負けたくない。王やアリーナ、ブライ、そして、今までかかわった全ての人達のために何か役に立ちたい。 足を引っ張ったまま、役に立たないままで終わりたくない。
 痺れる足に手を乗せる。
(動け)
 
(姫様を守りたいんだ)
ようやく、自分の意思どおりに動き出した体をおして這うようにクリフトは二人の後を追った。

 
 クリフトを安心させようと思っていたアリーナだったが、やはり回復や補助をする者が いないというのは、今までと随分勝手が違う。
 攻撃を加えたものの、止めをさすクリフトがいないために、魔物の反撃に遭う。 ブライが血に染まった左腕を力なくだらりと下げ、アリーナも攻撃を受けたわき腹を押さえた。 もしかしたら、あばらが折れているかもしれない。クリフトがいれば、すぐに判断が出来、適切な処置を受けることが 出来ただろう。しかし、不在である以上、無理を通すより他はない。
 アリーナは階下で不安に苛まれているであろう、哀れな幼馴染のことを思うと拳を握りしめる手に力がこもった。
「…クリフトが高所恐怖症だなんて知らなかったわ。昔遊んだときは平気そうだったのに」
「ワシもついぞ知りませんでした。何か怖い思いでもしたんですかのぅ」
 ブライもアリーナの同じ思いなのだろうか、憐憫の情から眉尻を下げた。
「私には心当たりなんてないわ」
 ふと、アリーナはブライの言葉に含まれた意味に気が付いた。
「私、別にクリフトを無理やり高いところに連れて行って怖い思いさせたりなんかしてないわよ!」
 ブライは慌てて否定するアリーナの様子の愉快そうにほっほと笑った。
「本当よ!」
「わかりました、わかりました」
 からかわれているというこの事態にアリーナはますます躍起になった。
「もう!あとでクリフトを問い詰めてやるんだから!」
 思わず声が荒げて、あばらが傷んだ。

 そこにまた、魔物の急襲。魔法を封じる呪文を扱うハエ男だ。先程からの苦戦は全てこいつのせいだ。 クリフトが攻撃補助できないとなると、ブライの攻撃魔法が頼りだというのにそれも封じられてしまう。 先手を打つべく呪文の詠唱を始める。
「!」
 魔法が封じられた。
(しまった、もう一匹おったか!)
 ブライは不覚をとったことを理解した。その方向から耳障りな羽音を響かせて、 突進してくるハエ男が。
 アリーナは体に走る激痛のために、思うように動けない。それでも、 ブライを守るべく間に体を割り込ませた。
(!?)
 しかし、ハエ男は二人の横を素通りし、壁に激突してひっくり返った。
 訳のわからないアリーナとブライを包み込む優しい光。
「傷が治っていく…!」
「じゃぁ、さっきのはマヌーサ!?」
 二人はまさか、とその呪文の主の姿を探した。
「クリフト!」
 見ると、壁に手をつきながらベルトごと体から離した剣鞘を杖代わりにしてよろめくクリフトの姿があった。 肩で息をしながら、呪文を唱える姿が痛々しい。
「スカラ…!」
 アリーナの身の回りに光の保護膜が出現した。弱った声で唱えられた呪文はそれでも暖かく心強い。
「ありがとう!」
 痛みがすっかり引いたアリーナは勢いよくハエ男を吹き抜けになっている階下へと蹴落とした。 幻惑呪文のかかっているもう一匹のハエ男にも止めをさす。
 周囲に魔物がいなくなったことを確認したアリーナはクリフトのもとに駆け寄ると肩を支え、 冷たく冷え切った腕をとる。
「無理しちゃダメって言ったじゃない!」
「…すみません」
 決して無理をしているつもりではない。 それでも、クリフトは今にも卒倒しそうな顔で無理やりに笑う。引きつったその顔にブライは諦めた。
「マヌーサせい」
「え?」
「マヌーサをかけろと言っておるんじゃ」
 クリフトは当惑した。アリーナはブライの言いたいことを理解して、温めるかのようにクリフトの手を取る。
「お前さんを今、放っておいたら何をするかわからん」
「私がこうして連れっててあげるから」
 クリフトはその言葉に泣き出しそうな笑みを浮かべると、再び自らにマヌーサをかけた。 安穏とした視界。申し訳ないな、と思いながらもアリーナの体に体重を任せる。 あとは、二人の指示通りに呪文を唱え続けるだけだった。


