即座にブライのルーラでサントハイムの城前に戻ってきた。
 見慣れているはずのサントハイムの城。見上げていると違和感が不安となって押し寄せる。
「静かね」
 アリーナの言うとおりだった。魔物が急襲したとばかり思っていたが、どうにも静か過ぎる。 目の前で兵士が影も形もなく消え失せさえしなければ、何かの冗談だと思えたに違いない。
 三人は意を決すると、誰からというわけでもなく城内へと踏み込んだ。 静まり返った城内に三人の足音ばかりがこだまする。きょろきょろと様子を伺いながら歩くが、 荒らされた様子もなければ、魔物が踏み込んだような跡もない。花瓶の花も咲き誇り、 肖像画の角度もまったくずれていない。“普段どおり”だ。
「誰かいないの!?」
 アリーナが沈黙に耐え切れずに声を張り上げた。その声もこだまとなり、主の下へと還るばかりだ。 ブライもクリフトも大声を張り上げた。結果は同じだった。
 しばらくそうして捜索を続けても、誰もいない。手掛かりすらも掴めない。 彼らは客人をもてなす応接室にやってくるとソファーに腰を下ろした。 アリーナは人間の理解を超えるこの超常現象に呆然と座り込んで、唯一残っていた猫を抱きしめた。
「一体、どういうことなんじゃ…」
 ブライも疲れ果ててしまっているようだ。
「もう一度、もう一度見てきます」
 自分だって座り込んでいたいのは山々だが、塞ぎこむアリーナとブライをとても見ていられない。 クリフトは己を鼓舞して立ち上がった。そんな様子をブライが静かに見守る。 もう一度、見て回って、それで皆が見つかればそれが一番嬉しい。
 台所。大臣の執務室。礼拝堂。官職の就く者の自室。謁見の間。
 何度目かに見て回る城内はやはり誰の痕跡も見つけることはできなかった。
 手掛かりがあれば、と思って出てきたバルコニー。高い空はよく晴れ、遥か大地を照らしている。 不安が増しているからだろうか、普段はそれほど怖くなどないというのに足が震えたのを自覚してクリフトは慌てて戻り、廊下に座り込む。 なんとか落ち着こうと深呼吸を繰り返した。
(どうすればいいんだ…)
 神官長も、的確な指示で導いてくれたティゲルトも、いつも見守ってくれたフレイも、 それぞれの専門分野に於いて自分以上の実力と知識を持つ先輩神官達も誰もいない。 改めて、周りの人間がいつも助けてくれていた事実に気付かされる。
(神官長が言っていた災いとは、このことなのか)
 クリフトは唇を噛んだ。
 神官長、といえば。クリフトは出立前に神官長から渡された紙のことを思い出した。 困ったことがあれば見るようにと言われたそれを探す。
 急いで開いて目を通した。


………
これを見ているということは、恐らく城に一大事が起こったときだろう。
私はもちろん、神官達や兵士もすでにいなくなっているのかもしれない。
サランの町に城が統治の機能を失っている場合に備え、
ティゲルト、セイルート、ルオンの三人を送り込んである。
そして、騎士団が集まっているだろう。彼らと協力してサントハイムを守りなさい。
………


「これを予測されていたのですね」
 内容からして、神隠しと断定できていた様子ではないが、最悪の状態を想定していたのだろう。 と、すれば。サランの町ではサントハイム王が不在の今、 治安を守るべく騎士団と残った者達で協力するのだろう。 なんという手回しの良さだ。
 少なくとも、ティゲルトをはじめとして少しでも知っている者が残っていることに いくらか安慮した。
(ティゲルトさんならば。誰よりも頼りになる)
 確信を持ったクリフトは疲れた顔で声を出して笑った。







