をつく。しばらく待てば期待と共に渡された長剣も元通りだ。 同時に哀れにも傷ついた小さなプライドも元に戻るだろう。
 クリフトはアリーナとブライが先に向かっているであろう待ち合わせの宿屋へと向かうため、 町を見渡した。
 しかし、騒がしい町だ。
 町の人々が大慌てで広場へと向かって走っていく。何か催しでもあるのだろうか。皆、一様に笑顔を浮かべている。
 催しがあるのならば、アリーナは喜ぶに違いないと思いながらクリフトもその流れに入る。 それを確認するためではない。待ち合わせ場所の宿屋は広場の一角にあるためだ。
 ざわめく人の群れ。どうにも人ごみというのは好きになれない。 クリフトは一歩踏み出すのにも苦労する現状に嘆いた。
 目的の宿屋が見えてくる。それはこの町の建物の中でも群を抜く立派な建物だ。旧貴族邸を 改装したものらしい。ドアの横に刻まれた家紋らしくマークを眺めてクリフトは 合点がいったように一人で感心した。
 しかし、広場についてみたものの、催しらしきイベントは見当たらない。噴水だけが美しくさらさらと音を立て、 人目を引いているくらいだ。どうにもこの騒ぎの中心はこの宿屋のような気がしてならない。嫌な予感がするが、 ここに宿泊する予定である以上入らないわけにもいかないだろう。
 クリフトはその重厚なつくりのドアを思い切って開けてみた。
 華美な飾りのついた頑丈そうな外見の通り、ロビーも凝った作りになっていた。
 クリフトがフロントに近づくやいなや、
「今、お城のお姫様や神官様、魔法使い様がいらっしゃっていて貸切なんですよ。申し訳ございません。 献上品でしたら、預かりましょうか?」
と、申し訳なさそうな言葉とは裏腹に嬉しそうな顔で言う宿屋の主人。

 クリフトはこめかみを押さえた。一体どういうことだ。
(考えられるのは…)
 一つ。アリーナとブライが正体を明かしているとき。
 二つ。そうではない何かがいるとき。
「娘と老人が先に来ませんでしたか?」
 と、クリフト。
 主人はすぐに思い当たったのか、外を指差した。
「先程、お断りしたのでどこか別の場所を探しに行ったんだと思いますよ」
 …どうやら、後者のようだ。
(外の騒ぎはこれの関係なのかもしれない)
 噂が広まってしまったのだろうか。クリフトは過去の記憶を探る。 しかし、旅の間に人のいるところで口を滑らせた覚えはない。テンペの村で言いかけた節はあるが、バレた様子ではなかった。 つまり、心当たりは全くない。だとすれば、城に出入りのある使用人や商人が口を滑らせたのだろうか。
 …確かめなければならない。
 クリフトは深呼吸して、身につける制服とサントハイム国のエンブレムを見えるように体を動かした。
「…私はサントハイム王国所属神官クリフト。歴史研究官補佐兼王女側仕えの任につく者である」
 アリーナやブライと違い、神官の身分は明かしてもさして問題はない。 尊敬を集める職だけにこういった事態にも非常に融通が利く。 主人は突然の城の役人の自己紹介に直ちに背筋をぴしりと伸ばした。城の神官の制服とエンブレムは 例えそれを見たことがないものでも、すぐに城勤めだとわかる堅苦しいものだ。
「公務にてここを訪れた。姫様のもとへお通し願いたい」
 あえて、高圧的に。もともと嘘など何一つついていないが、説得力を増すためだ。
「姫様のお付の魔法使い様からは今回は三人だけの旅だと…」
「詳細は機密である。話すことはできない」
 クリフトのきっぱりとした拒否の言葉に主人は失言を自覚し、
「もちろん、すぐにご案内いたします」
青い顔で頷くと二階の客室へと続く階段へと案内すべく立ち上がった。
「案内は不要です。理解と協力に感謝します」
 権力を振りかざしているような気がして、いい気分ではないがここは仕方あるまい。 アリーナが見たら、きっと何を急に役人らしくしているのよ、と幼馴染の自分を笑うかもしれない。 そんな様子が一瞬思い浮かぶものの、これは事態解明に必要なのだ、と言い聞かせる。 クリフトは案内を断って、さっさと客室へと向かった。