 そうして、また階段を登る感覚。それが終わると、アリーナの感激の声が聞こえた。 青い草の匂いと花の香りがする。 少し余裕の出来たクリフトは少しだけアリーナから体重を離すように傾けた。
「あ、人間よ!」
 少女のようなその声にアリーナの体がぴくりと反応する。
「早くいきましょう!」
 その声の主を引きとめようとしたのか、アリーナの体が動いた。その急激な動きに 不安が募り思わず強く腕を掴む。
 アリーナは痛いくらいに掴まれた腕に驚いて、動きを止めた。 声に主を追えずに焦っていることがなんとなく、アリーナの動きと雰囲気からわかるが、腕を離すことは到底できない。
「あ、薬が…!」
 その声にクリフトは反射的に違う世界が見える目を向けるが、それ以降周囲は静かになってしまった。何が起こっているのかもうわからない。 まさか、自分のせいで薬を手に入れ損なってしまったのかと思い当たり、ざわざわと血の気が引いていく。
 ブライの声が聞こえた。
「薬を落としていったようです。もう、ここに用はありませんな」
(…良かった…)
 終わった。クリフトはその事実に急に意識が遠のくのを自覚した。 アリーナの腕を掴む手に力から力が抜けていく。落ちていくような感覚。 どうやら、緊張の糸が切れてしまったらしい。 アリーナとブライの声も遠い世界のものになった。





**********
 気がつくとサントハイムの城門の前でアリーナとブライに抱えられていた。
「…あ、気が付いた?」
 アリーナの言葉に一瞬で意識が覚醒する。慌てて体を起こした。
「あれ、今までどうしてたんでしたっけ?」
 ぼんやりとした記憶を辿る。アリーナとブライは気の毒な人間を見る目になっている。 それで、少しずつ思い出した。羞恥から顔が赤くなる。
「…ご迷惑をおかけしました」
「いいのよ、クリフトのおかげで薬も手に入ったんだから」
 アリーナの手には鳥を模った飾りのついた瓶が握られている。中に入っているのは少しさらさら しているが蜂蜜のように見えた。
 そこに心配していたのか、神官フレイが駆けてきた。余程気にかけていたのだろうか、顔が青い。
「大丈夫か、クリフト君!まさか君があの塔に行くなんて思ってもなかったよ」
 そんなフレイの困惑ぶりにアリーナが横から訊いた。
「クリフトの高所恐怖症って、有名なの?」
 恥の上塗りか。クリフトは頭を抱えた。クリフトが思ったよりも 元気そうだと感じたのか、フレイは少し意地悪そうに笑いながら、視線を動かす。
「はい。まぁ、暗所や閉所に恐怖症があると神官の勤めに差し支えますので、それよりは良いんですが」
「そうなの」
「そうなのです」
 消え入りたい気分だが、迷惑をかけてしまった以上そうはいかない。俯いたままでその罰に耐え続ける。 随分と長く感じるこの生き地獄から自分を解放したのはブライだった。
「姫様、早く陛下に薬を」
「そうね!」
 話を打ち切るそのタイミングに、フレイは思い出したようにクリフトに言った。
「そうだ、神官長が話があると仰っていたよ」
 何の用なのかを考える。道中の報告か。そう思い当たったクリフトは、 わかりました、と返事した。

「じゃぁ、私達はお父様のところへいくわ。用が済んだらゆっくり休むのよ」
 アリーナはすでに父の呪いが解けたかのように笑顔がこぼれている。 ブライも晴れやかな笑顔でクリフトの肩を叩いた。
「ご苦労じゃったな」
 はい、と頷くものの、その言葉に感じる喪失感。
(そうか、これで旅は終わりか)
 痛い思いも何度は何度もし、死ぬかもしれないと感じたのは一度や二度ではなかった。 それでも、楽しい旅だった。 初めての野宿に戸惑いながら、クリフトが用意した夕食(ブライも珍しく褒めていた)を楽しむアリーナ。 そして、新しい町を視界の先に見つけたときの嬉しそうな笑顔。思い出すのはアリーナの姿ばかり。
 今から、また以前と同じ生活に戻るのだろう。アリーナは冒険者から姫に。 ブライは保護者から王の相談役に。そして、自分は護衛から城仕えの神官に。 アリーナと離れ離れになるわけではないが、今までのように一日中側にいることはないだろう。 少し、寂しい気がした。
 最後に情けない姿をさらしたことは大きな心残りだったが、過ぎたことを言っても仕方ない。 クリフトは静かにため息を漏らした。
 隣でフレイが静かに問いかけた。
「自分に勝てなかったのかな?」
 見透かされたようなフレイの問いかけ。 知識レベルの高い神官に共通する特徴だが、とにかく回転が速い。 クリフトは力なく応えた。
「一勝九敗といったところでしょうか」
「惨敗だね。でも、その一勝が重要だよ。次は二勝でも三勝でも出来るようにすればいい。 何しろ、私に付いてサランの山の上の碑文を見に行ったときは十敗だったからね」
 思い出したくもない忌まわしい記憶だ。そして、初めて高所が恐ろしいと自覚した出来事でもある。 パニックを起こした挙句に情けなく気絶し、フレイに担がれて帰還することになったのだ。 クリフトは力なく項垂れた。
「理由は知らないけど、周りの人間はみんな味方だからね。あんまり、昔のことで思いつめないほうが 楽じゃないかな?」
「…そうですね」
 フレイの助言は非常に有難いものではあるが、 高所恐怖症の原因については心当たりはあるものの、結局のところ理由は自分でもわからない。 クリフトはやっとのことで、そう返事するのが精一杯だった。





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