『力』



 短い滞在だったが、フレノールの町に別れを告げる日がやってきた。 苦しい出来事のあった町だが、きっと次に訪れるときには思い出と昇華していることを願って、 クリフトは剣のベルトを締めた。
「さぁて、次は砂漠じゃからのぅ。準備はしっかりとしといてくれ」
「もちろんです」
 クリフトはフレイが砂漠へ出立する際の準備を良く見ていた。 必要なものは大体覚えている。
「…水は予備をたっぷりと用意せい」
「多めに持っていくんですか?」
と、クリフトは仰天した。水は軽いものではない。
「姫様がきっと多めに御所望される」
 そうかもしれないな。と、クリフトは納得した。
「そういえば、あの日は馬を借りたのか?」
 腕輪を取りに向かったときのことだ。クリフトは困惑した笑顔で答えた。
「…えぇ」
 生まれてこのかた、あそこまで高いチップは払ったことがない。 その金額にはブライも聴いたら驚くかもしれない。 クリフトはそれは自分の給金から渡したが、お金は使うときには使ったほうがいい。 それで結果的には上手くいったのだ。
「…その馬、買ってしまうか」
 と、思案してブライは懐を探った。それはいい考えかもしれない。 何しろ、砂漠越え自体が困難な道である上に、そこまでは歩けば一日中歩き続けても三日はかかるだろう。
「それがいいかもしれませんね」
と、クリフトは同じ考えであることを示して頷いた。
「二頭、手配してきてくれ」
 ブライはクリフトに資金をしっかりと預け渡す。
「え、二頭ですか?」
 ブライはばつが悪そうに咳払いをした。
「年寄りには馬は堪えるんじゃ。お前さんの後ろにでも便乗させてもらうわ」
 クリフトは笑いを堪えて、
「かしこまりました」
と、馬主の下へと急いだ。


 今度は馬に乗れて満足なのだろうか。アリーナはぐんぐんと進んでいく。
 一方、自分はというと、後ろのブライを気遣っているうちにアリーナとの距離は離される一方だ。 あまり離れるとはぐれてしまうかもしれない。クリフトは焦燥感に駆られ、時折、 背後のブライに声をかけると少しだけ早めに馬を走らせる。
 こんなことだったら、早く走られる馬を譲るのではなかった。 後悔しても仕方のないことだ。
 心配していると、アリーナの姿を完全に見失ってしまった。クリフトは厳しい顔で 進み続ける。すると、すぐにアリーナが小川で馬に水を飲ませているところに追いついた。 馬の体力にも限界が当然ある。アリーナは馬の背を擦っていた。
 かわいそうに。憐憫の情を抱くものの、アリーナは長距離を走らせたことがないのだから仕方ないことかもしれない。 クリフトはせっかくだからと、自分達も休憩を、と提案した。
 ブライは腰が痛いのか、ゆっくりと腰を下ろす。気休めにでも、とクリフトはホイミの呪文を唱え、 肩を揉んであげた。馬の手綱を取っていた自分の至らなさかもしれない、という責任感と反省もある。
 地図を眺めると、至って順調で何の障害もなく砂漠のオアシスへと着くことができそうだ。
「砂漠のバザー、楽しみね」
と、アリーナ。クリフトもあわせるかのように相槌を打った。フレノールで聴いた砂漠のオアシスでのバザーの開催の話。 それを聴いたクリフトとブライは傷心の姫の慰めに少しでもなれば、と出立を強く勧めていた。 それを楽しみにしてもらえている様子に、クリフトは自分の打ちのめされた弱い心も癒されていくのを感じている。
 アリーナは水を飲んだ。喉が渇いていたのだろうか。ごくごくと飲み干すアリーナの様子に、
(多めに用意しておいて本当によかった)
と、内心そんな考えが浮かんでいた。ブライの言う通りだった。
 まだまだ、勉強が足りなかったなと反省するよりないが、旅に出て以来、城では決して見ることが 出来なかったアリーナの様子を何度となく目の当たりにするばかりだ。 ただ、それは決して嫌なものではなく、 むしろこの若い神官の心を躍らせるものばかりであるのは修行がたりないということだろうか。 神官であり、家臣であるという鉄の意志がなければここまで来られなったかもしれない。 ただ、側にいられればいい。そんな、遠慮がちな願いだけを胸の内に秘めるだけだった。
 無意識にアリーナのことを見つめていた彼はアリーナと目が合い、慌てて視線を外した。
「クリフトも飲みたいの?」
 アリーナは視線の意味を勘違いしたのか、今まで口をつけていた水筒を渡そうと目の前に示される。
「…あ、自分の分がありますから」
 ついつい、そう言って断ってしまった以上、水を出さないわけにはいかない。クリフトはすでに潤っている喉に水を流し込んだ。
(…何をしているんだ…)
 クリフトはそう、自らを憐れんだ。






