『病魔』



 少し、苛立ちが募ってきている。

 サントハイムの皆を探す旅を始めてからというもの、随分と時間が経っている。 そして、訪ねる町も端から手掛かりの欠片もない。
 エンドール、交易、人口共に世界の頂点に立つ大都市。 まず、そこで手がかりを得られなかったのを皮切りに、ボンモール、そして、勇者伝説に沸いているブランカ、 温泉の一大観光地アネイル。どこも人で溢れる町だ。そして、現在辿り着いた交易都市コナンベリー。
 サントハイムを出立してからしばらくは良かった。アリーナとブライ、三人で励ましあい、支えあいながら 旅を続けてきた。それでも、一つ町を超え、また一つ超え、更には国境を越えるうちに心の内に蔓延するのは 不安ばかりだった。もしかしたら、このまま何の手掛かりもないままに世界を一周して、尋ねていない町など なくなってしまうのではないか、と。
 そんな不安は膨れ上がり、必死の思いで砂漠を越えてたどり着いたアネイルでも同じ状況であったことに、ますます憔悴した。 ついには、励ます余裕も励まされる寛容さも失いつつある。
 そんな不穏な考えをクリフトは神の教えに従って、忍び寄る悪魔の思考を遮り、己を鼓舞していたが、 単独行動が目立つようになりつつある事は自覚があったものの、どうすることもできなかった。

 今滞在する町、ブランカの東の大陸を南方に下り、海岸沿いにある交易都市コナンベリーは、 サラン、エンドールやブランカと同じく、この町には大司教座を持つ大教会がある。 コナンベリー大司教区。クリフトはコナンべリー大司教の助力を得るべく、大聖堂へと向かっていた。 エンドールやブランカでもこうして、大司教の下を尋ねていた。死の砂漠とも呼ばれるブランカ東の大砂漠を 越えることができたのもブランカ大司教の協力のおかげに他ならない。

 クリフトは様々な商店の立ち並ぶ、コナンべリーの繁華街に差し掛かった。商店や露店の建ち並ぶ大通りからもは、巨大な船舶が何隻も泊まっている港が見える。 壮観といえば壮観だ。
 しかし、周囲から絶えずに掛けられる声で景観を楽しむ余裕は欠片もない。 商店の売り子が異国のアクセサリーや道具をしきりに薦めてくるのを断るのにもうんざりしてきた。 サントハイムは城の者が神隠しに遭い、国家の存亡の危機だというのにどうして他の国は平和そのものなのだろうか。 憎らしくなってくるのも仕方のないことだ。
 近頃は慢性的な頭痛に悩まされている。ため息をつくことも増えた。 とにかくにも、彼は焦燥感につきまとわれていた。


 ようやく辿り着いた大聖堂の前に立ったときには随分と救われた気になった。
 見上げる大聖堂は当然、立派なものだ。サランは青と白を基調とした清潔感のあるものだっが、 コナンべリー大聖堂は白と灰色の大理石に黄金を散りばめた厳かな印象を持つものだ。 サラン大聖堂と少し様式が違い薔薇窓は小さめだが、扉は黄金が貼られた重厚なものだ。 クリフトは感慨深くその扉の彫刻を指でなぞるようにして観察した。
「何か御用でしょうか?」
 背後から声を掛けられた。中に入るのに邪魔になってしまったか。 クリフトはすみません、と謝りながらさっさと体を退かした。
「私はサントハイム神官、クリフトと申します。大司教にお会いしたく参りました」
 シスターは、
「まぁ、そうでしたか。お入りください、神官様」
と、優しくクリフトを招き入れてくれた。

