「姫様、陛下は…」
「あ、クリフト」
 謁見の間へと続く廊下。そこでクリフトは二人に追いついた。 思っていたよりもアリーナの表情が暗いことに、心がずきりと痛む。
「お父様、元気そうだったんだけど…。どうしてしまったのかしら…」
「やはり、本格的に呪いのようじゃのぅ…。聴いたところ神官連中にも解けなかったらしいが」
 クリフトは頷いた。
「お役に立てず、申し訳ございません」
「どこのどいつか知らんが、一枚も二枚も上手のようじゃの」
 アリーナはブライとクリフトを交互に見ながら尋ねた。
「なんとかお父様の声を取り戻すことはできないのかしら?」
「呪いを解く鍵となる何かを見つけ出すこと。もしくは術者を探し出すことですな」
 やはり、ブライも名を馳せる大魔法使いというだけあり、即座にその結論を導き出した。 残された道は少ない。
 唯一の手がかりを自分は知っている。それを知ったら、アリーナは行くと即決するだろう。 しかし、クリフトはフレイからきいた塔のこと、なかなか言い出せずジレンマに陥ったままだった。
「しかし、それを見つけ出すことなどできるかどうか…」
「なんとかお父様を助けたいのに…」
 ブライの深いため息に反応して、アリーナは視線を落として顔を曇らせる。
「私、お父様に迷惑掛けっぱなしで。お母様がいなくなってからお父様だって辛かったと思うのにあたっちゃったこともあって。 こんなことになっても、何もできないなんて」
 やはり、黙っていることなどできない。クリフトは腹を据えて、拳に力をこめた。
「……あの……」
「なに?」
「…………声を封じられた術を打ち消す秘薬が眠る塔が砂漠にあるそうです」



 そのときには正義感とか何かそういった類の感情に突き動かされていたが、いざ天高くそびえる塔を 目の当たりにすると足が早速震えてくる。なるほど、前評判の通り随分と建物は亀裂が走り痛みが進んでいる。 伝承に出てくる程の塔だ。一体、いつの時代に作られたものなのか。 本当に中に入っても大丈夫なのか壁をこんこんと叩いてみた。その音は幸いにも意外に頑丈そうな印象を持たせてくれる。
 砂漠の奥、と聞いていたが塔が立っているのは砂漠を抜けた森の中だ。 砂漠の刺すような日差しの下でなければ、ここで留守番していることもできるだろう。 思わず、弱音を吐きそうになるのを懸命に堪える。アリーナとブライだけに行かせるわけにはいかない。
「顔色が悪いわよ」
 アリーナがクリフトの顔を覗き込んだ。
「問題ありません。何も問題ありません」
 そうだ。高い場所が怖いと気が付いたのは神官になってからだ。 それ以降、わざわざそんな場所に向かってもいないが、 逆に小さい頃には平気だった。もしかしたら、もう治っているかもしれない。 足が震えているのにそう思い込むというのも滑稽な話だ。しかし、そう思うことで少しでも軽減されるとしたら、 それにすがるしかない。
「では、入るぞ」
 ブライがその塔の入り口の前に立つ。その大きく頑丈そうな塔の扉はすでに開け放たれており、 長い年月がそうさせたのか錆びが開いた扉を固定していた。錆びのみならず、苔も生えている。随分と この状態で固定されていることが伺えた。
 中は思っていたよりもずっと建物然としていた。 思っていたような螺旋状の階段が続いているわけではない。 天井は高く、クリフトの身よりもずっと太い柱が支えている。これならきっと大丈夫だ。心底、ほっとした。
 早く目的の秘薬があるのか、ないのか、それを確認してここを出て行きたい。 そう、思いずんずんと歩みを進めた。

「ヒャダルコ!」
 ブライは旅の間に勘を取り戻し、かつて名を馳せた魔術師らしく呪文を唱えていく。
 その声に呼応するように、周囲の水の気、氷の気が集まって刃となり、敵を貫き、息の根を止める。 アリーナが感心して思わず拍手を贈った。
「よぉし、私も!」
 アリーナが俊敏な動きで魔物を撹乱し、必殺の一撃を放つ。宙からの体重以上の力の乗った蹴りが、 魔物の体躯を打ち砕いた。
 クリフトは二人の打ちもらした魔物に止めをさして回る。完成されたコンビネーション。 塔内に住み着く魔物は今まで出遭ったものの中でも一際強力だったが、不思議にも何にも 負ける気がしなかった。
 また、一つ階層を上がる。すでに二回、階段を登っているのだからここは四階ということか。
 ついつい冷静に分析を進めたクリフトはその階数に戦慄して、すぐに忘れるように尽力した。
「なんか明るくなったわね」
 その言葉にブライとクリフトは上を見上げる。ブライがほう、と感嘆の声をもらした。
 上の階は吹き抜けになっていて、天から光が届いている。遥か古代の塔はその光を通し、 まるで神話の世界のような幻想的な景観を作り上げている。
「…………」
 そうきたか。クリフトは慨嘆した。見上げるだけで足がふらつく。思い出される過去の感情。