 きっとその規模を侮っていた。何しろ、砂漠のど真ん中でオアシスの周りに旅人の気休め程度に 出店があるくらいだろう。その程度の認識だった。
 砂漠のバザーに着いたとき、クリフトは思わず立ち尽くしてしまったのは砂漠を越えた疲労からだけでは なかっただろう。泉の周囲を囲むかのように立ち並ぶ出店の数。テント作りの店もあるが、 出店というのには申し訳ないような立派な木の作りの建物も並んでいる。 もはや、サランやフレノールと比べても何の遜色もないような建物の数だ。 それらの商売場を見て回る人の数もまるで賑わっている大都会の市場のようだ。 また、人混みか。クリフトはさすがにそれを見て辟易した。
 一番大きい通りだろうと思われる通りをオアシスへと向かって進む。
 ブライは砂漠を越えた疲労が残っているのか、馬と一緒に日陰で休んでいるといいどこかで留まっている。 アリーナを守るのは自分しかいない。 しかし、自分の剣では人混みの中でスリや通り魔が現れた際にアリーナを守護するのには不都合だ。 そう思って、いつもよりもアリーナの近くに寄り添った。
(まさか、恋人同士に見えていたりするのだろうか)
 クリフトの心労を他所にアリーナは珍しい品物が並ぶ、 それらを楽しそうに眺めながら跳ねるように歩き続ける。
 先程、休憩していたときもそうだった。 ここ最近ずっとそんなことばかり気にしている。あってはならないことだ。 そういえば、高く不安定なつり橋の上を共に渡った男女は危機感や恐怖の胸の高鳴りを恋愛感情を 勘違いしてしまうことがあるらしい。旅に出てから何度となく戦いや事件に巻き込まれている。
(そうだ。これは錯覚に間違いない…)
 クリフトは強引にそう思い込むことにした。自分達は幼馴染。そして、いまや主君と家臣だ。 それ以上でも以下でもない。
「あ、クリフト前…」
 アリーナの声が耳に届くのと同時にクリフトは鼻から何かに体当たりした。
 がつりとした痛みが後頭部まで響く。アリーナがうわぁ、と引いた。 ひりひりと痛む鼻を押さえて、
「す、すみません…」
と、謝りながら表を上げるとそこに居たのは見たことのある二頭の馬とブライ、そして鎧の兵士だった。
「まったく、気が抜けておるぞ」
「すみません」
 どうやら、クリフトがぶつかったのは鎧の兵士の肩らしい。痛いはずだ。
 鼻を押さえていた手を退かしてみる。鼻血は出ていないようだ。
「しかし、ブライ様。お休みになっていたのでは…」
「休んでいる場合じゃなくなったでな」
 それよりもと、サントハイムの城の鎧を纏った兵士がアリーナの前に進み出た。
「どうか、城にお戻りください!陛下が大変なのです!」
 サントハイム王の一大事。
 アリーナは愕然とした様子で、唇を震わせた。 そんなアリーナに代わってクリフトが尋ねた。
「陛下のお声が突然出なくなってしまったのです。医者がいくら手を尽くしても戻りません。 まさかとは思いますが、呪いなどの魔術的な何かではないかと…」
 ブライはふむ、と馬を撫でた。
「そういうことですじゃ。すぐに戻ることにしましょう」
 ブライはあまり多用してはならん呪文ですが、と前置きすると杖を天に掲げた。
「サントハイム城へ!」
 それは、瞬間に人をや物を移動させる呪文ルーラだ。すぐにぐらりと視界が歪んだような感覚になる。 体が浮いたような感覚と共にどこかへ引っ張られるような遠心力を感じ、思わず目を瞑った。