 案内された小さな部屋で待っていると、程なくして大司教は現れた。装飾のついた衣服ですぐに 高位の聖職者とわかる。
 クリフトは頭を下げた。
「こんにちは。サントハイムからいらっしゃったそうだね。話はきいておりますよ」
 目の前に現れた大司教は40歳手前のティゲルトと同じ頃だろうか。もしかしたら、もう少し若いかもしれない。 大司教という叙階を考えると異例の若さだ。クリフトは意外に思うが、それほどに人望と能力があるのだろう。 頼りになる、という思考の材料の一つとして捉えた。
「はい。私はサントハイムで神官を務めておりますクリフトと申します」
簡単に自己紹介を済ませ、
「今回、この町に訪れましたのはその件でございます」
と、すぐに本題を切り出した。大司教は頷くと、飾りのついた小さな椅子を示して座るようにすすめた。
「サラン大司教やサントハイム神官長には随分とお世話になりました。 わたしが、今こうして大司教座にいるのもサラン大司教の教えがあったからこそ。 特にソテル殿は先日の公会議の際にもご健勝であっただけに非常に残念です。 出来る協力は惜しみません」
「それでしたら」
と、クリフト。
「この町でサントハイムについての情報があったら教えていただきたいのです。 もちろん私共も訊いて回っておりますが、限りがございますので…」
「もちろん」
大司教は当然と頷いた。
「しかし、この辺り一帯ではサントハイムの神隠しはおろか、サントハイムの国について 言の端に上ることも少ない。わたしがこのことを知っているのは教会の組織の伝達があったからこそ。 もしかしたら、望みは薄いかもしれないが構わないですか?」
「はい。たとえ僅かでも、望みがあるのならば」
 大司教はすぐに実行しよう、と紙にその件を書き残していく。
「そうだ。君達一行が滞在の間は我々が援助します。どこの宿にご滞在ですか?」
 なんと有難い申し出か。サントハイムという後ろ盾がなくなって以来、資金繰りには苦心していた。 クリフトはすぐに宿の名前を書き記してその紙を大司教に手渡す。
「何か出切る事があったらすぐに相談してくださいね」
 親切な大司教に丁寧すぎるぐらいに礼をして、クリフトは大聖堂を後にした。


 大聖堂を出て、クリフトはすぐに船着場に向かった。 他国からやってきた船乗り。彼らならば、何か知っているのではないか。
 日に焼けた男達はやって来た堅苦しい身なりの聖職者を特異な目で見ている。 サントハイムを出てからというもの、そんなことにもすっかり慣れてしまった。 サントハイムのように、聖職者に対する尊敬が高くはないということだ。
 苦心する割には、誰に聞いても有力な情報は得られない。サントハイムの神隠しがあったらしい、 と知っている者がいただけでも驚いたくらいだ。
 そのうえ、船乗りというのは大体が勢いが良く、柄がいいとは言えない。 酒やけした男の怒鳴るような声に、クリフトは痛むこめかみを押さえた。
   片っ端から訊いていくうちに辿り着いたのは造船所だった。 停泊している船よりも、大きく立派な船が造られている途中だということは見てすぐにわかった。 少し、一息ついて柵に手をついたその作業を眺める。 たくましい筋肉の男達が労働に勤しんでいる様子が見て取れた。 彼らは造船という任務をこなし、完成という形で報われる。 自分はどうか。失踪者の帰還。もしくは解決。報われる日は来るのだろうか。
(……疲れた)
 文字通り痛む頭を押さえてクリフトは柵に全体重を預けるように両腕を乗せた。
「こんにちは、船が好きなんですか?」
 同じように船を見に来たのだろうか、隣に現れた恰幅のいい男に声を掛けられ、だらしない姿勢を正した。 男は改めてクリフトの身なりを見て、興味深そうに話を続ける。
「おや、どこかの国の神官様ですか?」
「えぇ、サントハイムの神官を務めております」
 その男は商人のようだ。腰につけたそろばんは随分と使い込まれている様に見える。 クリフトがその商人を観察しているように、相手も自分を見ている。
「この剣が何かしましたか?」
 その視線が背中の長剣に注がれていることに気が付いて、思い切って尋ねてみた。
「わたしは武器屋をしているんですよ。大切に扱われている剣は気になるんです。 良かったら見せてもらってもいいですか?」
 悪い男ではなさそうだ。軽い了承でクリフトは頷いた。剣を外して手渡す。 商人はその刀身を静かに抜いた。しゃらり、と金属の擦れる音がする。
「…大切に扱っていますね。ただ、最近は少し乱暴に振られているかな」
 クリフトはその目利きにどきりとするが、商人は一向に気にせず再び鞘に納めた。
「手入れも行き届いていて、非常に結構です」
「それはよかった」
 クリフトは剣を背負った。この取りとめのない会話が疲労のせいか耐えかねる。 この辺りで勘弁させてもらいたい、と思った。しかし、商人はタイミング良く話を切り出し、 なかなか失礼してその場を離れることができない。
「神官様、お疲れでしょう?顔色が悪いし、目にクマが出来ていますよ」
「…無理してでも動かなければならないのです」
 クリフトは仕方なく微笑んだ。
「それはいけませんよ。体は資本です。体を壊したら元も子もないじゃないですか」
 ぎりっと奥歯を噛み締めた。
「それでも、やらなければならないのです」
 商人はそうですか、と肩をすくめた。
「若さとはうらやましいもんです」
 商人は造船中の船を指差した。クリフトもそれに視線を追わせる。
「お疲れついでに神官様。お願いがあります」
と、商人が言う。
「この船はわたしの船なのです。どうか、この船が無事に完成して、安全な航海ができるように 祈ってもらえませんか?」
 成程。
「かまいませんよ」
「ありがとう」
 商人は嬉しそうに微笑んだ。祈り始めようと思ったが、名前を知らないことに思い当たる。
「お名前を教えてください」
「わたしはトルネコという名です」
 トルネコ。どこか気になる名前だ。しかし、聞いたことはない。不思議な違和感を感じながら、 クリフトは祈りを捧げた。
 静かにその言葉を聴きながら、祈るトルネコ。 どうか、彼の願いをきき入れてもらえますように、と。