 先程、アリーナが見つけた猫もそうだが、馬などの動物は無事なようだった。 人だけがいなくなっている状況をいやがおうでも再認識させられる。
 クリフトは大人しい鳩の背を撫でた。しっかりとその足に手紙をくくりつける。 サランへと飛ぶ伝書鳩であることをもう一度確認して、空へと放った。 今、最も頼りになる上官に向けた手紙を届けさせるために。
「クリフト、ここにいたのね」
 アリーナの声だ。振り返ると、アリーナとブライが立っていた。 出来たら、ブライに一言、言うだけにしたかった。 アリーナの目は赤い。泣いていたのだろうか。
「よかった、クリフトまでいなくなっちゃってたらどうしようかと思って」
 その赤い目の原因を悟るとクリフトは目を逸らした。
「姫様。サランの町に騎士団と、城を離れていて難を逃れたであろうもの達が集まっているそうです。 そちらで民衆への指揮を執っていただきたいと思います」
 アリーナとブライは驚いたようだ。
「それは本当か!?」
「はい。神官長の書置きにそういう手筈になっているとあります」
 二人は安心しただろう。そう思って視線を戻すと、想像していたのと違う寂しい顔が向けられていた。
「……クリフトはどこに行くの?」
 アリーナはクリフトの旅支度を見つめている。
「………私はこの国を出て、消えてしまった皆の手掛かりを探したいと思います」
 そう。ティゲルトや騎士団がいてくれるのならば。そして、そこにアリーナとブライがいてくれるのならば。 サントハイムはその統治を守っていくことができるだろう。自分はここに必要ない。 お世話になった王や神官長、フレイ達先輩神官を探し出したいと思うのは当然のことのはずだ。 祖国サントハイムのため、自分ができることをするのみ。もしかしたら、手掛かりなど見つけられないまま、異国の地で朽ち果てるかもしれない。 それでも。
「だから、姫様、ブライ様。サントハイムをお願いします」
「それは、引き受けられないわ」
 どうして。そうするのが一番いいはずなのに。クリフトはまたうつむいた。 アリーナの目を見られない。本当はアリーナの側を離れたくないのだから。
「お許しください」
 こうして、以前にも願い事を言ったことがある。 それは、アリーナの旅立ちを許して欲しいと王に嘆願したときだ。今度は自分の旅立ちの許しを請う嘆願だ。 あのときは夢中だった。でも、今は違う。明確な目的と意思がある。例え、相手がアリーナでも、 許しが出なくても行かなくてはならない。
「お許しがいただけないのならば、私はここで神官の任を外させていただきます」
 体が震える。
「勘違いするでない、この若造が」
 クリフトはその厳しい言葉に思わず目を瞑った。
「行くのなら、また三人で行きましょう」
「……え?しかし……」
 見上げたアリーナの目はなんと優しく澄んでいることか。
「必ず、私達の手で城の皆を取り戻しましょう!」
「そうじゃ。陛下にこの老いぼれに心配をかけたことについて、ねちねちと嫌味を 言ってやるんじゃ。お前さんも神官長に言う嫌味と文句の一つでも考えておれ」
 ブライがいつもの偏屈そうな調子で杖でとんとんと掌をたたく。
「………はい」
クリフトも決意に秘めた瞳で頷いた。
「私も言いたいことは山ほどあるんです」
 ブライがにやりと口角を上げる。
 アリーナが伝書鳩の小屋に近づく。
「さっき、誰に何て書いて送ったの?」
 クリフトは困ったように天を仰いだ。
「ティゲルトさんに、“私が一人で皆の行方を見つけてみせますので姫様とブライ様をよろしくお願いします”と見得を切りました」
 アリーナが、
「本当にバカなんだから」
と、笑う。ブライもだ。
「そんなものは書き直しじゃ。“三人で行くから、サントハイムをしっかりと守るように。 留守中に何かあったら減給じゃ”とな」
「そうよ。“全部、任せときなさい!アリーナ様が万事解決!”って書き加えて」
 二人の心強い言葉にクリフトも噴出した。
「仰せのままに」

 二度目の手紙にティゲルトが困惑する様子が目に浮かぶようだ。





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