今日も、次の日もその次の日も、クリフトは町を歩き続けた。
ただ、この日違ったのはアリーナが同行していることだ。
コナンベリーの町並みは海辺の町らしく美しくも活気がある。静かに飛沫を飛ばしている噴水の
霧が肌を冷やす。この噴水はこの町で恋人達が思いを告げる、定番の場所なのだという。
きっとアリーナとこの通りを歩くのは、普段ならば楽しかったことだろう。
「ねぇ、クリフト。少し休んだ方が…」
隣を歩くアリーナが恐る恐る声をだした。
また、その話か。その件については一言たりとも話し忘れていることも、残していることもない。
ただ、無神経な言葉をかけてしまうかもしれないことを恐れて、クリフトはそれには応えずに歩き続けた。
「ねぇ…」
「……」
「……聞こえてる?」
「放っておいてください!」
アリーナは肩を震わせると、歩みを止めた。
(しまった)
思わず、怒鳴ってしまった。
ひどい八つ当たりだ。自分は聖職者だというのになんと醜いことを。
頭から血の気が引く音が聞こえた気がした。
クリフトは慌てて、アリーナの方に向き直る。
「申し訳ございません…」
アリーナは眉間に皺を寄せて、下を向いたままだ。
アリーナの顔はよく見えないが、もしかしたら泣かせてしまったのかもしれない。
疲れているのは自分だけではないというのに。
「姫さ…」
「…いつまで、こうしてればいいのかな?」
その言葉に体が凍りつく。
「早く、皆を見つけられれば、クリフトももう無理せずに済むんだよね?」
「!」
顔を上げたアリーナの表情を見て、息が詰まった。
なんと、やつれていることだろうか。肌は荒れ、目の下には紫色のクマが深く刻まれている。
痛々しさにクリフトは何の言葉も浮かばなかった。
(どうして、今まで気がつかなかったんだ…)
アリーナの顔色や態度はおそらく最近の己の姿の鏡なのだろう。八つ当たりを繰り返していたのかもしれない。
改めて記憶を辿ると、今となってはそうとしか思えない。
「ねぇ、姫様。次の町に行きませんか?」
「…次の町ではもう少し、自分のことも大事にしてくれる?」
「……はい。ご心配をおかけしないように、次はもう少し休みながらやりますから…」
アリーナは小指を差し出した。
「約束して」
小さい頃と同じ、宣誓の方法。少し微笑ましい気持ちになり、頬が緩むのを感じた。
そういえば、しばらく笑っていないことに気が付く。
「約束します」
小指を絡めた。戦いを繰り返しているというのに、何も変わらず柔らかい指先。
違う。変わっていたのは自分の方だ。商人に言われた言葉が思い出される。
やはり、自分がおろかだったのだ。
ようやく微笑んでくれた、大切な眼差し。
そうだ、ずっと守りたかったものだったというのに。
「申し訳ございませんでした」
もう一度だけ、呟いた。
「次の町へと向かうんですね。では、すぐに乗船の手続きをお願いしておきますよ」
コナンベリー大司教は申し訳なさそうに言う。
「何のお役にも立てずに」
「いえ、十分すぎるほどでした」
クリフトは無理やりにだるい体の背筋を伸ばした。
「あまり責任を背負い込まないほうがいい。体を壊します」
大司教の言葉にクリフトはひきつった笑顔を浮かべた。
「十分に今、怒られてきたところなのです」
「そう。ならば良いのですが」
大司教は地図を机に広げると、コナンベリーよりも更に南に位置する大陸を指差した。
「次に向かうのはミントス、とのことですよね?」
「そうです」
「ミントスを含め、ソレッタ大陸はこのコナンベリー司教区に含まれるのですが、」
大司教の顔は渋い。
「ソレッタ地方では教会の組織勢力が皆無に等しいのです」
クリフトも聴いたことがある。ソレッタという国は農業国であり、自然崇拝が
勢力を持ち、自分達と同じ信仰がないことを。
「…だから、今までのように助力することはできないでしょう。
もし、何かできるとしてもこのミントスまでです。助力と言っても、何も出来ないと同義語ですが」
クリフトは頷いた。覚悟して行かねばならないだろう。
「大司教様のご厚意、心より感謝しております。これからはまた、私共で力を合わせて進んでいきます」
「そうですか。神の御加護があらんことを願ってやみません」
若い大司教はやはり、申し訳なさそうに十字を切った。
初対面のときを同じように丁寧にお礼をして立ち上がると、大司教は興味深そうに言った。
「そういえば、わたしは君のことを知っていましたよ」
「私のことを、ですか?」
「私はサランの大聖堂に勉強にお邪魔していたことがあります。そのときにクレフ殿が
君の話をしていました。あなたに会えて良かった。今後、クレフ殿に会ったら、コナンベリーのテオドールが
『貴方の仰った意味がわかりました』と、どうぞよろしくお伝えください」
クリフトは口が開いたままになっていることに気が付かないほどに、その話を聞き入ってしまっていた。
もちろん、サラン大司教が、どんな話をしているのか聞いたことはない。少し、気になったが尋ねるのは止した。
「また、わたし達の力が必要でしたら遠慮なく言ってください」
「ありがとうございます」
クリフトはその暖かい大司教の支援の言葉に、やつれた顔で笑った。
「船旅ってはじめてよね」
アリーナは旅がはじまって以来、初めて乗る船に感激したのか、船端から海面を覗き込んだ。
クリフトという心配事が一つ、解決したためか、その表情は明るい。
陽光を弾いてキラキラと輝き、その反射がアリーナの顔を照らした。あまりに、勢いよく身を乗り出したので海に落ちてしまうのではないか、と
クリフトは側にいて心配になったが、運動神経のいいアリーナのこと、余計な心配だった。
「ねぇ、クリフト?」
「はい」
アリーナはそっとクリフトに近づいた。体が触れそうになる程に。
クリフトはどきっとして、思わず身を少し引く。それを追いかけるかのようにアリーナの差し出した手は
クリフトの左耳のすぐ横の髪の毛を柔らかくすくった。
「やっぱり。クリフトの髪の色は海の色なんだね」
アリーナの温かい手の感触が耳に触れる。
「では、姫様の瞳は炎の色ですね」
クリフトはじっとアリーナの瞳を見つめた。
「燃えるような意思を秘めた貴女に相応しい色彩です」
アリーナは微笑んだ。
「…うれしいわ」
「おーい、クリフト!ちょっと船室まできてくれんかの!」
ブライの声がどこからか響き、反射的にその体を離した。
今更、顔が赤くなってきた気がする。よく、あんなに冷静でいられたものだ。
「今、行きます!」
きっと、これからの打ち合わせや相談があるのだろう。同時に今までの不摂生を叱られるのもわかる。
自分が悪い。これも罰だ。
ミントスの町についたら、改めて二人に謝ってアリーナが喜ぶように
町の観光でもしながら、励ましあいながら情報を集めていけばいい。
アリーナはきっと、美味しいものを食べて、武器屋や防具屋を見ることができたなら喜ぶだろう。
そして、尊敬する魔法使いはどうしたら喜ぶだろうか。
ブライの肩を揉んであげながら、チェスの相手でもしながら愚痴を聴いてあげよう、そう思った。
そして、以前のような関係に戻したい。それが、今の彼にとって一番の望みだった。
クリフトは船室の階段を降りるべく、一歩足を下ろした。
(………)
ぐらりと揺れる体と視界。
平衡感覚の失われる中、なんとか壁に手をつく。
(……まさか………)
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