 次に目を開いたときには懐かしいサントハイムの城門の前だった。

 クリフトは連れてきた馬を引き受け、アリーナとブライに早く王の下へ行くようにと促した。 心急いていたアリーナはすぐに駆け出した。クリフトは馬を引き連れて馬舎へと向かう。
「鼻が赤いようだけど?」
 久しぶりに聞く声にクリフトはすぐに背後を顧みた。神官になって以来ずっと面倒を見てくれた先輩が 同じように栗毛の馬を連れて立っていた。連れている馬が三頭になった。ちょっとした行列になっている。
「フレイさん、お久しぶりです。……出立の際には本当にありがとうございました」
「あ、写本ね。もう大変だったよ。三日ぐらい徹夜したからね」
「そ、それもあるんですけど…」
クリフトは苦笑いした。書庫管理官から課された宿題のことではなく、 旅の間の護衛をクリフトが任されるように計らってもらったことだというのに。
「大丈夫、わかってる。ところで、クリフト君が戻ってきているってことは、陛下の件で姫様も戻ってきているのかな?」
「そうです」
「そうか。我々神官も総動員だよ」
 馬を舎に入れると、立ったままで話を続ける。必要なのは情報だ。
「陛下の容態はやはり…」
呪いなのか。皆まで言わずともフレイは肯定した。困ったような表情を浮かべ天を仰ぐ。
「その結論が、神官達の総意だ」
 呪いだとすれば、今回の件は治療や解毒、解呪を得意とする僧侶や神官の分野だ。 しかし、うまくいってないない現実は目の前のフレイの青い顔からも呼び戻された件からでも容易く推理できる。
「セイルート先輩でも解けなかったんだ」
「そんな」
 医学者であり神官セイルート。 この城の神官の中では最も神聖呪文の扱いに長けているのがこの男だ。聖地への巡礼の旅から返ってきた セイルートの呪文の腕前は神官長やサランの大司教を超えると言われている。恐らく、彼がこの呪いを 解くことができないとなれば、国中の聖職者や魔法使いを集めても中和することはできないだろう。
「この呪いを解くことができる特効薬的な何かを探さなければいけませんね」
 クリフトは目を伏せた。フレイも青ざめた顔で、
「言葉か、道具か、薬か。もしくは呪いをかけたモノに解かせるかどれかだ」
と、補足した。そんなもの、見当がつかない。闇雲に探していたら、先に陛下の寿命が尽きてしまう。
 フレイは、壁に背を寄りかかかった。
「一つだけ心当たりがある」
「なんですか?」
「この国に伝わる伝承の中に、エルフの話がある。エルフの作る秘薬は声ごと呪文を封じる呪いをかき消すこと ができる、とね」
 やはり、神官の中でも歴史学を任されていただけのことはある。フレイは歴史はもちろんのこと、 伝承、神話、民話などにも深い知識を秘めていたのだ。クリフトは咄嗟に声を上げた。
「取りに行きます!どこにあるのでしょうか!?」
 フレイはその熱っぽい宣言に驚いた様子を一瞬見せたが、クリフトを見て侮ったように笑った。
「…君には無理だよ」
「いいえ。大丈夫です」
 壁にもたれていた体を起こすと、フレイは遥か空を指差した。
「天空の竜の神様のもとに」
 一瞬、怯むがそれで引くわけにはいかない。何より、実現性のない話を大真面目に振る人間では ないことはよくわかっていた。
「…それだけではありませんよね?」
「もちろん」
 フレイは心外だというように肩を竦めた。
「その御使いが砂漠の奥に佇む森の塔に舞い降り、蜜を摘む。とある」
 サントハイムの領地に砂漠を指す場所は一つしかない。先程まで自分達がいた場所だ。
「クリフト君には向かない場所だと思うよ。何しろ、塔だからね」
 忌まわしい思い出が蘇る。自分が高所恐怖症であることだ。
「私は外からだけ見たことがあるけど、かなり、老朽化していたね」
 フレイは沈み込むクリフトに向かって続ける。
「また、君に倒れられても困るし、私が行くよ。文献をあたるから後で書庫に来るように」
追い討ちをかけるフレイの言葉にクリフトは俯いた。





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