 客室階に着いたクリフトはまさかの事態に目を瞑った。落ち着くためにゆっくりと息を吐き出す。 先程から理解に苦しむ状況が続きすぎている。
「……何の騒ぎでしょうか?」
 そこではアリーナとブライが、鬼のような形相でドレスの女性と神父の格好の男と老人を ロープで縛り上げて仁王立ちしている。老人がクリフトを見るや否や、助けを求るように 何かを言おうと意味深な目つきでこちらをうらめしそうに見ている。
 目があってしまったクリフトはついなんとなく視線をはずし、周囲を観察した。廊下の突き当たりの裏口のドアが開いていた。 アリーナとブライはそこから進入したのか。さすが、なんという行動力。
「あ、クリフト!きいてこの人達ひどいのよ!」
 アリーナは今にも噛み付きそうな勢いでいきりたっている。クリフトはまったく状況を飲み込めずに空を仰いだ。
「…あの、もう少し詳しく教えていただけませんか?」
「こやつらはワシらの真似をして町の民から献上品をせしめておったんじゃ」
 杖を強く床に突く。ガツリと響く音にドレスの女性が肩を震わせた。アリーナも憤慨した様子で 腕を組んで偽者を睨み付けている。
「ね!?許せないでしょ」
「……たしかに、それはいけませんね」
 クリフトは脅えたままの女性の近くによると肩膝をついた。 確かにアリーナに似ていなくもない。優しく語り掛けてしまったのはそのせいだろう。
「人を騙してはいけない、と神学にもあります。どうしてこんなことをしたのですか?」
 あくまで穏やかにクリフトは話を聴くべく笑いかけた。震えるままの女性に代わって男が答える。
「……生活に困っていて…。食う物もなくなって、冗談のつもりでやったらうまくいったんで。つい…」
 その言葉にアリーナは顔色を変えた。
 そんなに困っている人達がいるなんて。 そう考えたアリーナは表情を落とした。そんなに切羽詰ってしまう人達がサントハイムにいるなんてかんがえたこともなかった。 先程の勢いはすっかり影を潜めてしまった。
「そんなに貧しい生活だったの…?」
「…ここにいるじいさんは足を病気で悪くしたのに、医者にかかれず片足を壊しちまったんだ」
 男が顎で示した先で老人はただ床を無表情に見つめていた。
「…私が診ましょうか?」
「近寄るな!」
 男の剣幕にクリフトは伸ばしかけた手を引っ込めた。
 ブライはため息をついた。
「明日には役人に突き出すことにしましょう。どこかに閉じ込めておかねばな」
 その言葉に偽者の姫は肩を上下させ目を見開いた。
「…お願いです、見逃してください…」
「だめじゃ」
 女性の懇願をブライが拒否する。
「ねぇ、なんかかわいそうじゃない?」
 アリーナが先ほどの勢いとは打って変わったような静かな声でそう言った。 クリフトが驚いて彼女を見る。
「だって、この人達生活に困ってやってしまったんでしょう?それって、政治が もっと細かく行き渡っていたらこんなことにはならなかったかもしれないじゃない」
 ブライはやれやれ、と首を振った。
「…姫様、政治はそこまで何も見ていないわけではありませんぞ。それに、罪を犯したことには なんら変わりありません」
 クリフトも同意する。
「罪は悔い改めなければなりません。どうか、この国の刑法に基づいた御判断を」
「そうね…。でも、この女の子だけは解いてやったらどうかしら?逃げたりはしないわよね?」
 アリーナは残念そうに彼らを見てそう二人に頼んだ。偽者達は必死に頷く。 ブライは嘆息した。信用できるものか、と。
 無言の二人にアリーナは良い方向の返事と勝手に判断し、偽者の姫の縄を解いた。
「ありがとうございます…!」
 ブライは疲れたように背を向けるしかなかった。

 その事情を主人に話そうとブライとクリフト、アリーナがロビーへ向かおうとしたそのとき。
「きゃああああああ!」
 響き渡る悲鳴。
「メイ!」
 男達の怒号。
 振り向いたアリーナ達の目の前で偽者の姫を担ぎ上げる荒くれ者の盗賊達。
「姫を返して欲しければ、黄金の腕輪を持ってくるんだな!」
「待ちなさい!」
 咄嗟に後を追うアリーナの行く手を塞ぐ手下達。
「くっ」
 手間取っている間に盗賊達の姿は影も形もなくなってしまった。 アリーナは悔しさのあまりに壁を叩く。
「私の目の前で人を攫うなんていい度胸じゃないの!」
「姫様、どうか落ち着いてください」
 その様子に驚いたクリフトがゆっくりと言葉をつむぐ。自分の心を鎮めながら。
「助ける必要なんぞありませんぞ」
 ブライの冷たい言葉。しかし、もっともな話だ。 それでも、怪我をしているのは見捨てるわけにもいくまい。 クリフトは先程の急襲で怪我をした偽者の神父と老人に近づき、癒しの呪文を唱えてやる。
「…!」
 クリフトは老人の様子に気が付き、まさかと唇を噛んだ。
「うぅ…メイ…」
 老人の意識が戻ったようだ。
「メイさん、というのですか?」
「そうじゃ…わしのかわいい孫娘じゃ…」
「そうですか…」
 クリフトは複雑そうに視線を落とした。









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