『意地』



 ずっと止めるつもりだった。
 一国の姫君が武道大会などと野蛮なものに出場するなどとんでもない。すぐに却下されると思っていた。
 しかし、現実は違う。 この武道大会出場者控え室で、目の前で姫は満面の笑みで宙を殴りつけながら、イメージ上で敵と戦っているようだ。 自分は身分の低い者だからとエンドール王との謁見は遠慮して、全てブライに任せたと思っていたのに。 ブライも目の前でテーブルに座りながらも魂が抜け落ちたかのようだった。
 安心して任せられると思って、大都会のエンドールの繁華街をのんびりと見物していた間にとんでもなく 重要な話が取り沙汰され、出場はあっという間に決まってしまったらしい。 悔恨に暮れてみるものの、決まってしまったものを取り消すことは難しそうだ。
(まさか、自国の姫君を優勝賞品がわりにするなんて)
 事情を聞いてみれば、クリフトも憤慨しないこともない。 武道大会で優勝した者はエンドールの姫君との結婚が認められるのだ。 もしも、これがサントハイムならば、とクリフトは考えてもみる。 アリーナが腕が立つというだけで、どこの馬の骨か分からない男と結婚することになるのだ。 そんなことがあってたまるものか。
 とにかく、エンドール王女モニカ、大臣、そして後悔している王本人からの依頼で アリーナはこの大会の優勝を約束してしまったのだ。

 そして、気が重くなる原因はもう一つ。
 城下町を歩いていた際に聞いた噂。それは、対戦相手を完膚なきまでに叩きのめし、 生命すらも奪うという魔物のような出場者の話しだった。そいつは予選を楽々と突破し、 すでに決勝戦で待っているらしい。それを教えてくれた町の人はその殺戮を目の前で見てしまったらしく、 唇を震わせ、視線も泳いでいた。どれほど残虐だったのか、想像したくもない。
 なんということか。 アリーナは純粋に腕試しのつもりでいる。まさか、命を取るまでに容赦のない出場者がいるなどとは露ほども 思っていないはずだ。それは恐らくブライも同じだろう。アリーナの命がこんなところで取られるなど、これも考えたくないことだ。

 しかし、命を懸けて守ろうにもクリフトにはもう手を出すことなど、とても出来ない。 せめて、薬草だけでも渡しておかなければ、と多くの出場予定者の集まる控え室の一角に佇む道具屋に向かった。 向かう途中に毛むくじゃらの魔物やうさぎの耳をつけたバニーガールが見えたのはきっと気のせいだろう。
 道具屋で薬草を見せてもらう。種類はそんなにないが、必要最低限は確保できる。そのことだけは安心材料だった。
 珍しい武器に目が留まった。それは鎧の手甲のように見えるが、鋭い爪が付けられている。
「これは何ですか?」
「これか、これは拳で戦う武道家のために用意された武器だ。兄さんには縁がないかもしれないがね」
 拳で戦う武道家。まさにアリーナのような戦闘スタイルの者のことだ。
(これがあれば、優勝するのに助けになるはず)
 しかし、とクリフトは急に思い当たったことがあった。
(これはもしかして、姫様に初めてのプレゼントでは?)
 小さい頃には貧しくて、何かを贈ることなんてできなかった。 出来たことといえば、アリーナのためにどこか喜ぶような場所に案内したり、 アリーナの新しい極め技の人身御供になったことくらいだ。 神官になって余裕ができても、アリーナはそっちの方がいいと言って聞かなかった。
 つまり。
 これは、初めて姫に贈る品。
(いいのか。こんな何の洒落っ気もなく、雰囲気のないもので)
 クリフトは道具屋の主人が不思議そうに見ている前でひたすら無言で考え続けた。
(いや)
 今、一番アリーナに必要なものはこの鉄の爪だ。
 クリフトは死地に赴く兵士のような決意で、カウンターにお金を勢いよく置いた。
「これもください」
「ま、毎度ありがとうございます」



 鳴り止まない歓声に、じわりとした耳鳴りが続けている。 何人収容できるのだろうか。数千はまちがいないだろう。もしかしたらそれ以上かもしれない。 見上げると左右に見える観客席には空席が見えないほどに人で埋め尽くされていた。
 大会の会場となるのは無骨な香りのする巨大建築のこのコロシアムだ。 こんな大規模な会場が城の隣に併設されていることから考えても、よほどこの国は武力を重視しているのだろう。
 町で聞いた噂によると、この大会ではこの国に腕の立つものを集め、傭兵として雇いたいのではないか、と聞いた。 そして、ボンモールに攻め入るつもりなのではないか、と。クリフトは思い出して辟易した。
 何事もそうなのだが、国という一つの塊は成立すれば、次には繁栄する。そして、訪れるのは堕落と没落。 収束した末には終焉を迎える。 つまり、繁栄して巨大化する組織は拡大に耐え切れずに腐敗する。そして、起こるのが革命だ。 常に歴史はこれを繰り返している。
 戦争も同じだ。繁栄して拡大したのならば、 その経済も繁栄しなければならない。そのために領地を得、回らなくなった経済や政治の仕組みを修正し、正さなければならない。 これも過去の教訓が教えている。
 何かしらの理由をつけて、国が国であるために、何かを踏みつけて存続する方法。 繰り返されるその法則にクリフトは空しさを感じずにはいられない。
 物騒な噂を聞いたうえに、魔物のような参加者の話だ。試合としての好印象など、クリフトの頭の中には まったくあるはずがない。アリーナをそんな大会に出場させることになってしまった結果には悔やまれる。