“…………たすけて……だれかたすけて……”

「!!」
 一瞬見えた映像に吐き気がして、口元を押さえた。息ができない。胴体を絞られているようだ。
「なんかきれいね」
と、アリーナ。ブライも満足そうだ。
「これだけでも、来た甲斐がありましたな。これで秘薬が見つかれば万々歳というもの」
「……クリフト?」
 顔面蒼白。まさにその言葉が相応しい顔をしているクリフトにアリーナが声をかけた。 ただ事ではない様子にブライも首をかしげる。
「どうしたんじゃ?」
「…あ、…いえ…その…」
 冷静さを失ってしまったのか、まったく言葉が出てこない。顔の筋肉が強張ってしまって、 ひくひくと動いた。
「具合でも悪いの?」
「…大丈夫です…」
「それとも怪我でもしたのか?」
 矢継ぎ早に続く質問の後にブライが薬草を取り出そうと荷物を探り出すのを見て、クリフトは観念した。
「…あの、怖いんです」
 アリーナの顔に疑問の色が浮かぶ。
「怖いって、魔物が?」
「いえ…」
「じゃぁ、なんじゃ?」
 ブライが駄々をこねる子供を相手にするように問い質した。
「………………た…………………………高いところが」
 長い長い沈黙の後にやっと搾り出すように呟いた。
 傾聴していたアリーナは意外に感じた。小さい頃には自分のために木に登って来てくれたことがあったのに、と 思い出す。他にもかくれんぼで窓の外の狭い屋根の上にいたこともあった。
「知らなかったわ…そうだったの?」
「…はい、…すみません……」
 クリフトは乱れた動悸を立て直そうとひゅうひゅうと息を吐いた。手足が痺れる。 その背を擦るようにアリーナが手を当てる。それをきっかけに腰が砕けた。
 ブライはそんな様子のクリフトにこれ以上の同行は難しいと決断した。
「一人で下まで戻れるか?戻れないのならここで待っておれ。幸いここは魔物も少ないようじゃからな」
(あ。)
 待ってください。そう言いたかったが、口は意思に反して全く動かなかった。 無意識にこれ以上は同行したくない、と思っていたのかもしれない。
「…無理しないで。ちゃんと、上まで行ってばっちり探してくるから」
 アリーナが励ますような笑顔で踵を返してブライと共に先へ進もうとしている。
「無理してここまでついてきてくれて本当にありがとう。だから後は任せて」
 置いて行かれる。手を力なく伸ばした。


 目を見開いたまま固まる。
 また、脳裏に紙芝居のように浮かんだ映像。
 幼い頃の記憶。大聖堂の尖塔の上。
 怖い。怖い。怖い。一人にしないで。


「まって!」
 クリフトは叫んだ。アリーナとブライがあまりに取り乱したその叫び声に驚愕して振り向く。 視線の先のクリフトは床に両手をつき、震える膝でなんとか立ち上がろうと足掻いていた。
「その様子ではとても無理じゃろうに」
「だいじょうぶです!」
 ブライの気遣いの声を一蹴して、クリフトはなんとか立ち上がり深呼吸する。震える唇で呪文を早口に 唱えると、両手を自らの頭に向けた。
「マヌーサ」
 目の前はこれで、全て大地に見える。これならば、いずれ症状も治まるだろう。
 情けなく、力もない。迷惑をかけてばかりで、今また迷惑をかけようとしているのはわかっている。 もしかしたら、夢中になっていて自分が何を言っているのかわからないままに意地を張っているのかもしれない。 一緒に上りきらなければ、一瞬垣間見えた記憶と、そして自分を許すことが出来ない。 何も出来ないことを認めたくない。これは一つの挑戦でもある。
 ブライは子供のようなその反応に首を振る。
「それでは、前に進むことはできんじゃろうに」
 最後の手段と思って使った幻惑の呪文は視界を騙し、安息をもたらした代わりに盲目的な視界を与えた。
「それでも!私は行きたいんです!」
 アリーナがおろおろと見守る中、ブライがクリフトのすぐ側まで歩いていく。 クリフトは足音と気配でそれがわかったが姿を見ることが できない彼は、それを感じたままどうすることもできずに棒立ちのままでいるしかない。
 ブライは無言で杖をクリフトの喉元に突きつける。それでも見えていないクリフトは緊迫した空気しか感じることしかできない。 ブライは深い深いため息をついた。
「やはり無理じゃ。ここで待っておれ」
 遠くへ向かう足音。クリフトは呆然とその場にへたり込んだ。 やっとの思いで幻惑呪文を解く。目で二人の姿を探すが、もう姿はなかった。
 悔しい。その思いで胸は溢れかえる。
「…くっ」
 床を殴る。
 上をもう一度見上げる。最上階まではあと二回階段を登ればいい。あと少しじゃないか。 クリフトはもう一度、床を殴った。
(なんて無力なんだ)
 吐き気を催すような不安感と眩暈、乱れる動悸は一向に治まる様子はない。 その為なのかまったく力の加減ができない拳は血を滲ませ、ついには床に滴り落ちた。




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