 祈りを終え、顔を上げる。
 トルネコが、布にいくらか包むのが見えた。
「ありがとうございました。これは寄付です」
「いえ、今回は教会のつとめではありません。受け取ることはできませんよ」
 懸命に断る、クリフトの手にトルネコは無理やりそれを受け取らせる。
「…では、お疲れのところ無理なお願いをした謝礼です」
 クリフトはそれでも断ろうとしたが、経験深い商人に口で適うわけもない。小さく礼の言葉を述べた。
「良ければ神官様のお名前も教えてもらえませんか?」
「私はクリフトと申します」
 このときは、まさかこの商人と再会するなど考えてもいなかった。

 造船所を出るとすでに日は暮れ、町の明かりが煌々と光っていた。
アリーナとブライが宿で食事を待っているかもしれない。 そう思い宿へと急いだ。

「今日も随分と遅かったのね」
 宿での食事の場。アリーナは暗い顔でおずおずと語りかけた。
「そうじゃぞ。最近、顔色も悪い」
 ブライの言葉にクリフトは席を立った。
「…大丈夫です」
 食事の途中で席を立つのは良いことではないが、食欲は疲れているのにまったくない。 このまま、二人の説教を聴くくらいなら部屋に戻っていた方がいい。
「クリフト!」
 アリーナが呼び止めるが、それを無視して部屋へと戻った。
 ごろり、とベッドに身を投げる。

 自分は今まで何ができたのか。
 テンペの村では、二人を危険に晒し、フレノールの町では自分の未熟さから アリーナの心を傷つけた。そして、砂漠の奥の塔に入ったときには 筆舌に尽くしがたいほどの迷惑をかけた。エンドールでは自分は見ていただけだ。 そして、今はどうだ。何の成果も上げてはいない。
 何のために自分はいるのか。その焦りは日ごとに増すばかりだ。
 何か成果を上げなければ。その思いだけが体を動かしていた。

 気が付けば、着替えもしないまま朝を迎えていた。





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