 物思いに耽っていたが、アリーナの名が紹介される声で我に返った。
 アリーナはコロシアムの中央へと向かっていく。 クリフトとブライははるか後方から無事を祈って見守るのみだ。
「粋なプレゼントをしたのぅ?」
 ブライの言葉にクリフトは白い顔で空笑いした。
「…はは。喜んでいただけてよかったです」
 今まで、アリーナは茨の鞭やブーメランといった不向きな武器で戦ってきた。 アリーナの戦い方に最も適切であろうとクリフトが判断したその武器は、 早速、初戦を相手する武道家をなぎ倒した。 そして、何の苦戦もなく二回戦の相手であるブーメラン使いも。
 アリーナが怪我をするたびに飛び出していきたい気持ちに駆られるが、 そうすれば即反則負けになってしまう。 一国の姫君であることを考えると、危険を感じれば最終的にはそうしないわけにはいかないだろうが。
 そのとき、妙な歓声が響いた。まるで、大会の趣旨が変わったかのようだ。
「…なんじゃ、あのバニーガールは」
 ブライが呆れた声を出した。クリフトも場違いなその出場者には驚くばかりだ。
「…見間違いじゃなかった」
 クリフトは控え室の道具屋にいたバニーガールだということを思い出して、この大会の出場者が いかにバラエティーに富んでいるのかと認識を改めさせられる。 持っている杖から察するに魔法使いなのだろうか。 武道大会というからには格闘や剣が主なものかと思っていただけに意外だ。 それだったら、自分やブライも出場しても良かったのではないか。そうも思うが、 自分が出場したいと言って聞かない姫のことだ。そんなことを考えてみても何も始まらない。
 バニーガール(名前は聞いていなかった)が、杖を振りかざし火の玉を投げつけ続ける。 アリーナはその炎を回避しながら、じっと耐えているようだった。
「今!」
 アリーナの気合の叫び声が轟く。魔法力の途絶えた一瞬を狙っての一撃にバニーガールがあえなく気を失った。
「…もったいないのう」
 ブライの不謹慎な呟きが聞こえたが、クリフトはそれを容赦なく無視した。
(バニーガールがいた、ということは)
 クリフトの思った通り、最後の相手は雪男のような種類の魔物だった。 ベロリンマンとふざけた名前を紹介された魔物はその巨体でアリーナに飛びかかった。
「おお!」
 ブライの驚いた声。どうやら、ブライの目にもベロリンマンの姿が四体に見えるようだ。 幻惑呪文に似た特技を修得しているらしい。
 アリーナは困惑したようだが、力いっぱい目の前のベロリンマンの切りつける。 しかし、それは幻であったらしく手応えなく消え去ってしまう。勢いあまったアリーナを本物のベロリンマンが 地面へとたたきつけた。
 めげずに挑戦するアリーナだったが、幾度となく消え去る幻と反撃に呼吸が乱れだした。
 よくない兆候だ。クリフトは十字を切った。
「今度はどう!?」
 祈りが通じたのかもしれない。今度は本物のようだった。ベロリンマンの巨体が揺らぐ。 それをもう離すまい、とアリーナはお返しとばかりに地面に投げつけると、宙から追い討ちの蹴りを喰らわせた。
「どう!?」
 アリーナの勝ち誇った顔。ベロリンマンは口から泡を吐いて意識を失ってしまっている。
「アリーナ姫、決勝進出!!」
 ブライは安心したのか、背を丸めてため息をついた。自分だって同じ気持ちだが、 次はその魔物のような相手との決勝だ。安心するのはまだ早い。

 しかし、いくら待っても次の相手は現れない。
 このまま来なければいいのに。クリフトは天に祈った。
「デスピサロはどこにもいません!」
 その言葉が聞こえ、クリフトはまた、祈りが天に通じたのか、と神に感謝するばかりだった。
「では、優勝はアリーナ姫に決定!」
 歓声がアリーナを祝福した。
   アリーナはモニカに微笑みかけるように鉄の爪を天高くに掲げた。
 恐らく、同じ王女同士で同情するものが大きかったのだろう。これからも親交を深めれば、 きっと二人はいい友達になれるに違いない。
 ブライが姫のもとへと急ぐのに倣って、クリフトも駆け出した。
「姫様、おめでとうございます」
 ブライの言葉にアリーナは鉄の爪のついた右手を力強く振った。
「きっと、そのデスピサロってやつ、私が強いから逃げちゃったのね!」
 アリーナはそう言うが、どうにもクリフトは腑に落ちなかった。 逃げる理由が分からない。
「クリフトのくれた鉄の爪のおかげね!」
 そう言われて、ついつい考えることを放棄して、アリーナを心から祝福するばかりだ。



 盛大なセレモニーを催してくれる、というありがたいエンドール王の申し出に三人は一度、サントハイムに 戻ろう。と、興奮冷めやらぬブライとアリーナが話している。 それは多分、クリフトも同じだった。だから、彼が苦悶の表情をしているのに、駆け寄ることもできなかった。
 浮かれた足取りで城門を潜り抜けたときだった。

「姫様…!」
 それはサントハイムの鎧を身に着けた兵士だった。
「すぐ城におもどりください…!」

 彼は目の前で透き通っていくように消えてしまった。

 まさかの事態にクリフトはもちろん、三人はしばらくどうしようもなく立ち尽くすだけだった。
 人間が消えるとはどういうことなのか。
 そして、最後に彼が残した言葉。“城におもどりください”
 まさか…。クリフトは戦慄に身を震わせた。
「…ブライ様…ルーラを…」




NEXT

BACK